第51話 最後の夜、初めての……
「誰か来たか?」
リンクとコリンズは揃って地下牢から出るなり、番人を務めていたシリアナに問いかけた。
「えぇ。ブール学院の生徒たちが何名か、剣呑な雰囲気でやってきました」
目的は訊くまでもなかった。
現実逃避からの八つ当たり。
軽傷の人間のすべてが運に恵まれたわけではない。戦いを恐れたからこそ、大きな怪我をせずに済んだ者も少なからずいる。
そういった者たちにとって、今の状況は耐えがたいに違いない。人がいない以上、否応なしに負傷した学友たちを見ていなけらばならないのだから。
「スーリヤは?」
リンクは尋ねるも、シリアナは首を振った。
「そうか。悪いが、ここを頼む。また、下らないことを考える輩が来るかもしれないからな」
シリアナは自分の主人に伺いを立ててから、返事をした。
「わかりました。スーリヤ様であっても、拒否してよろしいんですよね?」
「あぁ。あいつも通す必要はない」
リンクの態度に物問いたげな顔をするも、コリンズの忠実なる奴隷は頷きだけに留めた。
「では、軍師殿――」
シリアナを残して、二人は別々の道を進む。
明日の茶番に向けて、それぞれがやるべきことを行う。
コリンズは奴隷を引き連れて森の自由民の元へ、リンクは負傷者に付き添っていたスーリヤを訪ねる。
「少しは休んだらどうだ?」
少女は思いつめた顔をしていた。
いつもの勝気な態度が嘘のように、しおらしい物腰で顔を向ける。
「……リンクか」
戦いが終わってから剣を返却されて以来、初めての会話。
言われた通りにしなかったことを怒られるのではないのかと、スーリヤは気持ち怯えていた。
「できることはもうないんだろう?」
「あぁ、そうだな」
「だったら、ここから離れるべきだ。いつまでもスーリヤがいたんじゃ、怪我人だって休まらない」
傷ついた少女の背中に手をやり、リンクは無理矢理歩かせる。
フィリスが文句を言いたげな顔をするも、視線だけで黙らせた。
スーリヤに休息が必要なのは同感だったが、フィリスは説明できない不安に苛まれていた。
リンクは怪我人が並ぶ寝台をほとんど見なかった。
たった一瞬、ゴミを見るような目を向けただけ。戦場の男は性格が変わると聞くが、こうも違うとどう接していいかわからない。
憔悴しているからか、スーリヤはその変化にまだ気づいていないようだった。
スーリヤを部屋の寝台に座らせると、リンクは手慣れた様子でお茶の用意をした。
香りに誘われるようにスーリヤは立ち上がろうとするも、リンクは猫足の小さな丸テーブルを寝台の傍に付け、その場で飲めるように計らう。
そして、少女が心を落ち着かせている間に厨房へと顔を出し、幾つかの果物と木の実を見繕ってきた。
「これくらいなら、食べられるだろう」
「……すまない」
らしくない謝罪を述べてから、スーリヤは小さな口にクルミを一粒だけ運ぶ。
慎ましいを通り越した速度ではあるが、リンクはなにも言わなかった。
しばらく、沈黙が続く。
丸テーブルを挟んでリンクは立ったまま、落ち込んでいる少女を見下ろす。
気落ちしているスーリヤはその態度を無礼とも言わず、また座るよう気を利かせることもできなかった。
「本来なら、スーリヤが知らなくていいことだ」
慰めるわけでなく、リンクは本気で言った。
「必要なのは負傷者の人数であって、それが誰であるかは関係ない。もっとも、兵に慕われることを目的とするなら大いに気にしても構わないが、そうじゃないなら止めておけ。もし、死人が出たら潰れるぞ」
「……わかってはいたんだ。そんなことくらい、わかっては、いたんだ」
堪えきれなかったのか、スーリヤの頬を涙が伝う。
「だが、今回のは必要な戦ではなかった。私は浮かれていたんだ。おまえなら、勝てるんじゃないかって……ただ、それだけの考えで私は……」
「他の奴らを巻き添えにした。おまえの我儘で多くの人間が傷ついた」
泣いて笑って傷ついて、スーリヤの顔は忙しそうであった。
「酷い、な。おまえは……」
