第6話『負け犬』

 薄暗闇の『旧市街』に、陽の光が射したかのようだった。


 駅施設を出た光輝は、争いの音を聞きつけた。身をひそめながら人影のない大きな通りを駆け抜け、音のする方へと足を向けた。商業ビルを取り囲む一団が見え、『強化』か? と疑った時だった。強い光が商業ビルの前で輝き、同時にどーん、という大きな音が正面から叩き付けられた。

 何かが空中で爆発したことはわかった。閃光は、爆炎だ。狂ったような赤い炎が『旧市街』の空中で燃え盛り、まがい物の太陽となって辺りを照らしていた。

 爆発物を投げ上げたのだろうか。爆炎の核となったものはすぐに地上に落ち、『旧市街』は常の薄闇を取り戻した。


「ミネルヴァ様!」


「ミネルヴァ様、お怪我は!」


 いくつかの影が動き、一か所に集まって行くのが見えた。二十メートルほど離れた位置に放置された廃車の影からそれを見た光輝は、ミネルヴァ、という名に舌打ちした。この街で、ミネルヴァといえば、一人しか思い浮かばない。あいつだ。あの〝毒蛇〟だ。


「……くそじじいがっ!」


 猛烈に苛立った声に続いて、何かに当たり散らす破壊音が聞こえた。それでもどこか妖艶さを感じるこの声。この苛立ち。間違いない。あの女だ。


 部下が案ずる言葉を無視し、無視されていることに気づかない部下がさらに声をかけると、その『強化』は次の瞬間、頭を掴まれ、地面に叩き付けられた。そうして取り巻きをかき分け、『旧市街』にはあまりにも不釣り合いな紅いドレスが光輝の目の前に現れた。


「撤収だ。女を探す」


 大きな声を張り上げ、部下たちに令すると、ミネルヴァはすぐそばに止めてあった大型車に乗り込もうとした。

 五台止められた車はすべて大きな車輪を持つ不整地踏破車だ。『強化』たちが『旧市街』へやって来る場合、まず街の各所に設置された、専用の高速エレベータで地上へ降り、そこからは整備されていない荒れ果てた街中を、大型の不整地踏破車で移動するのが常だ。

 ドアを開け、ミネルヴァはドレスには全く似合わない大型車両に乗り込もうとしている。光輝はその姿を無意識に追っていた。

 と、乗り込もうと足をかけたミネルヴァの動きが止まった。


「誰だっ!」


 叫び声が上がったと思った瞬間、ミネルヴァの姿がその場から消えていた。紅い残像がほんのわずか、薄闇に見え、たったいままで足をかけていた大型車が激しく揺れていたが、ミネルヴァの姿は完全に消失していた。

 

 上。


 光輝がほんの一瞬の遅れでその動きに気づいたのは、半分は残像をある程度追えたからだが、残りの半分は勘だった。実際にその姿は確かめず、脊髄反射の領域で光輝はとにかく身を退いた。

 次の瞬間、何かが飛来し、光輝がほんの一瞬前まで隠れていた廃車が爆発した。炎は見えなかったし、煙も上がらなかったが、それは爆発という表現が一番適当だった。轟音と共に廃車は原形も残らぬほど潰れ、赤く錆びた金属の破片が弾け飛んだ。


「つくづく、今日は縁がある日だねぇ……望んでもいないってのに」


 鉄の塊の上に、紅い影が立っていた。廃車をスクラップに変えたのが、ドレスのスリットから覗く、艶めかし脚から放たれた蹴撃であることは、間違いなかった。


 十五年前と変わらぬ破壊力だった。だがそれだけの破壊をしてなお、苦々しい思いを噛み潰す、苛立ったミネルヴァ・ハルクの口調には、明らかな殺意が感じられた。


「お前の居住指定地域はシンジュク一帯のはずだろう? こんなところにいるのはまずいんじゃないのか、〝魔弾の射手〟?」


 光輝は応えなかった。応えられる何も持ち合わせていなかった。ミネルヴァのいうことは正しく、いま自分がシブヤにいることは明らかな協定違反だった。


「……お前も襲撃者を探しているのか? あの亡霊を」


 ミネルヴァはスクラップから降り、光輝に歩み寄った。光輝はただ黙って、しかし視線だけは逸らさずにその姿を見た。


 三歩で目の前に立ったミネルヴァの手が、光輝の顎を撫でた。


「どこでここの情報を手に入れた……いや、お前も心当たりがあったのかい? 老人と女の襲撃者だ。知っていたんじゃないのかい?」


 顎のラインを艶のある滑らかな手が撫でまわす。急に小声になったのは、部下に聞かれたくなかったからだろうか。


「どうなんだい?」


「さぁな」


「お前の答え次第で、この場は見逃してやってもいい。女の居所を知っているのかい?」


「知っていて、ここに来ると思うか?」


 光輝は事実だけを話した。

 光輝はまだ、何も知らなかった。襲撃者が誰なのか。なぜ『七同盟』を襲撃するのか。なぜ『七同盟』を襲撃出来たのか。推察することは出来ても、真実に近づくことは、まだ一歩として出来ていない。

 だが、ミネルヴァは何かを隠している、と判断したのだろう。面白くない、と言っているようにその美貌が歪み、顎を撫でていた手に力が籠った。その手が顎骨を掴み上げる。


「お前の監視者が誰だが知らないが、『協定』そのものをぶち壊しにしてやってもいいんだよ。この街の『非強化』なんぞ、片っ端から蹴り殺してやるよ。それでもいいんだね、えぇ!」


「……本当に知らん。嘘は言ってない」


 気管を圧迫される息苦しさに耐え、光輝はどうにかそれだけを絞り出した。いくら脅しても答えの変わらない光輝の様子に、興味を無くしたのか、ミネルヴァの手が離れた。


「まぁ、お前が嘘をいうはずもないよねぇ。それも『協定』のうちだ」


 ミネルヴァが笑う。必要以上に口角を吊り上げた笑みは禍々しく、光輝は思わず目を逸らした。


「ここでわたしと戦うかい? クルスの仇を討つかい? それもお前にはできないだろう? それも『協定』のうちだもんねぇ」


 負け犬。


 かつてミネルヴァは光輝を指して、そう呼んだ。その言葉の的確さに、その時の光輝は反論できなかった。直接の言葉こそないが、ミネルヴァはいま、それと同じことを言っている。そしてまた、光輝は反論することができない。


「何のつもりでここまで来たか知らないが、見逃してやるよ。戦えもしない男に興味はないね」


 言ったときにはもう、ミネルヴァは光輝を見ていなかった。完全に光輝に対する関心を失った背中は、次の獲物に向けて歩き出していた。自分より弱い存在などと関わるのは時間の無駄、常に強い存在を求め、それを破ることで欲求を満たしてきた女にとって、いまの自分は歯牙にもかからない存在なのだ、と光輝は改めて思い知らされた。


「あそこにグレイはいないよ。もうこの世にも、ね」


 こちらを振り返りもせず、去って行く背中が言った。


 その向こうに、光輝は円柱状に見える商業ビルを見ていた。

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