第50話 戦士と奴隷と一人の天才
「すべては、リンク=リンセントが原因でした。彼の存在が父の小賢しい計算を狂わせ、同じようにわたくしめの人生も滅茶苦茶にかき回したのです」
意図せず、オルナは笑ってしまう。その笑みはどこか困ったようでありながらも、嬉しさを隠しきれていなかった。
「どうしようもないほどの暗愚だったのか?」
気が緩んでか、ラルフが冗談のように推測する。
続くコリンズの言葉は、冗談に溢れていながらも真剣な抑揚であった。
「スカートを履いて喜ぶような男だったのか?」
オルナは小さく頷く。
コリンズが気づいているのは想定内だった。
「なら、次の質問はこうだ。リンク=リンセントは男であって男でないものだったか。それとも、単に困った趣味の男だったか?」
ラルフは理解が及ばぬようで、なんともいえない顔をしている。
「彼は間違いなく女性を愛していましたので、単に困った趣味の男でしょう」
「どちらににせよ、父親としては堪らんな」
コリンズは事もなげに言ったあと、
「この種の手合いは貴族にもいるのか、話にはよく聞く。嫡男であれば無理にでも子供を作らせてから、そうでなければ即座に幽閉されるらしいが」
困惑しているラルフに説明しつつ、オルナに続きを求めた。
「リンクはそのどちらでもありません。彼は父如きにどうにかできるほど、非凡な人間ではなかったのです。我が主は、わたくしめの知る中で一番の天才でしたから」
遠回しに女装を好む変態に劣ると言われた二人は、申し合わせたかのように酒杯を満たして空にする。
「リンクの趣味が、いつ始まったのかは定かではありません。少なくとも、わたくしめが知っている彼はいつも隠れてスカートを履いていました。当然といえばそうですが、見つかったら無理に脱がされていましたので。彼が女装するのは、わたくしめと母の前だけでした」
聞いていた二人が、揃って納得の意を匂わせる。
「えぇ、そうです。父はわたくしめの母が原因だと、勘違いしてしまったのです。結果、父は怒りに任せて母を処分してしまいました。ですが、それは最悪の手段でした」
オルナの語りは悲哀にこそ滲んでいるものの、父や理不尽に対する怒りとは無縁であった。
「リンクはわたくしめの母を愛していました。そんなのは愛でも恋でもないと思われるかもしれませんが、幼いながらに彼は本気だったのです」
リュウカ・オーピメントからすれば、リンクは主の息子なので丁重に接しなければならなかった。
それを幼い子供が優しさと勘違いして、好意を持っただけのこと。
そんな風に周囲から諭されたリンクは、自分の周りにいる大人すべてを憎むようになった。
「わたくしめの母を失って以来、リンクは大人しく父に従うようになりました。むろん、演技です。その裏でわたくしめに過分な教育を施し、わたくしめが普通の人間として振る舞えるようになると、揃って家を飛び出しました」
母を失ったのが七歳の時。
リンクに手を引かれ、リンセント家を飛び出したのが十歳。
そして十二歳になるまで、二人は子供だけで奔放していたのだ。
「それでも、リンクは定期的に手紙を送っていました。そこでブール学院に入る手続きを進めさせておきながら、わたくしめを送り込んだのです」
身分の詐称は重罪である。
しかも奴隷が騎士の子息を騙ったとなれば、許されることではない。
「奴隷の不始末は主人の不始末。被保護者の責任は家長の責任。自分に害が及ぶのを恐れた父たちには、口を噤むしかありませんでした」
コリンズは内心、してやられた気持ちで一杯だった。
彼の予想ではリンセント家の画策であったが、真実はリンク=リンセント一人の思惑だという。
「リンクの目的はただ一つ、できうる限り父を苦しませてから破滅させることです。その主の意志に従ってわたくしめは――いえ、私はシャルオレーネに組み入りたい」
オルナの思惑を理解して、ラルフは考える。
予定されていた少年の未来は、自国で手柄を立てたあとに咎められるといったもの。
それは結果的にリンセント家の家長を陥れるだろうが、その過程で少年自身も裁かれる可能性は否めない。
「オルナ、といったか。おまえは本当に奴隷なのか?」
「物心ついた頃から、寝る時には鎖で繋がれておりました」
それがすべてだった。
どれだけ自由があって恵まれていようとも、その一点がある限り、自分が人間だとは思えない。
それでも、この選択は間違いなくオルナの意思である。
リンクの命令には背いてはいないものの、決して従っているわけでもない。
そもそも、最後の命令は好きに生きろというものだった。
――もう私のことなんて考えなくていい。誰のモノでもなく、一人の人間として生きろ。
そんな無茶を言って、リンクは奴隷を手放した。
けど、解放されたからといってオルナに生きる目的なんてなかった。
結局は、主の目的に沿うことでしか生きていけなかった。
それが、スーリヤに出会ってから転じたのだ。
今では別の、オルナ自身の目的が確かにある。
しかし、それだけは口に出すことすら許されなかった。
この件に関しては、シャルオレーネに隠し通さなければならない。
その一心で紡ぎだした説得の数々。
果たして通じたのか、ラルフは大きく諦観の息を漏らした。
「この件に関する、コリンズ皇子の立ち位置は?」
「一つは保証人。敵国の皇子の言葉など信頼に値せんかもしれんが、軍師殿の裏に北方帝国がいないこと――俺が保証する」
「もう一つは?」
「一種の顔合わせだ」
コリンズは物騒な笑みを浮かべる。
「俺は近い将来、南方帝国を我が物にする。そして情勢によっては、そのまま帝国という枠組みから脱するつもりだ。その際、貴国とはよりよい友になれたらいいと願っている」
とんでもない情報に狼狽えてしまうも、ラルフは年長者の意地でもって踏みとどまる。
「……なるほど。私の立場ではなんの保障にもなりませんが、その要請は是非ともお受けしたいと存じ上げます」
それには、オルナ・オーピメントが必要不可欠であることは言われるまでもなくわかっていた。
「オルナ・オーピメント。一先ず、おまえを受け入れる。だが、最終的な決定を下すのはメルディーナ様だということを忘れるな」
「えぇ、存じております。それでも、貴方のご厚意にお礼を申し上げます」
口に出すまでもなく、三人は酒杯を満たして目前に掲げた。
それぞれが視線を交わす。
またしても子供にしてやられたとラルフは複雑な心境であったが、これが自分の運命だと諦める。
コリンズは心の内で震えていた。もう引くことはできない。さもなくば、いつかここにいる二人を敵に回すことになる。
だから、自らの野望と真摯に向き合う覚悟を決める。
そして、オルナは心の底から安堵していた。
ラルフ〈大人〉に通じたのだから王女〈子供〉にも通じるだろうと、自分たちのことを棚に上げて楽観視していた。
そうして、三人は同じタイミングで酒杯を口へと運んだ。
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