Chapter.1

支配者

第1話 魔都、トーキョー

 その始まりを正せば、医療におけるインプラント技術に行き当たる。


 臓器や骨格が、疾病や外傷によって機能を喪失、欠損した場合に、その機能を回復するため、体内に器具や機材を埋め込むインプラント技術は、医療技術の発展と共に目覚しい発達を遂げて行った。純正チタン金属は、生体との親和性が高く、拒絶反応も起こさないと知れると、今度は移植機械の多様化と移植技術の簡易化が始まった。


 医療の枠を飛び出した生体移植技術は、人々の生活を一変させて行く。例えば徒歩での移動を助けるために、足にインプラントを施し、筋肉と関節の動きを補助する技術であったりするような身近で、しかも簡単にできる施術は、人々の生活に瞬く間に浸透し、すぐにその存在を確立させて行った。


 そうした万人の生活に根ざしたものが次々と生み出される一方、発達の対象は兵器産業にも伸びていた。先進各国では表沙汰にされない部分で、これらの研究に巨額が投じられ、さまざまな機器が生まれ、技術革新が起こりもした。護身用として各国のヴィップたちは、こぞって自らの身体に『インプラントウエポン』を装備し、親衛の兵士にも手術を施して、そうして行くことが一つの権威の象徴、権力の証であると誰もが認識するようになっていた。


 そして二十二世紀。

 世界には過去に存在しなかった、しかしひどく前時代的なヒエラルキーが誕生していた。


 すなわち、機械で肉体を『強化ブーステッド』したものと、そうでないもの、『非強化アンブーステッド』という階級世界である。


『強化』は人体の六割以上を機械部品に置き換えており、同じ人間、同じ生き物であるとは思えない屈強な肉体を持ち、「脳が破壊されない限り死なない」とまで言われるほど長命であり、身体に内装されている兵器は主に『非強化』たちを虐げるために使われた。肉体的な優位は選民思想を生み、自らを進化した人類、新人類であると位置づけた『強化』人間たちは、『非強化』の人間たちを暴力的に隷属させていった。


 資本主義経済下、最新のインプラント技術を取り入れることができたのは、元々金銭的に余裕のある人間たちだった。『強化』となった富めるものはより富み、『非強化』のままであったものたちは、より劣悪な環境へと貶められた。

 技術や道具、住む建物や纏う物だけが、未だ急速に発展し続ける人類世界は、その中身として石器時代以前の、暴力的支配を容認し、これまで求められてきた人間としての美徳、その全てを置き去りにして、その歴史を刻み続けていた。





 トーキョー。


 二十世紀半ばまで続いた世界大戦に敗れ、後に戦勝国の庇護の元、驚異的な復興と経済発展を遂げた国家が、その基礎を築いた、世界最大の貿易都市である。


 しかし二十二世紀現在、この街に首都を置く国は存在しない。二十世紀末から二十一世紀初頭にかけて起こった経済恐慌は、全世界に波及して、それまでの世界のありよう、各国家間の構図まで塗り替えていった。六十年以上の長きに渡り、大戦最大の戦勝国の陰に隠れ、金銭的価値観だけを肥大化させ、餓えた心をモノとカネで満たしてきたその国は、未曾有の経済危機に至った時でさえ、自ら考え、乗り切る力を持たなかった。誰かがどうにかしてくれるだろう、と戦勝国に期待をしたが、安全保障条約と名づけられた仮想敵に対する同盟条約も、経済恐慌という〝敵〟の前には意味を成さなかった。やがて戦勝国は自分たちの船底に開いた穴に恐れをなし、重荷としてその国を世界の海に放り出した。一人では立ち上がることも、泳ぐことも出来なかったその国は、緩やかに深海へと沈んでいった。


 国家としての機能を喪い、完全な無法地帯と化した一時期を過ぎ、そして二十二世紀を迎えたいま、この地は裏社会発展の温床となっていた。


 経済流通、貿易航路の観点で世界地図を広げれば、この土地の有用さは一目でわかる。この地は古くから流通の要衝だった。西から東から、様々なものがこの地を経由して世界へ出て行く。そんな土地がタダで手に入る機会を逃すものは、裏社会にはいなかった。麻薬、偽札、人身売買。まっとうとは言えない商品が当たり前のように流通し、大量のカネが行き交った。


