第44話 敗北の流れ、逆転の兆し

「ガキがっ!」

 

 罵声と共に繰り出された突きを、リンクは大きく飛び退いてかわす。

 その不自然な動きで、ラルフは張り巡らされている罠に気づいた。地面を穂先で突くと、腰まで埋まるほどの落とし穴。

 そこから連続的に思考が繋がり、突如出現した敵の手品もわかった。


「そういうことかっ!」

 

 吐き捨て、槍をぶん投げる。

 ここでは、地面から伸びる槍の柄が邪魔で満足に振るえなかった。リンクが投擲を受けている間にラルフは腰の剣を抜き放ち、一閃。

 

 鬱陶しい柄をぶった切り、猛攻を仕掛ける。

 

 剣と槍がぶつかり、リンクの手から武器が弾き飛ばされるも、

「ちっ!」

 舌打ちしたのはラルフだった。

 

 リンクはわざと自分から手放していた。

 

 ラルフも槍を抜こうとするが、ビクともしなかった。生じた隙にリンクが攻撃を仕掛けてくるも、甲冑で受け、事なきを得る。

 

 どうやら、全部の槍が簡単に抜けるわけではないようだ。

 恐ろしいことに、それをリンクは記憶している。彼は時に槍を支点にして、着地点を調整してみせた。

 

 これでは埒が明かないと、ラルフは渾身の力で剣を振りしきる。

 

 次々と伐採されていく槍の柄を見て、リンクは手に持っていた槍を頭上高く放り投げた。

 状況に不釣り合いな行為にラルフの動きが止まるも、長く考える真似はしなかった。

 敵が新しい槍を手に取るのを見て、再び襲い掛かる。


「撤退だな」


 ラルフにとっては理解不能な行動でも、城壁の上から眺めていたコリンズからすれば、その意図は明らかだった。


「やはり、無謀だったか」

 

 軍勢での勝負では、万に一つも勝ち目がないのは初めからわかっていた。

 だからこそ、敵の指揮官を捕虜にして戦いを収めようとしていたのだが、それすらも無謀だったようだ。

 まさか、罠だらけの有利な戦場に誘きだしてなお、防戦一方になるとは……。


「そっちはどうだ?」

「そろそろ、時間稼ぎも限界ですね」

 

 遠見鏡をのぞき込んでいたシリアナが困ったように答える。


「ブール学院の生徒たちは、羊の群れのようにあしらわれています」

「俺の奴隷たちも似たようなものだ」

 

 奴隷たちは敵と向き合っているだけで、戦ってすらいない。


「ただありがたいことに、こちらの目論見に気づいていながらも敵が乗ってくれている」

 

 奴隷たちが命じられた仕事はただ一つ、リンクの一騎打ちを邪魔させないこと。


「逃げるぞ、スーリヤ」

「……」

「やはり、気絶させねばならんか?」


「スーリヤ様」

 フィリスが間に入るも、スーリヤは反応を示さない。一心に地上の様子を見下ろしている。


 コリンズは息を吐き、顎でフィリスに指示を出す。同時に鞘に納めたまま剣を握り、長く待つつもりがないことも伝えた。


「スーリヤ様。私たちはリンク=リンセントの指示に従わないとなりません」

 

 主の腕を掴んでから、フィリスは言い聞かせる。


「そう、約束したはずです」

「……あいつはまだ戦っている」

「私たちが逃げる時間を稼いでいるだけです。勝つ為に戦っているわけではありません」

「……わかった」

 

 その返事に胸を撫で下ろすも束の間、

「おまえたちだけで逃げろ。わたしは最後まで見届ける」

 スーリヤは最悪な我儘を口にした。


「馬鹿がっ! それでは軍師殿の苦労が台無しではないか!」

 

 フィリスが口を開く間もなく、コリンズが一喝する。


「貴様は自分の立場をわかっているのか?」

「わかっているとも! 私なら絶対に殺されないとな」 

「本当におめでたい奴だな、貴様は。我々は帝国だぞ? 皇女を捕虜にされたからといって、むざむざと身代金を支払うような腰抜けを他の正帝が許すと思うのか? それ以前に北方正帝が黙っているはずがない。どれほどの犠牲を払おうとも、敵がアトラスに戻る前に片を付ける。その過程で貴様が死ぬことになってもだ」

 

 激高を隠そうともせず、コリンズは捲し立てる。


「そうなれば即開戦だ。貴様のせいで大勢の兵が死ぬぞ。捕虜を死なせたとなれば降伏の権利はなくなるからな。たとえ、貴様が生きて戻ったとしても同じだ。弱小国家に舐められたままでは帝国の威信に関わるとして、北方正帝は報復へと乗り出さざるを得なくなる」

 

 数年前に外敵の排除を終えただけあって、南方帝国は多くの戦を経験していた。

 コリンズは年齢的に参戦こそしていないものの、突発的な戦がどれほどの被害を生むかは詳しく聞かされていた。


「だが、そんな展開はどちらも望んでいない。だからこそ、軍師殿は逃げろと言ったんだ。我々さえいなければ、この戦いはつまらぬ小競り合いにしかならない。負けたところで、大した痛手にもな」

 

 それどころか、シャルオレーネ王国を責める大義名分が手に入る。


「スーリヤ、貴様は北方帝国のシンボルの一つなんだぞ。貴様の身になにかあれば、多くの民が怒りを禁じえない。その意味が、本当にわかっているのか?」

 

 焦燥に追われながらも、コリンズは言い尽くした。

 これでわからないようなら、言葉にもう用はない。黙って連れていくだけだ。スーリヤは都合よく剣を帯びていないので、ものの数秒で事足りる。

 

 決断を迫られた皇女は、今にも泣きだしそうな顔で立ち尽くしていた。

 自分の我儘と自惚れが招いた結果。

 逃げるにしても留まるにしても、責任感が邪魔をする。


「一つ、よろしいでしょうか?」

 

 一触即発の空気に怯んでか、シリアナは恐る恐る窺いを立ててきた。


「なんだ? 下らないことを言ったらここから叩き落すぞ」

「怖いことを言わないでくださいよ、コリンズ様。それに私が申し上げたいのはスーリヤ様にです」


「コリンズの奴隷が私になにを申すつもりだ?」

 こちらも機嫌が最悪である。


「命令してみてください。もしかすると、まだ諦めるのは早いかもしれません」

「命令? どういう意味だ?」

「私が見たところ、リンク=リンセントは本気で戦っていません。おそらく、負けても構わないと思っているからでしょう。だから、スーリヤ様が命令してください。――勝て、と。そうすれば、きっと彼は全力で勝ちに行くと思います」

「それがどういう意味か、わかって言っているのか?」

 

 コリンズが苦言を呈す。


「むざむざと、敵にスーリヤ様の存在を教えることになるのはわかっています。でもだからこそ、リンク=リンセントは必死になるはずです」

「ただでさえ一か八かだというのに、更に賭けろというのか?」

「もちろん、私たちまで付き合う必要はありませんよ?」

 

 コリンズは髪をかきむしり、吐き捨てる。


「さっさと叫べ、スーリヤ。今だけなら、貴様のやかましさに目を瞑ってやる」

 

 満面の笑みで頷くなり、スーリヤは胸壁の間から身を乗り出す。そのまま落ちるのではないのかと思われる威勢の良さに、フィリスが後ろから抱きすくめる。


「――リンクっ!」

 

 自分の危うさなどまったく顧みず、少女は少年の名前を呼んだ。

 そして、一言――


「――勝てっ!」

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