第18話 奴隷の価値

 アヌス士官学校の出発地点はセントラル。

 そこからまず、北方帝国の首都アルニースまで約百七十五リーグ。このルートは帝国街道が続いているので、良い馬であれば一週間とかからず辿り着くことができる。

 

 次にマラ帝国が治めるターテット大陸から、セクス半島へと渡ることになるのだが、手段は三つほどあった。

 

 かつてのように地続きを行くか、ペドフィ湾を渡し舟、もしくは橋で渡るかである。

 

 もっとも、アヌス士官学校は総勢千人を超える大所帯だったので、選択肢は二つに一つ――選ばれたのは、帝国街道に連なるレオンブリッジを渡る行路だった。

 

 橋の長さは約三スタディオン。

 石造りのアーチは十八にも及び、建築に六年近くかかっただけあって帝国領土では最長を誇っている。

 

 そうして、アルニースからブール学院まで二百二十四リーグ。

 だが、帝国街道は辺境のブール学院まで続いていないので、途中からは整備が行き届いてない道を進むこととなる。

 

 それを差し引いたとしても、アヌス士官学校の行軍は遅れていた。

 

 基本的に、移動速度は人数に比例して遅くなる。道の広さが決まっている以上、どうしたって縦に長くならざるを得ないからだ。

 

 それでも、正規軍であれば全行程に三十日はかからないだろう。

 

 しかしながら、今回やって来るのは学生で初めての長期行軍。それも敵がいると想定しての演習だったので、非常に時間がかかっていた。

 

 先頭を行くのは軽歩兵と騎兵で構成されている偵察部隊。それに続くのが、騎兵と歩兵による前衛部隊。

 三番目が陣営予定地などの調査・測量隊で、四番目が行軍路にある障害物の除去や必要な橋を建設する開拓部隊。

 五番目は将軍や将校の装備を乗せた荷車と護衛。その後ろに、本人たちと歩兵と騎兵の精鋭部隊が位置する。

 更には行軍騎兵隊、物資を運ぶ輜重隊が続いてから、軍圧主力部隊。

 

 そして、最後に支援部隊軍がつく。

 

 実戦なら随行者の妻や商人、売春婦なども付いてくるだろうが、さすがに今回はいなかった。

 そんなアヌス士官学校の面々がブール学院に到着したのは、出発から実に四十五日ほどが過ぎた日だった。

 

 

 アヌス士官学校の生徒たちが野営地を設置しているのを、ブール学院の生徒たちは胸壁に備え付けられた狭間クレノーから眺めていた。

 観客の大半は騎士や貴族の子息に最上級生たち。歩廊アリュールはともかく、クレノーは手狭なので顔を出すには限りがあった。

 

 それでも、城壁の中層に外付けされた窮屈で危なっかしい木造アリュールにまで生徒たちは集結していた。

 

 照準器グロマを持った者が集まっているところからして、白い旗のついた槍が刺されているのが中心であろう。

 

 上方からだと、よくわかる。

 

 四隅に杭が刺され、繋ぐように溝が彫られ、長方形の区画が形成されていく。外壁に当たる部分にどんどん杭が打ち込まれ、縄で補強された簡易的な柵ができあがる。

 

 生徒たちの手際がいいのか、単に教官の指揮が的確なのかは判断できないが、野営地は見る見る内に完成していった。

 そこから数人、ブール学院に向かってくる。


「さて、誰が来るかな?」

 

 到着する以前に、大人の挨拶が済んでいたことをリンクは知っていた。

 そんな彼はちゃっかりと城門棟に近い胸壁を確保しており、悠々と近づいてくる影に目を凝らす。


「相変わらず余裕だね、騎士様」

「そりゃ、スーリヤ=ストレンジャイトと仲良くしているからな。皇族なんて怖くないんだろう」

 

 お零れを預かっている、アーサーとグノワが勝手なことを言う。


「スーリヤと他の皇族を一緒に考えたりはしないさ」

 

 リンクは軽く否定するなり、クレノーから離れる。

 そして、心配そうに城壁内の地上を見下ろした。


 「スーリヤ=ストレンジャイトが待っているってことは、少なくとも兄のスレイブ=ストレンジャイトはいるんじゃない?」

 

 釣られたように、二人も前庭を見下ろす。


「だろうな」

 

