第19話 他者に曲げられた剣
周囲の反応など関係なかった。
リンクの視線はこの場で一番の権力者、ディルドにのみ注がれていた。
「随分と
ディルドはこの場に剣を放り投げた無礼を咎めなかった。
それにより、誰もが口を閉ざして沈黙。東方帝国の皇子もまた、リンクだけを見ている。
「ここは随分な田舎でございますので」
いけしゃぁしゃぁとリンクは言い放つ。
それでも会話は成立し――
主の視界を遮らないよう、立ちふさがっていた女奴隷が道を開ける。
「俺の高名も届かない、と」
そうして、踏み込めば届く距離でリンクはディルドと対面した。
帝国人らしい彫りの深い顔立ち。年は十八と聞いているが、既に大人顔負けの体格をしている。
「左様でございます。もしよろしければ、お聞かせ願えますでしょうか?」
「まず、俺に名乗らせるか」
「わたくしめのような下賤な身の名で、ディルド様のお耳を煩わせる必要はないかと」
すらすらと、リンクは滑らせる。
殺すような目をしているのは二人だけ――当然、彼を知っているスーリヤとフィリスだ。
二人して、さっさと謝れだの黙れだのと訴えかけてくる。
怒りを示していたはずのスレイブはディルドの機嫌を気にしているようで、リンクには興味を抱いていない。
対して、コリンズは楽しそうに自分の奴隷と会話をしている。
「構わん。俺が許すから名乗れ」
そして、当の本人はもっと楽しませろと目で語っていた。
リンクの推測通り、無抵抗の賢い人間よりも生意気に抗う相手を屈服させるほうがお好きなようだ。
「――リンク・アン・リンセントと申します。戦の功によって取り上げられた、一代騎士の嫡男に過ぎない男です」
「確かに、聞かぬ名だ」
上ではきっと、ブール学院の面々が息を呑んで見守っている。グノワとアーサーは呆れているか、感心しているか。
リアルガに至っては、間違いなく青ざめているに違いない。
「なのに、この場に割って入ったか」
「えぇ。うっかり、手を滑らせてしまったばっかりに」
スーリヤの方向から、鞘鳴りの音がする。
もしかしなくとも、早い内に斬ってしまったほうがマシだと思われているのかもしれない。
「仮にも、騎士が剣を滑らせるか」
「所詮は、下賤の身で生まれたモノですので」
しかし、リンクとしては相手を楽しませるほか選ぶ道はなかった。
ここに来たばかりの頃、スーリヤは対等の友人を欲していた。
ディルドもそうとは限らないが、
それでも、不敬罪で罰せられないよう言葉だけは丁寧に。
「それでは、仕方ないですね」
リンクが頭を働かせながら言葉を待っていると、まさかの乱入者。
「邪魔をするか、イラマ」
ディルドの奴隷が剣を胸の谷間に挟むようにして、近づいてくる。
「はい、どうぞ」
正面に立たれると、圧迫感を覚えるほどの上背と胸元。
「こうやって持てば、落とす心配もないでしょ?」
首を傾げ、この辺りでは見かけない
なにを企んでいるのか、それともそう躾られているのか、イラマの瞳は真っ直ぐだった。
本当に零れ落ちてしまったかのようにリンクの言葉は弱々しく、
「ありがとう」
差し出された剣を両手で受け取った。
「どういたしまして」
どこ吹く風で、イラマは主の元に帰る。
しなだれるよう抱きつき、耳元で何事かを囁いている。
「――本当か?」
疑念に満ちた声でディルドが問いただすと、
「さぁ? わたしがそう思っただけです」
なんともいえない、回答をしていた。
さすがのリンクも状況が読めず、棒立ちするしかない。
「おまえがそう言うのなら信じよう」
意外にもディルドは奴隷の言葉を信じて、腰の剣を抜いた。
「貴様も抜け。自らを下賤の身と称す騎士よ」
「ご冗談を……」
「――抜け。これは命令だ」
有無を言わせぬ語気に、リンクは刃を晒す。
「待――んぐっ!?」
またしても、スーリヤの砲声は響かなかった。
フィリスが両手で口を塞ぎ、駄目です、と抑え込んでいる。
――が、そこまですると、明言しているようなものだ。
「おまえはスーリヤの騎士なのか?」
案の定、ディルドは察していた。
「いいえ。わたくしたちは、あくまで友人でございます」
「友人、か。まぁ、その程度なら許されてもいいだろう。少なくとも、俺は許してやる」
ディルドの物言いは深く刺さった。
「――ほぅ、急にやる気になったな」
気づけば、リンクにも攻撃的な感情が宿っていた。
「――剣を抜け、とのご命令でしたので」
「おまえが騎士道を語るか、面白い」
互いに、剣を左肩に担ぐように持つ。共に右利き、左から右へと切り払うか、上から下へと振り下ろす動きを想定した構え。
剣の種類は似たようなものだが、大きさはディルドのほうが勝っていた。
全力でぶつかり合えば、リンクの剣は曲がるか折れるだろう。
剣の長さからいって、単純に大きいほうが重く、重いほうが強い。
