第5話 鎧

 八人の部下たちの軽機関銃が乾いた音を立てる。そうして炙り出したところに、ミネルヴァは全てを粉砕する蹴撃を見舞う。人の背丈の倍以上もあるコンクリート片が砕け散り、震えた大地に刺激された地雷の残りが、再び爆煙を上げる。しかし、ミネルヴァが望む手応えは一向に返らない。


「いつまでもちょろちょろと! 頭に来るね!」


 言って顔を上げたミネルヴァの『強化』された目は、すぐに〝ネクスト〟の居場所を認識する。それほどの察知能力、認識能力を持ちながら、三度、攻撃を避けられたのは〝ネクスト〟が、ミネルヴァの脚が身体に触れる刹那と言えるほど直前に、完璧な回避行動を取っているからだった。見切られている、と告げる事実に、ミネルヴァの苛立ちは募った。三人目の〝ネクスト〟は、過去の二人と同じく、自分より強いかもしれない。生物的な、最も単純な、暴力的な強さだけが、生きる指標であるミネルヴァにとって、自分より強い存在があることは、耐え難い苦痛だった。

 ただ、〝ネクスト〟は反撃に転じて来ない。それは、一対多数であるこの状況のためだとミネルヴァは〝ネクスト〟の底を見抜いた。ミネルヴァは部下を上手く操作し、〝ネクスト〟に反撃の一手を出せる余裕を与えていない。言葉ほど熱くはなっていない頭を冷静に回転させて、ミネルヴァは〝ネクスト〟の隙を突く。個体として、自分よりも強いと言うのであれば、どんな手段を用いても、どんなに汚い手を使っても、どうあっても、殺す。そうすることでのし上がってきた、それはミネルヴァにとっての正義だった。

 追い詰める。ヤツがミスを犯すのを待つ。それが通用する相手だと、ミネルヴァは判断した。前二人と比べて、この〝ネクスト〟は戦い慣れていない。そういうヤツはどんなに強くても、必ずミスを犯す。そこを突く。確実に殺す。ミネルヴァは舌舐りをすると、次の指示を部下たちに出した。無線通信によって繋がる部下たちへの指示は、ミネルヴァが敵に対してどう配置するのかの全体図を想像するだけでいい。ミネルヴァが想像した映像が、部下たちの頭の中に共有される。反対に、部下たちからの報告も同様に頭の中に転送されて来る。複数同時に開示される部下たちの視野情報をコンマ以下の秒数で閲覧したミネルヴァは、その中のひとつに信じられないものを見た。咄嗟に茜色に染まった空を降り仰ぎ、ミネルヴァはその映像と同じものをそこに見たり

 燃える空には、白い十字架が浮いていた。瞬間、『crus.《クルス》』の名がミネルヴァの思考を乱す。通常、機械の目を持つ『強化』は見間違いをしないし、錯覚に陥ることもない。白い十字架の動揺の大きさを、ミネルヴァ自身も理解した。音がするほどきつく、鋭く睨み付け、ミネルヴァが持ち前の冷静さを取り戻した時、白い十字架の横棒が素早く縦方向への動きを見せた。両方の先端に現れたのは、大型拳銃だ。


「コーキィィッ!!」


 ミネルヴァの絶叫に大型拳銃の咆哮が重なった。放たれた二つの弾丸は、瓦礫の影に潜んだミネルヴァの部下二人に、寸分違わず命中する。二人とも正確に、『強化』唯一の弱点である頭部を撃ち抜かれ、ミネルヴァと共有した二人分の視野情報がブラックアウトする。

 しまった、とミネルヴァが思った時には遅かった。とんだ乱入者だが、全ての注意を向けては行けなかった。ミネルヴァの部下の視界に、あの黒い死神が躍り出る。長い片刃の剣が夕日を浴びて銀の光を反射させると、瞬く間に三人の部下が斬られた。二人が胴と下肢を切り離されて戦闘能力を失い、一人が胴と首を切り離されてブラックアウトした。〝ネクスト〟同士が示し会わせて共闘している、という雰囲気はなかった。あくまでも状況の変化に、あの超感覚を有した新しい人類が反応しただけのことだ。ミネルヴァはそう断じると、残った三人の部下に配置を指示する。頭の中に配置図を描いたところで、自身は乱入者の姿を探した。