 アーサーの見解に異存はないが、スーリヤの服装からしてそれだけでないはずだ。

 彼女はパルダメントゥムを正しく羽織っていた。

 間違いなく、ストレンジャイト家として応対しなければならない相手がいる。


「にしては余裕がないな。特に奴隷のほうは、今にも剣を抜きそうな気配だぜ」

 

 前半は同意で後半は否定。

 グノワは剣に触れているところから判断したようだが、それは違う。


「まったくだな」

 

 頑張れ、とリンクは内心でフィリスに声援を送る。

 彼女は今、自らの分際を言い聞かせているのだろう。

 相手が皇族である以上、今までと同じような立ち振る舞いは許されない。たとえ主が貶められようとも、黙っていなければならない時もある。


「そろそろか」

 

 速度と時間を計算していたリンクは再び、クレノーへと身を乗り出す。

 同じように二人も動き、


「って、まだ遠いじゃん」

 アーサーがぼやくも、


「皇族が三人に貴族が一人。あと、奴隷が一か?」

 グノワは違った。


 剣、槍、盾、斧、弓。紋章の上着コート・オブ・アームズに、多様な武具が記されていることからして判断できた。


「グノワも見えるの?」

「……いや。皇族が三人に奴隷が二だな」

「って、二人して無視?」

「一人は、フィリスみたいなもんだ」

 

 先頭を歩いているのが二人。男とその奴隷だろう。女は煽情的な衣装を纏い、男の腕に絡みついている。

 次に男が一人、先頭に近い距離にいる。

 そして、一組の男女。先頭と同じ組み合わせだろうが、立ち振る舞いは別物だ。綺麗に一歩分、女が距離を読んで歩いている。


「かーっ、いいね皇族は」

 

 豊満な胸を半分近く露出している奴隷を見て、グノワがオッサンみたいな台詞を吐く。

 一行が門へと足を踏み入れたので、三人は再び前庭を見下ろせる位置を陣取る。


「馬鹿丸出しか。それとも、そう見せているのか」


「騎士様、さすがに言葉が過ぎるよ」

 アーサーがたしなめるも、


「普通に考えて、奴隷を娼婦にするなんて勿体ない」

 リンクはどこ吹く風。


「なんでさ? 騎士様も男でしょ?」

「教え込む手間を考えると、娼婦なんて金で買ったほうが得だ」

「さらりと、とんでもないことを言うね」

「奴隷にも格がある。値段、と言ったほうがわかりやすいか」

「あぁ、それなら聞いたことある。最初に与えられる奴隷に一番お金をかけるって……」

 

 奴隷の値段は性別、年齢、容姿、国籍、家柄といった生まれ持ったものから、知識や技術などの後天的に身に付けた能力の有無によって決まる。


「そうか! 皇族ともなれば、かなりの金を使ったはずだ」

 自分で導き出したアーサーの答えに、


「おそらく、王侯貴族の類を買ったに違いない」

 リンクは補足する。

 

 王侯貴族といえど、奴隷として売られる可能性は皆無ではない。

 まず、不義の子を始めとした、やんごとない事情がある場合。

 次に帝国の敵になり得ないかつ、身代金を支払う能力がない他国の人間。

 そして、自国において罪や借金などで零落したりすると、身分に関係なく売りに出されてしまう。


「そう言われると、勿体ない気がしてきたかも。娼婦の手管なんてなくても、満足はできるだろうしね」

「アーサー、おまえも騎士様に劣らないほど酷いぞ」

 

 倫理的にはグノワが正しいのかもしれないが、本質を衝いているのはアーサーのほうだ。

 素質がある奴隷は大事に育てれば絶対に裏切らないし、忠実に働いてくれる。それこそ、主が望めば娼婦の真似事さえ喜んでするに違いない。

 

 聞いた限り、コリンズ=コンスタンツの奴隷たちは主に忠実だ。他の生徒たちになんと言われようとも、主の命令に重きを置いている。


「久しぶりだな、スーリヤ」

 

 皇族一行が前庭へと姿を出し、先頭を歩いていた男がスーリヤに声をかけた。

 外套に記された武具に埋もれているのは、ヒト型の怪物。


「えぇ、お久しぶりです。ディルド様」

 素っ気ない物言いではあるものの、言葉は選ばれていた。


「あれが東方正帝の息子か。でかいな」

 まさにグノワの感想通り。遠目でわからなかったのは、女もずば抜けて背が高かったからだ。


「あぁ、でかいね。あの胸」

 谷間を覗こうとしてか、アーサーは大きく身を乗り出していた。


 他にも、彼らを見ている人間は沢山いる。

 そういった視線の数々を、注目の的となっている方々はまるで気にしていなかった。

 意味は違えど、皇族も奴隷も人の視線に晒されるのは慣れている。


「やぁ、スーリヤ」

 