「そりゃ、何度も繰り返して言ったことだからな。それでも、選んだのはスーリヤだ。だから、この結果を受け入れなければならない。絶対に弱気を見せちゃならない。兵たちの頑張りと負傷が無駄だったなんて、思わせたら駄目なんだ。おまえは偉そうにふんぞり返って、よくやったと褒めるんだ。それだけで兵たちは救われる」
そこまで一気に喋ると、リンクは悪戯っぽく笑った。
「というわけで、手始めに俺のことを褒めてくれないか?」
「……は?」
「は? とは酷いな。スーリヤが勝てというから、頑張って勝ったというのに」
落ち込んだ様子に慌ててか、スーリヤはちょっと待て、と手を向ける。
「いや、そのなんというか……わたしのこと、怒っていないのか?」
指示を無視した勝手な振る舞いを持ち出されたものだから、少女は動揺していた。
その為、リンクのお願いを素直に受け取れない。
「怒れるわけないだろう? 望める限り、最高の結果が手に入ったんだ」
その答えにスーリヤは胸を撫で下ろす。
いつ切り出されるか、気が気でなかったのだ。
「リンク、そなたはよくやってくれた」
裏がないとわかるなり、皇女は姿勢を正して応えた。
「わたしは凄く嬉しかった。そなたが勝ったことも、こうして無事にいてくれることも。わたしの我儘に付き合ってくれて、本当に感謝している。だから、もし望むモノがあれば言ってくれ。わたしの力が及ぶ限りであれば、なんだって叶えてやる」
「こういう時はありがたき幸せ、とでも言えばいいのか?」
「茶化すな。それで本当になにかないのか?」
「それじゃぁ、手を」
そう言って、リンクはテーブルをどける。
座っている皇女の前に仰々しく片膝を付き、
「なんだ? やっぱり騎士にして貰いたいのか?」
スーリヤは笑って手を差し出した。
不慣れな少年は壊れ物を扱うようにその手を取り、甲へと軽く口付ける。
そのまま顔をあげると、少女は無邪気な表情で喜んでいた。
「男と二人の時は気を付けろと言ったよな?」
リンクは強く手を引き、体勢を崩したスーリヤの唇を奪った。
抵抗はなかった。
寝台から投げ出される形だったので、スーリヤは反射的に目の前の身体を抱きしめていた。
だが、状況を理解した途端――渾身の力で突き飛ばす。
「なっ、なにを……?」
スーリヤは怯えていた。
また、同時に怒ってもいた。
皇女に不埒を働いた男は何事もなかったかのように立ち上がり、背を向ける。
「これでわかったろ? スーリヤに剣を捧げる気がない理由」
「――忘れてやる」
部屋から去ろうとする背中に向かって、スーリヤは投げかけた。
「今のは忘れてやるから……」
それ以上は言えなかった。
振り返ったリンクの顔は今まで見たことがないほど悲しそうで、まるでなにかを諦めたようだったから。
「やっぱ、スーリヤはそう言うよな」
皇女である以上、頷くほかなかった。
「わかっていたさ。わかっていたから……」
それを責めるでもなく、褒めるように笑って……彼は去っていった。
スーリヤはその背中を黙って見送る。
色々と耐え切れなくなった少女は寝台に寝転がり、きつく目を閉じる。
忘れろと言った時の、リンクの顔が瞼から離れない。
恐る恐る手を伸ばし、唇に触れる。初めてだった。それは決して許してはならない行為だった。
「……ばか」
それでも、嫌ではなかった。
ただ、そんな風に思ってしまった自分が嫌で仕方がない 。
「……ばか」
どう考えても、彼と結ばれる未来はあり得ないだろう。
相手は一代騎士の息子ですらない奴隷の可能性もあるのだから、絶対に許されるはずがない。
「リンクの……ばか」
あの男なら、そんなことくらいわかっているはずなのに――どうして?
それとも、結ばれなくても傍にいて欲しいと願うのが我儘なのだろうか?
わからない。スーリヤには少年の気持ちがまったく掴めず、これからどうすべきかも判断がつかなかった。
そんな少女とは裏腹に、少年はもう決めてしまっていた。
だからこその行為だったのだが、スーリヤが気づいた時にはもう手遅れで、どうすることもできなかった。
翌朝、ブール学院は抵抗する暇もなく、シャルオレーネ軍に降伏することになる。
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