第4話 なぜお前がここにいる

 大きな音は二度続いた。


 一度目は明らかに火薬を使った爆発だったが、二度目は違う。強力な力を何かに叩き付けた音、破壊そのものの音だ。


 始まったか。


 心のうちにつぶやいたカラエフは〝塔〟の方へ視線をやった。


 ドミトリーが掌握した〝塔〟周辺の監視カメラ映像から、すでにミネルヴァとその部下がここにいることを伝えていた。車を降りたカラエフは、運転席に目を向けた。機械制御で動くカラエフの車に運転手はいない。待っているように、と命じる必要もなく、カラエフは車を離れ、歩き始めた。


 侵入を禁止する電流フェンスの傍まで歩み寄った。また爆発音が聞こえ、それに続いて軽い、ぱぱぱん、という音が続いた。軽機関銃の発砲音だ。ミネルヴァの部下のものだろう。


 ということは、やはり襲撃者はこの中にいて、しかもミネルヴァの攻撃を受けて無事だった、ということになる。二度目の音は明らかにミネルヴァの仕業だ。すべてを砕くあの蹴撃を、襲撃者は躱したのだ。だからいまも追撃を加える音が続いている。


 カラエフはフェンスの向こうの景色にサングラスの奥の目を細めた。ここは十五年前から大きく変わっていない。〝戦争〟の最中に破壊された〝塔〟の残骸に、老朽化によって自然崩落した残骸が増えただけだ。燃える夕日に浮かんだ〝塔〟のシルエット。カラエフはまるであの〝戦争〟の只中に戻ったかのような錯覚を覚えた。


 どんな形で受けたにせよ、ミネルヴァの蹴撃は『旧市街』から上がって来た『非強化』に躱せるものではない。『強化』でさえ視認するのが困難なほどの速度を出す、身のこなしとあの蹴りは、本気で打ち込めば『非強化』など、自分が死んだと気づくことも出来ないだろう。


 一度とはいえ、それを避けた。デューイとロベルトは目撃者もなく殺された。ラジーは戦闘の末、頭を貫かれた。


 やはり相手は『非強化』ではない。考えられるのは二つ。それがどんな経緯で現れたものであるか、そもそも何者なのか、カラエフにはまるで見当もつかなかったが、これほどの戦闘行為が出来る人間は、二種類しかいないはずだった。


つまり、襲撃犯は自分たちと同じ『強化』か。

それとも〝戦争〟時に猛威を振るった、あの『ネクスト』か。


 人工胎盤の中で育ち、遺伝子操作によって人類を超越した肉体を生まれながらにして持った、文字通り、人類という生物の次段階。歴史上、たった二人しか生まれていない存在のはずだが、その二人が〝戦争〟の時には敵の中核となった。たった二人だけで、自分たち『強化』はこの〝塔〟を陥落させるのに、一年以上の時間を要した。


 もし襲撃者が『ネクスト』であるならば、その存在は一層の謎に包まれる。どうやって生まれたのか。これまでどこにいたのか。三人目の『ネクスト』の目的は、何なのか。


 昨日、ミネルヴァは『旧市街』に降りた。そこで何らかの手掛かりを掴んだのだろうか。だから『上層』に帰るなり、精鋭を引き連れてここへ来た。


 また銃声が響いた。暴力の内容に反比例して、冗談のように軽い音が連続する。続いて轟音。これはミネルヴァの仕業だ。


 仮に襲撃者が『ネクスト』ではなく、どこかで『強化』になった人間だとしても、ミネルヴァを相手に回して、ここまで戦うことは困難だ。戦闘特化『強化』、強襲形式だったとしても、ミネルヴァに勝るためには、『強化』になることももちろん、その構成部品の品質、そしてベースになる肉体に備わった身体能力まで最高基準の人間でなければ不可能だ。


 やはり、相手は…… カラエフがそこまで考えた時だ。フェンスの向こうの〝塔〟の影に重なるようにして、別の影が動いた。影の中を動く影など、『非強化』には絶対に識別できないが、『強化』されたカラエフの目には、それを識別できる能力があった。


 そして、カラエフは息を呑んだ。驚愕が全身を稲妻のように撃ち、指一つ動かせない。無意識のうちに自分の眼球が飛び出さんほどに見開かれているのがわかる。


 なぜお前がここにいる。叫びが喉から迸る寸前で止まった。目の前のフェンスに身体がぶつかりそうになり、高圧電流が流れていることに寸でのところで気が付いた。


 あの影を見間違えるはずはない。カラエフは瞬間的に網膜に刻みつけられた影を思い起こす。


 あれは、灰谷光輝だった。


 お前は何も知らないはずだろう。なぜお前がここにいる。なぜお前が危険を冒す必要がある。なぜお前まで命を急ぐ。カラエフは強く奥歯を噛み締めた。


 なぜ、お前まで、わたしを裏切る。


 光輝の監視者はカラエフだった。カラエフ自身が志願した。〝戦争〟終結時に結ばれた密約を、この男が守り通すかどうか、それを監視し続けるのが、カラエフの役目だった。


 光輝は従順に密約を守り通して十五年間生きて来た。それはカラエフがあの日、猛烈に憧れた二人の『ネクスト』の間にあった、狂信的にさえ思える信頼関係の延長上にあるものだった。


 誰も信用できない男が、生き残ったもう一人の『ネクスト』のことだけは、信用し始めていた。監視者である自分と密約を順守する男の間には、奇妙な友情さえ芽生え始めている、と感じ始めていた。もしこれが本当に友情であるならば、カラエフにとっては生涯で唯一、友と呼べる存在だった。


 その光輝が、カラエフには何も告げず、密約の条項の一つを破っている。つまり、『ネクスト』は『旧市街』に住み、『上層』へは侵入してはならない、という条項だ。


 この場にいるということはつまり、襲撃者を追ってのことだろう。あくまで密約を順守し、襲撃者を捉えて事を荒立てないようにするつもりなのか、それともミネルヴァから襲撃者を守るつもりなのか。守るつもりだとすれば、襲撃者は何者なのか。十五年、守り続けてきた密約を、一部とはいえ破ってまで、光輝が守りたい存在とは、いったい何者なのか。


 ふいに、あの日の光景が蘇った。〝戦争〟の最後、二人の『ネクスト』は、絶望的な戦場を、たった二人で戦い抜いていた。互いの背中を守りながら……


「……死に急ぐんじゃない、コーキ!」


 押し込めていた感情が声になった。その瞬間、目の前のフェンスが弾け飛んだ。カラエフが〝能力〟を解放した瞬間だった。


 目の前に丸く穴をあけた電流フェンスをくぐる。カラエフは走り始めていた。ミネルヴァのように爆発的な速度ではないが、『強化』の脚は『非強化』の脚力を大きく上回っている。残骸に飛び乗り、影が消えて行った〝塔〟の方向へ走り始めた。


 友が死ぬのは見たくない。


『七同盟』の一人としての、一犯罪組織の長としての頭は働かず、カラエフは八十年以上生きてきて、ようやく巡り合ったその感情と、その相手のことばかりを考えていた。

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