「あんたがこんなところにいる、そのことの意味は、わかってるんだろうねえ、ハイタニコウキ!!」


 かつて〝ガンスリンガー〟と呼ばれ、〝ソードダンサー〟来栖耶麻人の相棒として、そして何より、来栖と同じ〝ネクスト〟として『crus.《クルス》』を率い、『強化』に後々まで悪夢を見るほどの恐怖を植え付けた男は、意外にもすぐ近くにいた。見上げたその姿は、巨大なコンクリート片の上に立ち、『crus.《クルス》』の戦闘服である白いコートを、緩い風に靡かせている。旧市街のシブヤで見たときと何ら変わりがない、ミネルヴァが負け犬と断じて捨てた男の姿だった。だが、何かが違っている。精神論ではない何か。ごく自然であり、違和感を感じさせない何か。それを感じ取ったミネルヴァは、『強化』された目の解析能力を最大限に引き出した。その目が〝ネクスト〟の男の顔に向けられ、手にした大型拳銃に向けられ、そしてまとった白いコートに向けられた。瞬間、ミネルヴァは強く歯を噛み締めた。


「あんた、それをどこで……!?」


 変わったのではない。戻ったのだ。ミネルヴァの頭に、その理解が行き渡る。いまの姿がごく自然に感じるのは、初めにこの男に抱いた印象と同じであるからで、こうしてみるとシブヤで会った姿の方に違和感があった。

 そう、この男は、こういう男だった。誰も寄せ付けない、絶対的な超越者の空気を纏っていた。そして超越者としての、超越的な能力をさらに高める、あのコートを纏っていた。

 見た目には、旧市街で着ていた白いコートと変わらない。かつて『crus.《クルス》』の戦闘員たちが身につけたものだ。だがいま、ハイタニコウキが身につけているコートは、それとは異なる。仕立ては全く変わらないので、見た目には変化がない。問題は、中身だった。コートの内側には『強化』たちが体内にインプラントするものと同等以上の効果を発揮する、肉体強化用の機器が潜んでいる。纏った瞬間に、それらは効果を発揮する。あるものは身体に巻き付く形で、あるものは身体の中に埋没する形で、着用者と一体となる。装備品と見ることのできるものから、ナノマシンレベルの極小サイズのものまで、大きさも発揮する効果も様々な機器が、そもそも人間の限界を越えた肉体を持つ〝ネクスト〟を、さらに高次の存在へと引き上げる。

『同等以上の効果』とは、『強化』にさえ導入が見送られるほどのパワーを生むことを含んでいる。強化外骨格とも、強化外部装置とも呼ばれるそれら機器はすべて〝ネクスト〟の身体に使われることを前提としている。『強化』も、その肉体改造のベースになるのは、生身の肉体である。生身の部分がある以上、強化を施して行くには、それを壊してしまわない配慮が必要である。しかし、〝ネクスト〟にはそれがない。そもそもの肉体が、生身の人間とは比べ物にならないほど強靭だからである。そのことを前提として〝ネクスト〟を生んだ研究者たち……あのプロフェッサー・グレイたちが設計し、開発したとされる、超越者たる〝ネクスト〟を、真の超越者へと導く装備。


「『クロス』は全て廃棄させたはずだろう!?」


 ミネルヴァは装備の名を叫ぶ。ハイタニコウキは身動みじろぎひとつせずに、ミネルヴァを見下ろしている。その様子に、ミネルヴァは理解した。〝ネクスト〟専用装備『クロス』は確かにひとつ残らず廃棄されたのだ。それは間違いない。では、いま目の前にある、あのコートは……


「……グレイか、あのクソジジイ……!」


 ミネルヴァは歯噛みしたが、同時に冷静でもあった。おそらく、いま目の前にあるクロスは、十五年前の〝戦争〟終結後に、プロフェッサー・グレイが長い年月をかけて新たに作り上げたものだ。なぜ長い年月がかかっているとわかるかといえば、〝戦争〟終結後のグレイを含む『非強化』たちの生活を考えればわかることだった。『強化』の武力的監視下にある中で、あのような精密機械を調達することは、自殺行為である。すぐ反逆とみなされ、処刑されていただろう。あくまでも、目立たないように、長い長い、それこそ十五年という時間を目一杯に使って、部品をひとつひとつ集めて、あの鎧を作り上げた。その執念。『強化』に対する深い憎悪。我々は、貴様らに屈したりはせんぞ。グレイが最期の瞬間に叫んだ言葉が、グレイを蹴り飛ばした時の脚の感触が、ミネルヴァの身体に甦り、同時にそれは寒気に変わった。それは『強化』が感じることの少なくなった感情、明らかな恐怖だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る