第9話〝塔〟
地面に崩れ落ちたカラエフ・ストラエフの頭を、光輝は撃ち抜いた。『
あの瞬間、光輝は背中に
迫り来るミネルヴァの目が、驚き、見開かれるのを見た。その時にはまだ、自分でもなぜこの行動を取ったのかは考えていなかったように思う。脊髄反射の領域でミネルヴァの、こちらの腹部を狙って飛んできた蹴りを避け、殴り付けるように突き出した大型拳銃で頭を撃ち、砕いた。
爆発したように跡形もなく頭部を失ったミネルヴァの身体が、自身の勢いを殺せずに地面を転がり、瓦礫に当たってようやく止まる。それを確認して光輝が振り返ると、カラエフは既に地に落ちていた。アスカに斬られたであろう身体は動くことはなく、見れば胸から入った刃が、しっかりと機械脊髄を破壊していた。
硝煙を上げる銃口を見たまま、光輝は立ち尽くした。すぐ横には、黒い影がある。長い黒髪を靡かせ、耶麻人と同じ武器を持つ、見知った女性の影。いや、見知ったはずの、というべきだ。十五年という時間は、『非強化』であった彼女の容姿を大きく変えた。年端のいかない子どもから、大人の女性へと変えた。〝ネクスト〟は歳を取らない。厳密に言えば、細胞の劣化が異常とも言えるほど遅いので、生物として歳を取る速度が異常に遅いのだ。寿命がないわけではないはずだが、ではどれほと生きるのかは、わからない。誰もまだ、老衰で死んだ〝ネクスト〟はいないからだ。
容姿でいえばほとんど変わらない見た目になった相手に何を言うべきか。光輝は言葉を探していた。見た目よりも長い時間を生きている。肉体は『非強化』を遥かに凌駕し、『強化』すらも寄せ付けない。それが〝ネクスト〟だ。自分という存在だ。だが、それでもいま、光輝にはアスカに身体を向ける勇気も、言葉も、見つけることができなかった。
項垂れたまま、カラエフだった『強化』の身体を、どれほど見下ろしていただろうか。それほど長い時間ではなかったはずだが、光輝には何時間にも感じる間だった。その間を破ったのは、沸き上がった強烈な殺気だった。
光輝は素早くその場を一歩、退いた。一瞬前まで光輝が立っていた場所に、沈み行く陽光を反射させた鈍い橙の光が煌めいた。それが、足元から切り上げられたアスカの刀……高周波ブレードだと理解した光輝は、着地した足を軸に背中側から一回転した。切り上げから振り下ろされた刃をそれで躱すと、左手に握ったデザートイーグル〝テンペスト〟を伸ばした。銃口がアスカの顔の前で止まる。
引き金は、引ける。だが、その瞬間に、アスカはいま、背中側にあるブレードの刃を返すはずだ。背中側から斬られる。ブレードの斬れ味から考えて、その一太刀で身体は半分に分かれるだろう。どちらが速いか。光輝は考えた。いまさら惜しむ命でもない。だが、それでは……
「……なんであなたがここに来たの」
……それでは、アスカを救えない。ここで撃ってしまえばもちろんのこと、自分が死ぬことでも、アスカを救うことはできなくなるだろう。この子の復讐を止める。そうしなければ、この子は死ぬ。間違いなく、死ぬ。アスカが復讐しようとしている相手は、そういう相手なのだ。『強化』『七同盟』特にその盟主、シンという男は。
ここまでの手際は、見事だった。デューイ、ロベルト、ラジーを葬った手際。そして自分が介入したとはいえ、『七同盟』でも最も危険なミネルヴァとカラエフを葬ってしまった手際。だが、だからといって希望を持つことはできない。決してできない。ネスタ、そしてシン。残った二人は、そういう相手なのだ。
「……あなたはここへ来てはいけない。あなたにはその資格がない。わかるでしょう?」
アスカは絶対に、シンに勝つことはできない。それは光輝が知る限り、揺るぎようのない事実だった。
「……わかっている」
「なら、なぜ来たの? わたしに殺されるため?」
「プロフェッサーの頼みだ」
銃口の向こうで、アスカの眉間に皺が寄る。
「お前を止めるように頼まれた」
「そんなこと……」
「言わないと思うか」
「……あなたがそれをどうやって知ったかは訊かない。けど、それでわたしが止まると思うの?」
「……いや」
光輝が否定を口にした瞬間、明らかにアスカの発する気配が変わる。光輝がその場で腰を折り、膝は曲げずに上体を落とすと、その上を高周波ブレードが擦過した。掻い潜るように身を起こした光輝は、素早く目の前に大型拳銃の銃口を向け、迷うことなく引き金を引いた。
超至近距離で放たれた五十口径弾を、アスカが引き寄せた刀を立てて弾く。そうだろう。光輝はそれを理解していた。〝ネクスト〟の反応速度を持ってすれば、その防御は可能だ。だがそれは、咄嗟に反応することができてしまうとも言える。こうすればこう動く、というアスカの行動を容易に誘発させることができ、事実、アスカは光輝の予想通りに刃を立てて弾丸を弾いた。
その立てた刃の鍔目掛けて、光輝は左手に握った大型拳銃を、まるで鈍器か大型のナイフであるように叩き付けた。普通の銃器であればそんな使い方は不可能だが、〝テンペスト〟は光輝が、〝ネクスト〟が使うことを前提として作られた特注品である。その強度は衝撃に十分耐えられる仕様にあり、その重い一撃はアスカの刀を打ち下ろした。更に鍔を押さえたことで、容易に持ち上げる事ができなくなる。アスカの顔が、先ほどとは別種の驚愕に歪む。光輝はアスカの刀を押さえた左手と交差させるように、右手に握った大型拳銃をアスカの眉間に向けた。
「……刀を下ろせ、アスカ!」
ふっ、とアスカの刀から力が抜けた。だがそれは、光輝の言葉に応えたにしては早すぎる反応だった。乾いた鉄の音を響かせて、刀が地面に落ちた。超高速振動が止まり、ただの鋼鉄の板となった刀に続き、ぐらり、とバランスを失ったのは、アスカ自身だった。
光輝が驚く間に、アスカが目を閉ざし、その場で前のめりに倒れた。正面にいた光輝は、咄嗟に銃口を外し、彼女の身体を肩で受け止めた。意識を失っていた。
「……活動限界……か……?」
身に覚えはあった。極限状態の戦闘を立て続けに行った十五年前、自分の身体も、同じ様に意識を失った。
光輝は肩でアスカの身体を支えたまま、両手の得物を器用にホルスターに納める。ミネルヴァ、カラエフを葬ったとはいえ、いや、葬ったからこそ、追っ手は厳しくなるだろう。どこかに身を隠したいところだが、隠すにしても、『上層』に身を寄せる場所はない。アスカを運びながら移動し、『旧市街』へ降りることは現実的とは言えない。
光輝は、アスカの身体を右肩に担ぎ上げ、空を仰いだ。茜色の空に伸びる、巨大な黒い影を見た。
「……ここに、身を寄せることになるとはな……」
かつて〝塔〟と呼ばれ『crus.』の拠点であった瓦礫の城へ、光輝の足は自然と向かった。
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