第3章 世界の変わる音

第12話 信頼と不義の剣

 シャルオレーネ王国の終焉は、にじり寄るように訪れていた。

 この大地に、しんしんと降る雪など存在しない。

 北の雪はあらゆるものを奪っていく。道を、生活を、命を。みしみしと音を立て、着実に奪い去っていく。

 

 王城から見下ろせば、それが鮮明に感じ取れた。

 

 もはや、逃れることはできない。包囲されているかどうかもわからない。雪は全てを覆い隠し、外の世界をとざしてしまった。

 溜息を吐いてもいないのに白く曇った窓に触れ、メルディーナ=シャルオレーネは自らの運命を憂う。

 

 ――結局、なにも果たせずにこのまま朽ちるのか。

 

 王族として生まれながら、なに一つとして国に、民に報いることすらできないまま、自分の人生は幕を閉じてしまうのだろうか。

 生まれた時から、凍土に封じ込められた人生。ついに自然と帝国の桎梏しっこくから、逃れることは叶わなかった。

 

 皮肉にも、最後は自らの民によってこの地にほだされる次第だ。

 

 すべては、自分の未熟さが招いたこと。

 自分が女だから、子供だから起こり得た事態……。

 

 紫紺の瞳には、少女には不釣り合いなほど様々な感情が去来していた。

 つ……と、冷たさが刺す。

 気付けば、白皙はくせきの肌が赤く染まっていた。そこで帝国の美辞麗句を思い出し、メルディーナは薄く笑う。

 

 雪のように白い肌――帝国の雪はそんなにも美しいものなのかと。

 

 少女にとって、雪は綺麗でも白でもない。夜明けに輝く黄金の雪ならともかく、降りしきる雪など忌むべきものでしかなかった。

 

 死を運ぶ雪。

 陽の光が射さなければ、雪はただ黒く、暗く映る。

 夜の髪もそうだ。

 星がない限り、夜は狂うほどの闇でしかない。

 

 北で生きる者たちにとっては、どちらも褒め称える言葉にはなり得なかった。

 兵士を指す言葉ならともかく、女性の美しさを表すのに黒白こくびゃくなど縁起でもない。

 

 その黒白をメルディーナは有していた。

 見慣れた北の民たちでさえ羨むほど、はっきりと。もし、帝国が相手であれば少女にも戦う術はあったかもしれない。

 

 けど、そうはならなかった。

 少女の人生は常に非情である。

 

 敵が自国で民衆となれば、王女が生かされる道理はない。

 そう、窓に映る自分に向かって自嘲してみるも、歪んでいるのは口元だけだった。

 瞳はまだ、光を見据えていた。

 けど、その光は赤暗く汚れている。

 

 それでも、光には違いない。

 

 メルディーナは罪深い思考に向き合おうと、一人、礼拝堂へと足を運ぶ。

 神頼みをする段階はとうに過ぎているからか、そこは無人だった。

 灯りのない通路をメルディーナは歩いていく。毎日の礼拝を欠かしたことのない彼女にとって、無明など取るに足らない問題だった。

 

 本日のお祈りも、既に終えている。

 祈りの時間は、もう終わったのだ。 

 だから、これから行うのは断じて礼拝などではない。

 

 手を組み、膝を付くもメルディーナは顔を上げていた。神に挑まんとばかりに祭壇を睨み付け、自身にできることを模索する。

 

 ――国や民の為に。

 

 そう、神や親の為ではない。

 ましてや、自分の為でもない。

 王女として――

 

「……ラルフか」


 扉の開く音に振り返ることなく、メルディーナは呼びかけた。

 瞳は未だ、祭壇に注がれている。


「えぇ、そうです。探しましたよ姫様。このような場所におられますと、お体に障ります」

「妾は寒いのには慣れているゆえ、そう心配する必要はない」

 

 何処の国であろうとも、王族の服装は機能性よりも風姿が優先される。

 メルディーナは白狼の毛皮で作ったケープを纏っているものの、その下は肌を晒したドレス姿。


「状況が状況ですので」

 