また、身体を動かすよりも手を動かすほうが圧倒的に早い以上、扱えるなら武器は長いほうが有利に違いなかった。
「――参ります」
宣言と同時にリンクは地を蹴り、身を低くして迫る。
その初速に、誰もが目を見張った。
ディルドも例外ではない。身体が間に合わず、腕力だけで振るっている。
それでも、リンクより先に届く。武器の長さだけでなく、体格も圧倒的に違う為――とても、受けられるモノではなかった。
だとすると、リンクには避けるしかない。仕掛けておきながら急停止し、目前の風が斬られる。
恐ろしいことに、腕力だけでこちらの全身全霊を凌駕しかねない威力であった。
剣を振り切ったディルドは、次の攻撃に時間を要する。が、足は動く。たった一歩。それだけで、リンクが詰めなければならない距離は絶望的となる。
間合いが違う。
足を止めたまま攻撃できるディルドと、足を動かさないと攻撃にならないリンク。相手が距離を間違わない限り、この差は埋まりようがなかった。
何気なく振るわれた剣戟でさえ、リンクには致命的なのだ。
まさに戦場の剣。小手先の技術で、どうこうできる威力じゃない。
その上、驕るほどの力量差がありながらも、ディルドは退くことを辞さなかった。無謀な戦士ではなく、冷静な軍人。
ますます、リンクには突破口がなくなる。
「はぁはぁ……」
距離がどうしても埋まらない。
どうやっても剣を止められず、リンクは動き回るしかなかった。
「存外、足掻くな」
賛辞を受けて、リンクも気付く。確かに、自分は足掻いていると。勝ちにいくのでもなく、負けを認めもしない。
「やはり、おまえの本質は騎士ではないようだ」
騎士なら不名誉な勝利よりも、無謀な敗北を選ぶ。
足掻くことなく、さっさと突撃する。
姑息に立ち振る舞って負けるという、最低な結末だけには死んでもしない。
――そう、リンクのような真似は絶対にしない。
「そういう貴方様も、貴族らしくありませんね」
酸素が足りていないのか、馬鹿な嫌味を返してしまった。
「さすが、田舎者。帝国の歴史も知らんのか?」
戦で領土を広げた国。皇帝でさえ、戦場に出ないと臆病者と謗られるような軍人国家。
騎士と違い、勝利こそが全て。
敗者に訪れる名誉はない。
絵物語で語られる王侯貴族とは、根本的に違うのだ。
「これは失礼を……」
つい、膝を付きそうになるも踏み止まる。
今の自分は騎士ではないかもしれないが、膝を付いて頭を垂れるような人間でもないと――リンクは剣を構え直す。
「来い――
騎兵が好む言葉を口にして、ディルドは誘う。
「承知いたしました――行きます、ゴーイング・フル・ティルト」
リンクは呼吸を整える。
来いと言っただけあって、ディルドは待ち構えている。
だから、隙を衝くような真似はしなかった。
音に出していた呼気を止め――踏み込む。
声にならない声をあげ、強く、早く、渾身の一撃を叩きつける。
果たして、リンクの剣は吹き飛んだ。
強力な振り下ろしに対して、ディルドはまったく逆の剣戟を放った。
双方の刃が噛み合うなり、自分の剣が折れる未来をリンクは悟った――瞬間、腕に衝撃。
無造作に飛んできたディルドの蹴りが腕を捉えた。
結果、剣は奏でた。
あっさりと持ち主の腕から飛び立ち、地面へと落ちる。
「騎士の剣が折れる時は死ぬ時と言うが」
つまらなさそうに言い、ディルドは剣を収める。
「――曲がった場合はどうなんだ?」
口振りからして、わざと折らなかったことが窺える。
「……さぁ? どうなるのでしょうか?」
役者が違う。
リンクは自分とディルドの格の差に打ちのめされ、その場で座り込む。
「知らんか。さすが、成り上がりだな」
本来、曲がった剣は折れたのと同義だが、あえてディルドは違う解釈を求めた。
おそらく、リンクの為に。
「もし、主を変えるというのであれば歓迎するが?」
思ってもいない提案に場が揺れるも、誰も止めようとはしない。スーリヤもそうだ。顔を見れば止めたいのはわかるが、決して意見はしない。
――自分の答えで未来が変わる。
そんな当たり前のことに、リンクは怖気づいていた。
「――冗談だ」
見透かしたかのようにディルドは笑って、踵を返す。
「行くぞ、イラマ」
「もう、よろしいんですの?」
「あぁ、思った以上に良い暇つぶしになった」
ディルドの後ろを奴隷が続き、慌ててスレイブも駆け走る。
二人を除いて、その背中を呆然と見送る。
コリンズとその奴隷は三人とすれ違い――何故か、スーリヤではなくてリンクの前に立った。
「大丈夫ですか?」
女奴隷が出した手をリンクは取り、立ち上がる。
「あぁ、ありがとう」
「どういたしまして」
スーリヤとフィリスは困惑した面持ちで、リンクと女奴隷を見比べていた。
一方、コリンズは自由気ままだった。
曲がった剣を手に取り、
