第13話 商談、命を買った裏切り
奴隷の朝は早い。
特に、商人が来る日は尚更だ。
足元を見ようとする商人に対抗せんと、奴隷たちは通常業務を早めに終わらせる。一人で物の相場や質を見極めるのが困難だから、数で勝負を挑むのだ。
だからといって、商人もやられっぱなしではない。
いわゆる新商品。知識や経験が通用しない、目新しいモノで稼ごうと知恵を働かせる。
まず、見慣れた商品に安値を付けることで信頼を買うのだ。そして、新商品には法外な値段を付けて買わせる。
よしんば失敗したとしても、次回に持ち越す。その時は、勉強しましたと更に値下げして、再挑戦。
最初が法外なものだから、一回や二回、それどころかもっと値下げしても利益が出るというわけだ。
何度も通用する手ではないが、複数を相手取るとすれば中々悪くない手管であろう。
やはり、新しいモノというのは気を引く。
そういった現場に、何故かリンク=リンセントの姿があった。
商談に口を突っ込むわけでもないのに、注意深く、商人と奴隷のやり取りを眺めている。
「よぅ、坊主。いい品はあったか?」
顔なじみの商人に声をかけられ、リンクは観察を止めた。
商人たちから学んだ胡散臭い笑顔を貼り付け、
「いやぁ、今日は情報のほうに用があるんです。北に行っていたんでしょう?」
個人的な商談へと臨む。
「もちろん、報酬は用意しています」
「どうせこれだろ?」
商人は本を捲る動作をして、笑う。
「で、なにが訊きたいんだ?」
「シャルオレーネ王国の革命について」
「また、高価なもんを」
「それなりの対価は約束しますよ?」
「ほぅ……」
リンクの支払いは書庫に眠っている書物である。原本ではなく模写したものとはいえ、バレたら無事では済まない代物だ。
「それで、なにか目新しい情報はありますか?」
「北は面白いことになってるぜ」
散々勿体ぶってから、商人は語る。
――王家が分裂したと。
「まさかのまさかだ。小娘だと思っていた王女が、実の父親を追放しやがった」
「王女が?」
「あぁ、メルディーナ・ブルジェオン・ドゥ・シャルオレーネ。まだ十二歳ののクソガキがだ」
「……スーリヤと同じか」
「北方正帝の娘か。どうだ?」
「どうとは?」
「いや、モノにしたか?」
「……冗談が過ぎます」
はっはっはっ、と商人は豪快に笑う。
「言えるわけないわな。言ったら当然、商品として俺が持ち帰っちまうわけだから」
「そういう問題じゃありません。身分の問題です」
「でも、気に入られているんだろ? 騎士くらいなら、してもらえるんじゃないのか?」
「スーリヤが許したとしても、家が許さない。お互いにね」
「おまえさんとこは歓迎するんじゃないのか? 確か、一代騎士だったろ?」
だからこそ、由緒ある血を求めて止まない。成り上がりの蔑称から逃れるには、それが一番手っ取り早いからだ。
「そうですけど……というか、話を戻しましょう。追放とは具体的には?」
「王と王に従う者たちを捕虜にして、交渉の土産にしたのさ」
「それはまた」
「とんでもないガキだぜ、あれは」
商人は畏怖したように語る。
それで命乞いをしたのであれば、まだ可愛げがあったと。
「今日はやけに勿体ぶりますね」
「もしかすると、時代が変わるかもしれないからな」
リンクは懐に忍ばせておいた本を一冊、商人に渡す。
「随分と、気が利いた内容じゃねぇか」
手作り感満載の冊子をパラパラとめくり、商人は満足げに頷いた。
記されているのは、かつての行軍誌。それも踏破不可能と云われている、
「やっぱ、現実的じゃねぇか……」
成功はしているものの、行軍だけで一万八千の歩兵、三千の騎兵が脱落。それも夏の時期でだ。
「越えられないことはないようですが、犠牲が多過ぎます。けど、状況次第では試す価値は充分あると言えるでしょう」
「そりゃそうだが……今回は無理だな」
商人は話に戻る。
どうやら、兵は一万も残っていないらしい。
「なのに、あの王女は出兵の許可を得たんだ」
「なるほど。だとすれば、殺すわけにもいきませんね」
王女の行いは革命軍の趣旨に反していない。
――不甲斐ない王族を罰し、失われた大地の奪還に動く。
これを罰してしまえば、革命軍の大義そのものが消えてなくなってしまう。
「だからといって、見過ごせるもんでもない」
仮にも王女、敵国には利用価値が幾らでもある。
本人を旗印にするもよし、子を産ませるもよし。
正統なる血を引く者は、王政復古の流れが来た際に絶対的な力となる。
この先、治世が乱れない保証がない以上、革命の首謀者としては是が非でも王女は殺しておきたかったはず。
「けど、認められたんですね」
商人の口調から、リンクは察した。
更に、今までの会話を踏まえ、推測する。
「それで山脈越えですか」
これならどちらに転んでも、革命軍に損はない。
「ご明察。もし成功すれば、帝国の裏をかけるからな」
