第17話 正しい兵の動かし方

 貴族社会は面子がすべてとはいうものの、巻き込まれるほうは堪ったものではない。

 少なくとも、ブール学院ではそう思っている人間のほうが多いようだ。

 

 内密な話も半月が経った今では、周知の事実として広まっていた。 

 

 そこで問題なのが、誰が指揮官をするかである。

 最終的にはコリンズ=コンスタンツの意向によるが、彼とまともに話し合う時間があるとは思えない。

 アヌス士官学校はあくまで行軍演習で来るので、ブール学院の施設には泊まらず、近くで野営をすることになっている。

 そして、模擬戦はその翌日に行う予定だった。

 

 姑息と言うなかれ。

 これこそが、貴族の生きる世界。

 

 あちらの面々は、どうしてもコリンズ=コンスタンツを負かしたいようだ。

 それでも、ブール学院側に賄賂や打診といった行為が見当たらないのは、そこまでせずとも勝てると思っているのか、それとも……。

 

 どちらにせよ、ブール学院側に負けてやる義理はなかった。

 

 彼らにとっても、これはまたとない機会。

 士官学校の教官は現役を退いたものの、帝国軍に名高い将軍たち。彼らの目に止まることができれば、人生において大きな転機となる。

 

 だというのに、リンクはいつも通りに過ごしていた。

 

 周囲が慌ただしく努力に励む中、書庫に篭っては読書に勤しむ。

 それも、最近は同じ本ばかり。

 

 彼の興味はもっぱら、シャルオレーネ王国に向いているようだった。

 

 いったい、かの国のなにが彼の心を捕らえるのか?

 その答えを知る者はいない。

 きっと、神様でさえわからないはず――

 

 


 リンクがいつものように書庫で過ごしていると、スーリヤがやって来た。


「リンク、貴様に頼みがある」

「なんだ?」

 

 スーリヤが相手だと、さすがに本を閉じてからリンクは応じる。


「私に戦術とやらを教えてくれ」

「指揮官をするのか?」

「それはわからない。そもそも、コリンズ自身がどうするかさえ、わかっていないのだからな」

「そうだな。普通に考えれば、コリンズ=コンスタンツが総指揮官になるだろうが――」

 

 わざわざ、乗ってやる義理はない。

 それは大多数の要望であり、貴族的思考でしかなかった。


「どちらにせよ、私が一兵として参加することはないだろ? その為にも、戦術を学びたいのだ」

「なるほどね」

 

 答えながら、どこまで教えるべきかをリンクは考える。

 自分だって経験はないのだ。あるのは知識だけ。そんな付け焼刃を、仮にも皇女に教えていいものかどうか。


「実際のところ、そう難しいものじゃない。そもそも、軍勢なんてものは市民兵のほうが圧倒的に多いからな。だから前提として、ろくに訓練を受けていない者でも動けるものじゃないとならない」

 

 逆に、市民兵以外の騎士や貴族たちは好き勝手に動くことが多い。彼らにとって、戦での活躍は名誉と地位に直結するからだ。


「普通に考えて、複雑な展開は無理だ。兵の全てが職業軍人ならまだしも、騎士や貴族、傭兵や戦争奴隷までいるんだからな」

 

 騎士や貴族は戦果を逸り、市民兵は怯懦きょうだに流され、傭兵は金目のモノに目がくらみ、戦争奴隷は逃亡を図る。


「そこで、指揮官に必要なのは信頼だ。特に騎士の信頼を得られると、兵を動かしやすくなる」

 

 市民からすると、騎士は戦いの専門家だ。

 だからこそ、彼らの行動は兵たちに多きな影響を与えてしまう。

 冷静に控えていれば安心を、勇敢に攻め込めば熱狂を、そして敗走してしまえば恐怖を――動物としての名残なのか、集団は大きな流れに釣られやすい。


「やはり、騎士は功を焦るか」

「成り立ちからして、仕方ないだろ」

 

 元は戦果をあげた平民、所詮は戦いで築いた地位。


「指揮官の命令に従っているだけでは、自身の手柄にならないからな」

 

 あまりに勝手な理由。

 悲しくも、逸る気持ちを抑えきれない騎士たちの所為で負けた戦は多い。


「なるほど。兵といっても、誰もがすぐに動けるわけではないのだな」

「あぁ、そうだ。だから、兵を自分の思うように動かしたかったら、常に先を読まなければならない」

 

 それも一つ二つどころか、四つ、五つくらい先を。


「あとは声だな」

「声というと、大きさか?」

「それも重要ではある。他人を介すとどうしても齟齬が生じるからな。最低でも、自分の率いる部隊くらいは網羅できる声量があると便利だろう」

 

 威厳に満ちた声には命じる力がある。

 人間はもちろんのこと、獣にすら通じるほどに。

 けど、それは努力だけで手に入る代物ではなく、持つべき者だけが持っている力。


「それと、冷静かつ容赦のない命令を下されるかどうか。最悪、兵に死ねと命じなければならないからな」

 

 この人の命令なら死んでもいいと兵たちに思わせるよりも、逆らったら殺されると思わせるほうが簡単である。


「そうか……」

「報酬で釣ったり、兵の信頼を得るという方法もないことはない」

 

 この人の命令なら信じられる、と思わせるくらいであればできなくもないだろう。


「結局は総指揮官と参謀次第だ」

「言われた通りに兵を動かせばいい、か」

「そういうこと」

 

 上から飛んでくる命令は大雑把なものだ。攻めろ、逃げろ、持ち堪えろ。

 時折、敗走に見せかけて敵を誘導することもあるが、そういったのは訓練された部隊にしか任されない。

 理論的に策を弄すのは容易くとも、現実的に実行させるのは至難である。

 優秀な参謀に指揮官、そして練度の高い兵が揃っている軍勢など、そうそう存在するものではない。


「模擬戦に限っていえば、百人くらいを言われた通りに動かせばいい」

「簡単に言ってくれるな」

「向こうがスーリヤを信頼していれば、詳しい作戦だって話してくれるさ」

 

 規模が大きければ大きいほど、戦場で細かい作戦など伝えてなどいられない。

 その為、各部隊長や指揮官には、前もって全体的な作戦が教えられることがある。

 

 そう、信頼さえされていれば――

 

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