第11話 奴隷の矜持

 訓練のあとは、たいはんの生徒が大浴場で汗を流す。

 入浴様式は蒸し風呂と浴槽に浸かる二種類。双方を合わせると、一度に百人は捌ける規模を有している。

 また僅かだが、他人に肌を晒すのを厭う貴族たちの為に個室もあり、長風呂を好むリンクはもっぱらそちらを利用していた。

 

 ブール学院に入学してからの趣味である。

 彼は様々な労働奴隷と親交を得ているので、あらゆる面で融通を利かせて貰っていた。

 

 本日も、貴族を先置いて入浴を済ます。

 

 貴族たちは順番が来るまで姿を見せず――

 また、彼らの代わりに並んでいる奴隷たちは他人の身分を正確に判断できないので、見咎められる心配もない。

 生徒たちが連れてくる奴隷の多くは著しく教養に欠けていた。

 

 フィリスのようなタイプが特別で例外なのだ。いや、もしかすると皇族の奴隷は皆そういうものなのかもしれない。

 

 リンクは考える。

 

 もし、自分に奴隷が与えられたとしたら、きっとフィリスのように育てるだろうと。自分の欲望や感情の捌け口だけにするなんて、勿体ない。

 それが羨ましくないとは言わない。リンクとて年頃の少年だ。

 

 そういった思春期の事情を踏まえて、ブール学院では男女の居住区が完全に分かれていた。

 

 共用スペースは中央塔のみで、食堂や書庫などもそこに設置されている。

 本来なら、必要のない処置だ。

 女の軍人がいる以上、規律としては男女が一緒の空間にいたとしても、問題が起こってはならないのだから。

 いうまでもなく、同性同士でも駄目である。


「なんの真似だ?」

 

 いつもの階段の前に、生徒ではない男が立っていた。

 みすぼらしい服装からして、誰かの奴隷。リンクの様相を眺め、困ったように瞳を階下へと向けている。


「――去れ。貴様の主には、私から伝えておこう」

 

 奴隷の態度から状況を察し、リンクは居丈高に命令を下す。

 いきなり命令された奴隷は逡巡の様子を見せるも、騎士に口を挟めるわけもなく結局は従った。

 

 地下へと下りると案の定、男の声が聞こえてくる。

 

 防衛を目的として作られた城だけあって、ブール学院の構造は迷路じみていた。

 直線が少なく、曲がり角がやけに多い。また上階や地下の階層は分断され、同じフロアであっても階段の上り下りを求められるという、些か不便な造り。

 

 つまり、この階段が繋がっているのは書庫だけで普段は人の気配すらない。

 だからこそ、人目を気にする輩が目を付けたのだろう。

 

 リンクにしてみればここはある種の聖域であったので、そのような行為で穢されるのは不快で仕方がなかった。

 

 音を殺し、階段を下りきる。

 灯りからして、いるのは次の曲がり角。話し声も鮮明になってきた。


「――奴隷の分際で制服なんて着てんじゃねぇよ!」

 

 険のある男の声が地下に反響する。

 台詞からして、目的は場所ではなくフィリスだったようだ。


「ストレンジャイト家に甘やかされたからって調子に乗るなよな、奴隷が」

 

 先の合同訓練でなにかあったのか、それとも彼女が反抗らしい態度を一切示さなかったことに味を占めたのか……どちらにしろ、下らない。


「脱げよ。俺たち人間を喜ばすのが奴隷おまえの仕事だろ?」

 

 黙殺しているのか、彼女からの応答はなかった。

 感じられるのは下卑た男の獣欲だけ――リンクのカンに障った。

 床を踏み鳴らし、姿を晒す。

 驚いた男の顔が二つ。狭い通路でフィリスを挟むように立っていた。


「どちらが主かは知らないが、上にいた奴隷にはお帰り頂いた」

 

 狼狽を隠せないでいる二人に、リンクは告げる。


「それで、貴公らはこのような場所でなにをしている?」

 

 芝居じみた台詞に男たちは反抗的な目を向けるも、

「彼女が、スーリヤ=ストレンジャイトの財産と知っての狼藉であるようだが」

 相手が口を開くよりも早く、リンクはスーリヤの名前を出した。


「貴公らは、ストレンジャイト家の私物に手を出す意味をおわかりか?」

 そして、答えを待たずに刃鳴りを響かせる。

「それとも、死を覚悟してか? 心して答えよ」

 

 迷いのない態度に気圧されてか、男たちはリンクがスーリヤの騎士として振る舞っていることに疑問を覚えず、平伏しだした。


「どうか! どうか、お許しください」

 

