第7話〝三人目〟vs『毒蛇』

 闖入者に煩う間に、指示が停滞した。その間を待つほど愚かな三人目ではなかったらしい。既にミネルヴァの残りの部下は討たれたらしく、部下と繋がる脳内の通信映像に呼び掛けても、ただ漆黒の映像が沈黙し続けるままだった。


「……上等じゃないかい……!」


 飛び上がった空中でそれを理解したミネルヴァは、脚を伸ばして目測もつけずに落下した。『強化』の全能力を解放した蹴りが、落下のエネルギーを味方にして、降り注ぐ質量爆弾と化した。文字通りの大爆発が起こり、埋設された地雷を巻き込んで、さらに爆発が連続する。


「出てきなっ! 一対一だ、受けてやろうじゃないかっ!」


 もうもうと立ち込める土煙の中で、ミネルヴァは吠える。負けられない。負けるわけにはいかない。例え相手が自分以上の力を持っていようとも、それを蹴り潰して、前に進む。そうして生物の頂点に立つ。それがわたし。ミネルヴァ・ハルクだ。

 ミネルヴァがそう決意を固めた時だった。背後で何かが動いたのは。『強化』でなければ、いや、ミネルヴァでなければ、気づくことができなかったであろう、僅かな気配は、一息にミネルヴァの背に迫った。

 ミネルヴァは振り返らなかった。ただ、気配との距離は、しっかりと計っていた。

 お辞儀をするように頭を下げ、同時に後方へと脚を振り上げる。『強化』されたミネルヴァの脚は、『非強化』には難解すぎる動作を可能にする。手をつくこともなく、脚の振り子運動のエネルギーだけで、ミネルヴァの身体はその場で宙を舞い、縦方向に一回転した。振り出した脚の赤いヒールに、忍び寄った気配の先端……長い片刃剣の切っ先が触れ、弾いた。


「〝ネクスト〟ぉぉぉ!!」


 敵の初手を回避し、ミネルヴァは吠え声と共に着地と同時に振り返ると、踏み出した一歩目を軸にして、相手の胴を狙った回し蹴りを放つ。

 対する三人目の〝ネクスト〟は、慌てる様子はなく、剣を弾かれるまま、その反動を利用して身を翻し、ミネルヴァの回し蹴りを避けた。戦闘経験は浅いが、勘はいい。ミネルヴァは改めて敵のことを冷静に評価した。

 だが、勘だけで勝てる戦いはない。それを知ったときが、こいつの最期だ。

 ミネルヴァは避けられた回し蹴りの脚を地面に突き刺すように落とすと、打ち付けたアンカーさながら、その脚に全体重を乗せて自身の身体を急制動を掛けた。完璧には流されなかった体勢は、すぐさま逆足のハイキックを出せる状態だった。降り仰ぎ見た三人目の顔に、驚きが宿る。だが、もう遅い。

 ミネルヴァの全身に施された『強化』部品が唸りを上げて、〝ネクスト〟の顔面を狙った蹴りが放たれる。一瞬の油断が、勝負を別ける。そういうことだ、とミネルヴァは嗤った。必中のタイミングでの一撃。だが、あろうことかその脚は空を切った。

 ミネルヴァは〝ネクスト〟が信じられない動きをするのを見た。柔軟すぎる体幹筋肉を総動員した〝ネクスト〟の身体は、背中側にあり得ない角度まで傾いてミネルヴァのハイキックを回避した。それほど身体を反らしても、後ろに倒れてしまうわけではなく、まるでバランスを崩さない〝ネクスト〟は、倒れるどころか、反撃の一刀を見舞ってくる。

 反らした上体はそのままで、下段から放たれた斬り上げの一撃は、地面を削りながら、ある角度で突然、ミネルヴァの身体に向かって食らい付いてきた。ハイキックを回避され、流れたその脚に、〝ネクスト〟の剣は狙いを定めていたようだった。

 ミネルヴァの脳裏を、苦い記憶が駆け抜ける。それは十五年前の記憶だ。あの〝戦争〟の終局、いまと同じ様に対峙した〝ネクスト〟……来栖耶麻人くるすやまとも、この三人目と同じく、ミネルヴァの脚を狙った。最強の武器にして、最強の回避性能。その全てを現実にするミネルヴァの脚から潰す、という判断は、よく理解できる。ミネルヴァ自身、自分と同様の『強化』がもし居れば、初めに脚を狙うだろう。

 あの時、耶麻人の剣は鋭く、ミネルヴァの脚を抉った。いくら思い出そうとしても、どんな角度で、耶麻人の剣が飛来したのか、いつ斬られたのかも、思い出すことができない。速く、強く、鋭い、耶麻人の剣に脚を斬り落とされ、ミネルヴァは敗北した。その記憶が鮮明に蘇り、ミネルヴァは咆哮する。それが合図だった。脚に仕込まれた機関が唸りを上げた。

 脚に、三人目の刃が食らい付く。ミネルヴァの妖艶な美しさを誇る脚が切り裂かれ、血と皮下潤滑液が入り交じった、体液としか形容しようのない液体が飛び散る。だが、それだけだった。ミネルヴァはにやりと笑う。


「……悪いけどね、わたしは二度と同じ手は食わないことにしてるのさ!」


〝ネクスト〟の刃は、ミネルヴァの脹脛にがっちりと食い込んで、止まっていた。〝ネクスト〟がそれを抜き取ろうとするが叶わない。それほどの拘束力だった。そうだろう。。そうそう離すこともできないはずた。

〝ネクスト〟が動揺する間に、ミネルヴァは動いた。刀が食い込んだままの左脚の膝を折って、刀ごと〝ネクスト〟を無理やり近づけると、今度はその左脚に体重を乗せて、右脚は地面を蹴った。引き付けられた反動で、前のめりによろけた〝ネクスト〟の身体目掛けて、右脚を振り抜いた。宙に浮いた身体が旋回し、ミネルヴァの全体重を乗せた一撃が、よろけた〝ネクスト〟のあばらを打った。

 その衝撃で抜けた刀と共に、〝ネクスト〟の身体が飛んだ。飛んだ先のコンクリート片にぶつかり、それでも止まらず、そのコンクリート片を砕いて飛んだ。地面に落ちても衝撃を殺しきれず、二転三転して、土煙を上げる。ようやく止まった時には、ゆうに十メートル以上距離が離れていた。


「あんたの刀、クルスと同じ高周波ブレードだね。悪いけど、そいつでわたしは斬れないよ。」


 ミネルヴァは〝ネクスト〟に聞こえるように大声を張り上げる。赤黒い液体を溢す左脚を地面に打ち付ける。その地面が、大きな音と共に爆発した。


「クルスと同じものを仕込んだのさ。毎秒同じ振動数だ。わたしの脚は、二度と斬られない。二度と負けはしない!」


 土煙を掻き分けて、ミネルヴァが疾駆する。両の脚が唸りを上げる。十メートル以上の距離を、一瞬でゼロに変え、倒れた〝ネクスト〟に追い討ちをかける。『非強化』にここまでする必要はない。『強化』相手であっても、先ほどの一撃で十分だろう。だが、相手は〝ネクスト〟だ。死んだ身体を引き裂いても、安心とは言えない。

 ミネルヴァの臆病なほど冷静な判断が正しかったことは、追い討ちの踏みつけが〝ネクスト〟の身体を粉砕する直前、その場を転がって避け、すぐさま立ち上がって、ミネルヴァの背を斬りつけて来たことで証明された。咄嗟に避けることができたのは、そういう相手だと認識していたからだった。


「……まったく、イライラするねぇ、あんたらは!」


 ミネルヴァが回し蹴りを放つ。〝ネクスト〟はそれをバックステップで避けると、すぐさま斬りかかってくる。『強化』でも視認ギリギリの、生物の限界をゆうに超えた踏み込みの速さだったが、ミネルヴァの回し蹴りは、これを誘った一撃だった。回し蹴りで伸ばした脚を軸に、もう一度、逆の脚で回し蹴りを放つ。上段から振り下ろされる刀目掛けて振り上げた赤いヒールが、踵で刃を受け止めると、さらにもう一度、ミネルヴァは身体を回転させた。刃を受け止めた脚とは逆の脚で回し蹴りを放つ。ヒールの底が〝ネクスト〟の胸を打ち、再び〝ネクスト〟が後方に飛ぶ。


「あんたはわたしには勝てない。諦めな。」


 勘はいい。当然ながら〝ネクスト〟としての身体能力は遺憾無く発揮されている。だが、戦闘経験の不足。この一点において、ミネルヴァは自身の勝ちを確信できた。この〝ネクスト〟には、勝てる。


「わたしはこんなところで終われないんだ。亡霊は亡霊らしく、さっさと消えな!」


 ミネルヴァが地を蹴ろうとしたその時、倒れた〝ネクスト〟の背後で爆発が起こった。

 コーキとカラエフの戦闘が、こちらに近づいていた。

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