 親しげな雰囲気と金髪からして、彼がスーリヤの兄――スレイブ=ストレンジャイト。

 ディルドよりも前にでないところからして、力関係が手に取れる。


「兄上もご健勝のようでなによりです」

 緊張しているのか、実の兄に対してもスーリヤの口調は変わらなかった。


「……つーか、大丈夫か?」

 グノワが心配そうに漏らす。


「そりゃ……大丈夫じゃないだろうな」

 先ほどから、スーリヤは微動だにしていなかった。頭を下げるどころか、会釈すらしていない。


「おまえの妹は相変わらず、成長せんな」

 案の定、ディルドが不快を示した。

「態度もそうだが、胸も尻もガキそのものじゃないか」

 見せつけるように、ディルドは奴隷の胸を持ち上げた。

「可哀想なくらい貧相じゃないか、なぁスレイブ」


「ディルド様、妹はまだ十二歳ですので……」

「そこの奴隷も同じ齢だろ? だとしたら、酷い格差だな。良かったら、俺が揉んでやるぞ? なぁ、スレイブ。おまえがどうしてもと頼むんだったら――」

 

 とんでもない言い草でありながらも、スレイブは怒るどころか宥める台詞を吐く。


「お戯れを。妹には、まだ早すぎます」

 

 スレイブに妹を守る気概はないようだ。彼の振る舞いはまるで、ディルドの従者そのもの。


「まだ早い、か。ふんっ、ちゃんと成長するといいな」

 またしても、手慰みにディルドは奴隷の胸を触る。

 

 明らかな挑発は、もしかすると誘っているのかもしれない。

 だとすると、意外に厄介な相手だとリンクは認識を改める。

 

 相手が反抗するはずがないと高を括っている小物なら、沈黙と無反応は効果的な対策かもしれないが、この種の手合いは違う。

 言いたいことを言わせても、勝手に満足してくれはしない。相手から望んだ反応を引き出すまで、どんな言動にも難癖を付けられる。

 沈黙に徹すれば次第に飽きるだろうが、そこまでスーリヤとフィリスに耐えられるか。よしんば耐えたとしても、 精神的なダメージは免れない。


「はぁ、仕方ない」

 

 なにが? と、口を開く前にグノワとアーサーは目を見張る。


「待て――」

「ちょっ――騎士様!」

 

 二人は余裕の感じられない制止をかけるも、時既に遅し――リンクは剣を放り投げた。

 自然の摂理に従い、剣は放物線を描いて奏でる。

 轟音とまではいかないが激しく、そして人々の注意を否応なしに引き付ける。


「――なんだ?」

 ディルドは泰然としていた。

 彼の前を、いつの間にか奴隷が陣取っている。距離的に抜剣を妨げない位置。また、腰を低くすることで主から状況が見えるように――


「なっ――!?」

 緊張の糸が急に断ち切られたからか、スーリヤは大げさに驚いていた。適切な位置取りを見せた女奴隷と違い、フィリスは盾のように主の前に立ち塞がる。


「な、何事か!」

 真っ先に怒りの叱責が出てくるところからして、スレイブの育ちと性格が垣間見える。


「――ほぅ」

 コリンズは愉快気に見上げていた。

 彼の女奴隷がそっとリンクを指差し、おまえか、と言わんばかりにコリンズの視線が射抜く。


「いやー、すいません」

 しらじらしく、リンクは大きな声を投げかけた。

「皇族の方々を拝見するのが初めてのものですから、つい緊張して手を滑らせてしまいました」

 

 ふざけた釈明をするなり、リンクはアリュールから地上へと降り立つ。

 何人かが驚嘆の声をあげる中、中層の狭間に一度着地し、そこから見事な体重移動で着地した。


「リっ――んぐっ!」


「――失礼ですが、どちらさまでしょうか?」

 スーリヤの口を塞いでからの、フィリスの詰問。

 

 リンクは華麗に無視してディルドの目前まで足を運び、会釈する。


「お目にかかれて光栄でございます。東方帝国を治める、ディオアヌス家のディルド様」

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