バビエーカ山を越えた先にあるのは城砦都市アトラス。分厚い城壁に堅牢な門を携えてはいるものの、閉じる前に攻め入られたらどうしようもない。
また、アトラスは立地的に奇襲が成り立たないと思われているので、さぞかし油断していることだろう。
事実、此度の革命に備えて帝国が増強しているのは、バビエーカ山を迂回したルートにある城砦――ケイオンとイオスの二つだけ。
アトラスに求められている役は二つの砦を援護する補給路であって、戦いではない。
だから一般市民も残っており、門も常時閉じられた状態ではなかった。
「アトラスさえ落とせば、ケイオンとイオスは孤立する」
革命軍は通常ルートで、ケイオンとイオスに攻める動きを見せる。
さすれば、帝国側は警戒せざるを得ない。とはいえ、アトラスからの補給が続く限り陥落はあり得ず、万が一落ちたとしても逃げられるのがオチであろう。
そして、どちらかの砦が落ちれば、アトラスは籠城の構えを取る。
「それでも、失敗して死ぬ可能性のが高いがな」
夏の行軍でさえ、二万を超える兵が死ぬのだ。それを下回る兵、更に言えば王女に踏破できるとは思えない。
〝上〟も同じ考えなのか、商人の情報に大した額を付けてくれなかったとのこと。
「それでも、王女に捕虜の価値はあるでしょう?」
帝国お得意の寛容な支配には、王家の血があったほうが容易いはず。
「さすがに、自分の父親を売るような娘じゃぁな」
皮肉にも、王女の非凡さが徒となったようだ。
血の繋がった父、それも王すら切り捨てた娘なら、他人で敵国の夫など喜んで殺すに違いない。
「それに冬のバビエーカ山に兵を送るのは、兵に死ねと言っているようなものだ」
もし彼女が無害であれば、帝国は喜んで王女を迎え入れただろう。
いや、それ以前の問題か。
無害であれば、王女は城で朽ちるしかなかったのだから。
「あまりに過酷ですね」
父王を裏切ってなお、足りないとは。
「王族に生まれた宿命という奴さ。古今東西、似たような話はある」
北の王女はまだマシだと、商人は吐き捨てた。
「俺に話せるのはこれくらいだ。これより詳しい話が訊きたければ……あいつくらいか」
商人が指差した先には、見慣れぬ男がいた。どこからが髭かわからないほど毛が顔面を覆っており、一目見た限りでは信用できそうにない。
「お知り合いですか?」
「いや、知らない奴だ。誰も、な」
「誰も?」
「あぁ。わかっているのは、アトラスで商隊に加わったことだけだ。それまでは、何処にいたのか誰一人として知らない」
確かなのは、ケイオンとイオスにはいなかったこと。
「ただ、シャルオレーネ産のどぎつい酒を葡萄酒のように飲んでいやがった」
意味深な言葉を残して、商人は仕事に戻っていった。
リンクがその背中を見送っていると、
「――」
声をかけられた。
「えっ?」
振り返ると、
「……もう一度、お願いできますか?」
加え、先ほどの言葉は帝国の公用語ではなかった。
「――」
ゆっくりと、男は口にする。
リンクの記憶が確かなら、それはシャルオレーネの言葉だ。「あなた」と「本」と「売る」という単語からして、「あなたは本を売っているのか?」と訊いているのだろう。
「できれば、公用語を喋って頂けると助かります。なにぶん、ほとんど文字でしか知らないものでして」
音としての記憶は遥か彼方で、それも子供に聞かせるような言葉だけだった。
「それでも理解できている」
褒めるように笑ってから、男は公用語を使った。
「――」
と思ったら、またシャルオレーネの言葉。
勉強がてらにお話ししないか? とでも訳すべきか。
「えぇ、構いませんよ」
商談なら公用語でしたかったが、会話なら問題ないとリンクは応じる。これを機に会話も覚えてしまおうと、自己紹介から始める。
「私の名前はリンク・アン・リンセントです」
「私はヘルメスと申す」
気を遣ってか、ヘルメスの口調は聞き取りやすかった。
「それで、リンクは本を売っているのか?」
「はい、売っています。しかし、内密で。そして、中身のみ。私が写したものです」
上手く文章を組み立てられないものの、
「ふむ……」
どうにか通じてはいるようだ。
「では、私にも売って欲しい」
「対価を求めます。それもお金ではなく、知識か道具を」
「ほぅ」
感心されたようだが、リンクの頭の中はハチャメチャだった。
それでも、これだけは言っておかなければならないと記憶を漁り、舌に乗せる。
「できるのならば、シャルオレーネ王国に関することが望ましい」
注意深くヘルメスを窺うも、髪と髭が邪魔でほとんど見えやしない。
「いいだろう。ただし、こちらも我侭を言わせてもらう」
黒い髪の隙間から、かろうじて淡い紫色の瞳が覗かれるも、感情までは読み取れそうもなかった。
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