 ラルフは慇懃に諭す。

 まだ壮年と呼ぶべき年齢ではないが、幼少の頃から王国の危機と向き合ってきたからか、風格は既に完成されていた。


「なぁ、ラルフよ。このままここにいたとして、妾はどうなると思う?」

「それは……」

 

 質問からして、近衛騎士の彼に答えられるものではなかった。


「王たる資格を持たぬ者が王となれば、戦乱の時代が訪れてしまう」

 

 事実、力だけで王になれるのならば、誰もが玉座を付け狙うであろう。

 だからこそ、血統を重視する。

 世の道理として、正統なる血脈に連なる者以外、王たらんと欲してはならない。


「それだけは、絶対に避けねばならない」

 

 その為にも、メルディーナは死ぬわけにはいかなかった。それが自分にできる、自国に対する唯一の奉仕といっても過言ではないからだ。


「我が命に代えましても、姫様はお守りいたします」

 

 ラルフの覚悟と忠義を嬉しいと思いながらも、それだけでは意味がないと少女は冷めた心でいた。

 

 これは謀反ではなく、革命だ。

 たとえ、国の実権を差し渡したとしても終わらない。

 

 ――すべては、失われた領土を取り戻す為。

 

 しかし国王、またメルディーナ自身も帝国を相手取るのは不可能だと考えていた。また、多くの将兵は王族の意思に従うものだ。

 ゆえに、シャルオレーネ王国は専守防衛に徹する気でいた。

 

 だから、あの男――グスターブは民衆を扇動して革命を起こした。


 戦う意思のない王族や兵たちを切り捨て、振るいにかけた民衆から徴集することを選んだ。

 もとより、王家は力を失っていたので民衆の多くは流されてしまった。

 

 そして、今のメルディーナにはなにも約束することができなかった。少女に兵を率いる真似ができるはずもなく、かといって有益な夫を迎える予定も所縁もない。

 

 結果、この様だ。

 王城は包囲され、処刑を待つ身となった。

 

 どうしても、グスターブは明確な勝利を欲しがる。

 戦の素人である民衆を奮い立たせるには、目に見える勝利が必要不可欠であるからだ。初めで躓いてしまっては、帝国に対して強気でいられるはずがない。

 

 つまり、此度の革命は王族の流血でしか成し遂げられない。王族の血を根絶やしにして、初めて成功と呼べるものなのだ。


「其方は妾を守ると言うのか?」 

 

 メルディーナは問う。

 言外に自らの立場をわかっていると告げ、改めて答えを求める。


「妾と父上……もし、どちらかが生き残るとすれば、それは妾だ」

 

 シャルオレーネの血筋を残すという一点に置いて、それだけは譲れなかった。

 王女や娘の立場からすれば分を超えた発言を聞かされ、ラルフから穏やかな表情が消える。


「それでも、其方は妾を守ると誓えるか?」

 

 これまで誰一人として、メルディーナに意見を求めたりはしなかった。まだ幼い王女を誰もが慮り、現実から目を逸らすよう弄してくれた。

 

 けど、それも限界だ。

 もう、現実は待ってくれない。

 

 父上は既に諦めてしまっている。そのような王の翼下では、この状況を打破することなど叶うはずがない。

 

 ――だから、妾が立つ!


「妾はここで終わるつもりはない。父上〈王〉を犠牲にしてでも、生き残るつもりだ」

 

 今はたとえ戯言でも、信じてくれる臣下が必要であった。


「そしていつか、シャルオレーネ王国を復興させる」

 

 子供の絵空事と切り捨てられるようでは、とうてい届かない。

 最低でも、本気であると認めて貰わなければ、シャルオレーネ王国の未来は閉ざされたままだ。

 

 ラルフは未だ沈黙しているも、子供を見つめる眼差しではなくなっていた。

 