「あの馬鹿力が……。あれで器用なのが、更に苛立たせてくれる」
一度、二度と地面へと叩きつけ――へし折る。
「コリンズ様、他人様の剣を勝手に折るのはどうかと思いますよ」
「黙れ、シリアナ。他者に曲げられた剣など、折れたほうがマシだ」
高尚な答えで奴隷の小言をあしらうと、コリンズは堂々とした歩みで近づいてきた。
「おまえ、俺の奴隷にならないか?」
そして開口一番、とんでもない提案を口にした。
「ご冗談を」
先ほどの衝撃よりはマシだったので、リンクは常識的な回答で避ける。
「私如きが、貴方様の役に立つとは思えません」
コリンズをディルドと同等とみなすと、それが本音であった。
「たわけ。使えるかどうかは、俺が決めることだ」
褐色の肌に灰色の髪をなびかせ、コリンズは尊大に言い放つ。
「あのディルドに歯向かった。それだけでおまえは使える」
俺が保証してやる、とリンクにとって否定しづらい言葉まで添えて。
「――いい加減にしろっ!」
と、そこでスーリヤの我慢に限界が訪れた。
彼女もやんごとないお人。平民と比べると、忍耐力があるとはとても言い難い。
「どいつもこいつも……!」
諌止するフィリスを一睨みで引かせたところからして、かなりのご立腹。
「リンクは私の友人だ」
ずこずこと地面を踏み鳴らし、スーリヤはコリンズに真っ向から対峙する。
「奴隷の友人というのも、稀有でいいだろ?」
「そういう問題じゃない!」
涼しい顔でコリンズは応対し、スーリヤは更なる怒りで顔を朱に染めた。
「お互いに、変わった主をお持ちのようですね」
「俺のは主じゃないさ」
気安く話しかけられた所為で、リンクは普通に接してしまった。
「あらっ? なら、本当にご友人なのですか?」
驚いたように、シリアナは尋ねる。
「……あぁ、そうだ」
負い目を感じながらも、リンクは肯定した。
「――強欲、なのですね」
シリアナの瞳が細まる。
珍しい緑色の瞳に魅入られ、
「あぁ……俺は強欲なんだ」
リンクはつい、吐露してしまった。
「でも、それでこそ人間じゃありませんか?」
打って変わって、シリアナは労わる微笑みを浮かべた。
「他の誰がなんと言おうとも、私はあなたを否定したりはしません」
応援はできませんけどね、と悪戯っぽく笑ってからシリアナは主の傍らに身を置く。
「……大丈夫ですか?」
入れ替わるように、フィリスが声をかけてきた。
「剣が折れただけだ」
「随分と軽いのですね。仮にも、騎士でしょう?」
「騎士の息子ってだけだ」
「……それは、騎士に相違ありません」
「帝国の法に基づけばな」
「――リンク=リンセント。やはり、あなたは……」
出だしは咎める口調であったが、後半は同情に滲んでいた。
「――おぃ、そこの二人」
そんな気まずい雰囲気を無視して、命令が飛んでくる。
「この犬を黙らせろ。きゃんきゃんと、うるさくてかなわん」
「誰が犬だ誰がっ!」
身位において二人に大きな差はないはずだが、完全にスーリヤは見下されていた。
「落ち着け、スーリヤ」
どちらが冷静なのかは明らかなので、リンクは従う。
「スーリヤ様。ここは人目が多いので」
フィリスは上を指差し、悪目立ちしていることを示す。
「だがっ、こいつが!」
失礼にもコリンズを指差し、
「リンクを奴隷呼ばわりした上に、寄こせなどとほざくから――」
スーリヤはとある人物にとって、無視できない言葉を大声で喧伝してしまった。
おかげで、これ以上ないほど混乱した場に更なる火種が降り注ぐ。
まず、鞘鳴りがした。
次いで、悲鳴にも似たどよめき。どちらも発生源は城壁――見上げると、剣を抜いたリアルガが振りかぶっていた。
「――リンクっ!」
いくら狙いが皇族ではないと誇示していても、これは殺されても文句の言えない状況である。
いっそう死んで貰うか? と、リンクの頭の中で悪魔が囁くも、コリンズとシリアナは他人事の様子。
フィリスは剣を抜く素振りを見せたが、相手を認識するなり収め、スーリヤを安全圏に逃がすに留めた。
「はぁ……」
飛来する刃をリンクは普通に避け、放たれた剣は地面へと深く突き刺さる。
その間に弟と同じ手順で地上へと降り立ったリアルガは二人の皇族へと駆け寄り、
「弟の非礼を、死でもって償わせようと思ったのですが」
片膝を付き、頭を垂れた状態で抜かした。
「いやいやいやっ! だからといって殺す必要はないだろっ!?」
スーリヤは慌てふためくも、
「たわけ。死体に興味はない」
コリンズは冗談で返すほど余裕に満ちていた。
「俺が欲するのは、非凡な奴隷だけだ」
「だからリンクはっ!」
場違いな発言をスーリヤは続ける。
彼女だけがわかっておらず、子供の戯言を繰り返す。
「奴隷じゃないと言っているだろ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます