第2話 三人兄妹

 光輝と耶麻人やまとは、子どもたちを守るために武器を手に取った。それを反『強化ブーステッド』のためだ、『政府』を守るためだ、と喧伝したのは、あの大人たちだ。光輝にしても、耶麻人にしても、題目は何でもよかった。日々をしたたかに生きる子どもたちは、〝ネクスト〟として生まれ、親や兄弟のいない二人にとって、家族と呼べる存在であった。〝ネクスト〟として操作された遺伝子にも『家族』という感情はインストールされていた。そして、それを大切に思う気持ちは、日々の中で育っていた。

 ミネルヴァは、当時から強かった。最強クラスの強襲形式アサルトタイプ強化ブーステッド』であった。それでも、二人はミネルヴァを退けた。特に耶麻人は、グレイから武器として与えられていた、刀を模した形状の高周波ブレードを持って、ミネルヴァが自慢とした蹴撃を生み出す脚を斬り落とした。

 ミネルヴァが『強化』犯罪組織の長、それも『七同盟』のひとりであったことが、事態を大きくした。『強化』はミネルヴァが退けられたことで、〝塔〟に巣くう反『強化』運動を脅威として認識した。他方〝塔〟の内部では、ミネルヴァという名の通った『強化』を光輝と耶麻人が退けたことで、希望を見出だすものが現れ始めた。それは元々の大人たちだけではない。子どもたちにも、反『強化』は可能なのではないか、と考え始めるものが現れたのだった。結局、日々を懸命に生きている子どもたちも、どこかで思い続けていたのだろう。『強化』という存在の重圧を、打ち払える日が来ることを。それは、『強化』によって殺された親兄弟、親族の復讐などではなかった。自分たちが生きていく世界が、少し生きやすくなるかもしれない、という希望だった。どうやら人間というものは、そういうものらしい、と光輝は学んだ。

 活動は大きくなり、〝塔〟には連日のように武装した『強化』が押し寄せた。それを退けるために光輝と耶麻人は、プロフェッサー・グレイに言われるままに防衛に出た。その背に、〝塔〟の子どもたちが続いた。各々にどこからか手に入れた横流し品の銃火器を手にし、戦うようになっていた。後に〝戦争〟と呼ばれる状態に突入した明確な瞬間は、実のところない。国同士の戦争ではなく、種族同士の生存競争である『強化』『非強化』の戦いに、宣戦布告などの書類的な手続きは存在しないからだ。だが、敢えてその瞬間を設けるのであれば、ミネルヴァの脚を耶麻人が斬り落とした、あの日からだろう。

『非強化』の子どもたちはよく戦った。『強化』を間近で観察してきた経験から得られた『強化』の強みと弱み、そして〝塔〟という地の利を生かし、ゲリラ的な戦いで『強化』を苦しめた。強襲形式の『強化』が現れれば、その度光輝と耶麻人が退けた。

 いつの頃からか、『強化』たちが〝塔〟に巣くう『非強化アンブーステッド』を『クルス』と呼び、反抗組織として扱うようになった。それはミネルヴァの脚を斬り落とした耶麻人の、来栖耶麻人という本名が、どのようにしてか『強化』側に伝わった結果だ。それを捻って、『crus.クルス』と名付けたのは、『非強化』の子どもたちだ。元々は良家の出だった子どもがいたのか、『crus.』という言葉から連想される十字の紋章を描き、手の器用な子どもがガラクタを削ってペンダントトップやブレスレット、身につける装飾品にして仲間たちに配って歩いた。それ以降、結束は日に日に高まっていった。こうして『crus.』という反『強化』組織が誕生した。

 光輝と耶麻人がアスカを保護したのは、ちょうどその頃だ。忘れもしない。あれも記憶に深く刻まれる強敵との戦いだった。ラジー・マジフとカラエフ・ストラエフ。あの日〝塔〟を襲ったのは、あの二人の組織だった。

 元々共闘を話し合っていたのか、二つの組織はよく連携した。多くの『非強化』がこの戦いで殺されたが、それでも『crus.』は屈しなかった。何より、光輝はラジーとの壮絶な撃ち合いを制し、耶麻人の刀はカラエフの『絶対防壁イージス』を打ち破った。だが、あの頃、『狂犬』と呼ばれていたカラエフは、いまよりも遥かに狂気じみて攻撃的であり、執念深い男だった。耶麻人は重傷と言える傷を負いながら、辛くも『絶対防壁』を退けたのだった。

 ただ、耶麻人が重傷を負った理由は、カラエフの実力だけではなかった。戦いの最中、ある幼女を守り、庇ったからだ。その幼女が、アスカだった。

『絶対防壁』が攻撃的に使用され、猛威を振るった。周囲のあらゆるものがカラエフの武器となり、破壊される中、耶麻人は逃げ遅れた三、四歳の幼女を見つけた。庇うことで傷を負ったが、その幼女は無傷で、鳴き声ひとつあげなかった。

 カラエフとラジーを退けた後、光輝は幼女の親を耶麻人と共に探したが、見つからなかった。『強化』に殺されたか、それとも元々殺されていたか。右も左もわからない中で、奇跡的に〝塔〟に流れ着いたのか。幼女は何も答えなかった。答えられなかった。幼女は言葉を失っていた。

 耶麻人はプロフェッサー・グレイに許可を得て、幼女を保護下に置いた。耶麻人から共にこの幼女を守って欲しい、と頼まれ、耶麻人は自分たち二人を兄だ、と幼女に話した。血の繋がらぬ、同じ種族ですらない、兄。

 その日から、三人兄妹きょうだいの生活が始まった。それまでの生活が、別段大きく変わったわけではなかったが、光輝にとって不思議な感覚はあった。簡単には死ねない、と思うようになった。確かに〝ネクスト〟は死に難い。『強化』を上回る生物的強者であるが、それでも戦いの中では傷を負う。実際、耶麻人がカラエフから負わされた傷は〝ネクスト〟の治癒と代謝速度を持ってしても、数週間の時間を要した。おそらく『非強化』であれば即死した傷だっただろう。一歩間違えれば、耶麻人も死んでいたかもしれない。

〝ネクスト〟にも死の概念はある。それゆえに、光輝は簡単には死ねない、と考えるようになった。そこには、耶麻人によって、アスカ、と名付けられた幼女の姿があった。兄として、あの子を守る。兄として、あの子に生きていて欲しい。そう考えるようになった。戦いの合間を縫って、アスカに言葉を教えた。〝ネクスト〟として生まれ落ちた瞬間に言葉を話すことのできた光輝には、難しい行為だった。何がわからないのかがわからない。なぜ話せないのかがわからない。毎日が手探りで、毎日命の危険があり、毎日が楽しいと感じていた。こうして振り返れば、あの時が一番、楽しいと感じた時間だった、と光輝は思う。

 物音ひとつしない〝塔〟内部の一室は、完全な闇に閉ざされていた。アスカが眠るソファに背中を預け、床に座り込んだ光輝は、見上げる天井が薄暗くなっていることにようやく気づいた。陽は、かなり前に落ちていたらしい。

〝ネクスト〟の視力は、完全な闇の中でも機能する。物を捉えるには十分な明るさを、その目は確保することができる。光輝は姿勢は変えずに首だけで振り返り、ソファの上のアスカの様子を確認した。どれくらいの時間が経ったかはわからなかったが、横たえた時と変わらぬ、安らかな寝息で深い眠りの中にいた。

 あの日も、そうだったはずだ、と光輝は正面に向き直りながら思い出した。〝戦争〟の終焉。それが唐突に訪れた、あの日。光輝は闇の中で、ぼろぼろに朽ちて穴の空いた壁を睨み付けた。

 あの日。アスカはなにも知らずに眠っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る