 それも当然であろう。本来は君主を守るべく近衛兵に、王を見捨てろと言ったのだ。いくら国や王家の為とはいえ、そう簡単に納得できるはずがない。

 本来、王と王女では優先されるべきは王に決まっている。これは王からの勅命なくして、覆る問題ではない。

 

 そして、そのような命令が下されることは決してないと、ラルフはわかっているはずだ。

 

 ラルフでなくとも、今の王の姿を知っている者であれば想像に難くない。

 それほどまでに、王は衰え弱っている。

 今の父は、兵たちの前に姿を見せられないほど惨めだった。


「――姫様。少々、ご冗談がすぎるようで」

 

 なのに、近衛騎士たちは王を見捨てない。

 それがメルディーナには堪らなかった。言外に、今の王よりも自分が劣っていると言われている気がして、納得がいかない。


「そうか、其方は冗談と申すか」

「えぇ、承服しかねます」

 

 ラルフは王女にとって、一番身近な存在である。その彼を説得できないようでは、他の近衛騎士はおろか兵たちを味方に付けることすら夢のまた夢――


「何故だ? 王ではなく、王家を守るのが其方ら近衛騎士の務めであろう」

「王と王家は切り離せるものではございません。それに、裏切りは騎士道精神に背く行いであります」

「守るべきものを守らずして、其方は騎士を名乗るつもりか? それとも、本気で守れると思っているのか? 城を、王を、妾さえも守り通せると申すのか?」

 

 自惚れるな! と、反論を塞ぐ形で少女は吐き捨てる。


「無駄死にさせるほど、其方らの命は安くないぞ。少なくともこんな所で、あのような男の為に使っていいモノではない」

 

 実の父でもある王を、メルディーナは切り捨てる。


「妾は――我々シャルオレーネは、其方らを切に必要としている」


 王女は厳粛な声でラルフの名を呼び、顔を上げさせた。


「其方が剣を捧げたのは、シャルオレーネ王家であろう? 王家を守る誓いは、あらゆる法令よりも優先するのではなかったか?」

 

 近衛騎士の忠誠は王個人に捧げられるものではないと、メルディーナは繰り返す。


「もはや、父上に王たる自覚はない。たとえあったとしても、王たる威厳が失われている事実に相違はない」

 

 現状、王家の意思を継ぐ者はメルディーナ・ブルジェオン・ドゥ・シャルオレーネをおいて他にいない、と王女は断言した。


「もう一度だけ、問う。ラルフよ、心して答えよ」

 

 発せられる言葉は同じでも、伝わる意味は違う。


「――我々シャルオレーネは、ここで終わるつもりはない。その為にも、其方が必要だ」

 

 求められる、信頼と不義。

 王女に従うということは、王に背くということ。


「だから、剣を預けよ。王家の為に、存分に振るわせてやる」

 

 されど、誓いの剣は裏切らない。


「――メルディーナ様」

 

 反響する声が掻き消えると共に、ラルフは両膝を付いた。いつの間にか、腰の剣も抜かれている。


「必要ない。其方の剣は既に捧げられておる」

「いえ、これは貴方様個人に捧げたいと存じ上げます」

 

 ラルフは言葉を重ね、

「メルディーナ様の心遣いは痛み入りますが、私は私の意思で、貴方様にお仕えしたいと申し上げます」

 今一度、己の剣を献上せんとする。


「近衛騎士ではなく、一介の騎士として――我が一生を捧げます。この剣が折れるその時まで、貴方様に降りかかるあらゆる災難を切り開くことをお誓い申し上げます」

 

 少女の両手が剣を取り、曇りなき刀身が姿を現す。


「神と貴方様の名の元に――」

 

 そうして、口上を終えたラルフの肩が強く叩かれた。


「神と我が名において、汝の誓いを許す」

 

 メルディーナは抜身の剣を滑らせ、最後の言葉を言い放つ。


「これより、そなたは我が翼となれ。いついかなる時も我を支え、我の為に道を示すのだ」

 

 目前の切っ先に口付け、ラルフは精悍な声で応じた。


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