 元々ここに存在した国には、そういう土壌があったのかもしれない。これまで日陰に隠れていたものが、表になった。そんな成り行きの自然ささえも感じさせるほど速やかに、街は各国犯罪界のヴィップたちが構えたオフィスが目立つようになり、カネと暴力が形骸化した公共機関を飲み込むようになるまでに、そう時間はかからなかった。


 現在、この地は世界でたった一つの、国家による無統治、『商人』たちによる完全自治都市として存在していた。


 世界の人々は、恐怖をその顔に浮かべてこの地をこう呼ぶ。



 魔都、と。





「コーヒー、アメリカンで」


 カウンターに差し出したコインの表には、朱の十字が複数描かれている。当然、通貨ではないそのメダルは、一目してコーヒーの対価にはならないものとわかるはずだが、それを見下ろす強面の店主は、黙ってコップを磨いていた。

 しばらくして、店主はメダルを差し出した手をなぞるようにして、ゆっくりと視線を上げた。喫茶店の店主としては鋭すぎる眼光を、タクヤは苦笑いを作って受け止めた。

 ブラックのスーツの胸元を大きく開け、ピンクのシャツの襟を立たせて着崩したこちらの姿を、『強化』相手に乱痴気騒ぎを提供し、媚び諂う事で生計を立てている歓楽街の『非強化』そのものと受け取ったか。それとも二十代に入って間もない童顔から、このメダルが出てきたことが信じられないのか。店主は品定めする視線を向け続けた。

 トーキョーの西部地区、かつてシンジュクと呼ばれていた街の奥。街の機能のほとんどが機械化され、夜なお光り輝く『強化』街区の足元に広がる闇。『非強化』たちが寄り添い、暴力を恐れて細々と暮らす『旧市街』にある小さな喫茶店には、客の姿は一人もなかった。

 二十一世紀以前からあるのでは、と思わせる古い木造建築の店内は、レトロな雰囲気、と言えば聞こえはいい。だがその実、倒壊の危険性を持ちながら、直すだけの余力もない『非強化』の、虐げられた現実を十分に物語っていた。

 ただ、そうした『非強化』らしい店に収まりながら、カウンターに立ってこちらを見下ろす店主の視線は、『非強化』らしからぬ輝きを宿しているように見える。そう見えるのはおれが、この人のを知っているからか、と内心で思い直したタクヤは、黙って店主の視線を受け止め続けた。


「……一番奥だ」


 終に店主はメダルを手に取ることはなかった。カウンターの奥を指示し、ただそれだけを口にすると、もう用はない、とでも言うように、二度と視線を送ることもなかった。

 メダルを上着のポケットに戻してその場を離れたタクヤにしても、それだけ聞き出せれば十分だった。店の入口から一番遠い隅に設置された、トイレ区画へと足を向ける。

『Restroom』と書かれた表示を認めながら中に入ったタクヤは、立ち止まって内部を見渡した。

 個室が三つ並んでいる公共トイレにも、客らしいものの姿はなかった。まっとうなのは誰も来てないのか、と声にはせずにつぶやいて、タクヤは店主に言われた通り、一番奥の個室の前に立った。

『使用禁止』と大きく赤字で張られた扉を押し開ける。中は何ゆえ使用禁止だったのか、疑いたくなるほどきれいに清掃が行き届いていた。だが、トイレの個室であることに変わりはなかった。

 何でここなんだ? タクヤは眉間に皺を寄せて少し考えた末、思いついたことをすぐさま実行した。

 個室の主である白い便器に手を伸ばす。探るように、右端につけられた取っ手を掴んだ。それは本来、水洗を行うためのものだ。タクヤはそれを、手前に引いた。だが、本来のそれと同じ反応は返らなかった。水道管が震動する気配もなく、一滴の水も流れない便器の底を覗いて、違ったか、とタクヤが考えた時だった。ぱたん、という軽い音をさせて、便器の背後の壁が開いた。

 よく見れば、確かに扉になっている。思わず口笛を吹いたタクヤは、わずかに開いた隙間に右手をかけた。音同様にまったく重さのない扉はすんなりと開き、その奥に広がる闇を覗かせた。


「この非常時に、あんたがこんなところで遊んでる場合じゃないだろう……」


 闇の奥にわずかな光が見え、その光の中にいるはずの人物に向かい、恨み言を吐き出したタクヤは、恐れるよりも急ぐ心に背中を押され、闇の中に飛び込んだ。

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