 ストレンジャイト家の耳に入るのだけは避けたいのか、男たちは乞い願う。


「――去れ。今回に限り忘れてやる。だが、次はないと思え」

 

 リンクの温情に謝辞を述べると、男たちは脱兎の如く逃げ出した。


「……リンク=リンセント」

 

 リンクとしては余計なお節介だと思っていたのだが、意外にも彼女の声は震えていた。

 それだけでなく、彼女は制服の上衣のボタンを外し、チュニックを晒していた。


「……まさか、おまえ?」

 

 ある懸念が過り、リンクはフィリスに手を伸ばした。乱暴に壁へと押し付け、そのまま両手を拘束する。

 顔を覗きこむと、フィリスは明らかに怯えていた。

 そこに怒りや抵抗の色はなく、ただ奪われる事態を想定した恐怖しか見当たらない。


「やっ……ぁっ……」

 

 フィリスは奴隷として生まれたのではなく、なにかしらの事情があって奴隷に堕ちたのはなんとなくわかっていた。

 

 だが、未だに過去を克服できていないとは思ってもいなかった。

 

 吐息が触れるほど顔を近づけても、フィリスの瞳は一向にリンクと合わさらない。彼女は声が漏れ出ないよう必死で唇を噛みしめながらも、震えを止められないでいる。

 

 怯えようからして純潔は守られているようだが、無理やり押しやられただけでこの有り様では長くは持たないだろう。

 

 いくら暴力や乱暴な対応に弱いとはいえ、普段あれほど毛嫌いしているリンクにすら抵抗できないようでは、さすがに問題である。

 今まで書庫に篭っていたのも、もしかすると単に人と触れ合うのが怖かったからなのかもしれない。


「――剣を握れ」

 

 このままではマズいと、リンクは離した左手を壁に押し付け、容赦なく額をくっつけた。


「それとも、このまま奪われたいか?」

 

 説明がなくとも、フィリスは理解したに違いない。

 なのに、自由になった右手は自身の衣服を掴むだけ。

 逃げるように、瞼も閉じられた。


「……わた、しは……奴隷だ。スーリヤ様の、許可なく……剣は……抜けない。あの方を……困らせる真似は……できない」

 

 できないよ……。と、今にも泣き出しそうに連ねるも、リンクは離さなかった。


「誰も抜けとは言っていない。ただ、握れと言ったんだ」

 

 恐る恐るといった様子で、フィリスの瞳が開かれる。


「その剣はスーリヤから貰ったものだろ? 制服だってそうだ。あいつがおまえに与えたものだろう?」

 

 うんうん、と子供みたいにフィリスは何度も頷く。


「そのことを良く理解しろ。おまえは奴隷だ。おまえの持ち物はなに一つない。すべてスーリヤに貸し与えられているだけだ」

 

 彼女の震えた右手がゆっくりと、腰の剣へと延びる。


「だから、それを捨てることは許されない。命に代えてでも、そいつは護らないといけないんだ」

 

 その剣は少女の掌に馴染んでいた。


「純潔とてそうだ。もはや、おまえの身体すらおまえのものではない。おまえのすべては、スーリヤの所有物だ。おまえの意志で勝手に傷つけていいものではない」

 

 鞘の中で、小さく刃が鳴く。


「おまえはもっと、

 

 やっと、二人の視線が交わる。

 至近距離で重なった瞳は迷うことなく、互いを見据えていた。


「――わかったか、フィリス」

 

 答えるように剣が鞘走りし、リンクは体を離す。

 しかし、一向に振られなかった。

 フィリスはしばらく刀身を眺めてから、鞘に返した。


「――感謝します、リンク=リンセント」

 

 それは初めて会った以来の笑顔だった。

 感謝します、とフィリスは繰り返し気持ちを言葉に乗せて微笑んだ。


「しかしながら、今後、スーリヤ様の騎士を騙る行為は慎んで貰いたい」

 

 が、すぐさまいつもの顔に戻る。

 そんな無表情に近い冷めた相貌を見つめていると、不意に悪戯心が芽生え、リンクは嫌らしく口元を吊り上げた。


「それで、いつまでその恰好でいるんだ?」

 

 上衣のボタンは開けっ放しで、確かな膨らみが二つ、薄着越しにしっかりとその存在を誇示していた。


「なっ!」

 

 指摘されたフィリスは今更ながら顔を羞恥に染め、背を向ける。

 その隙に、リンクは姿を消した。

 壁に反響して、フィリスの怒鳴り声。一階にまで聞こえるほどの威勢だった。


「悪かったな、勝手な真似して」

 

 足音を忍ばせて接近したリンクに驚いてか、金色の尻尾が激しく上下する。


「なっ、なんで! き、貴様、いつから気付いていたんだ?」

 

 リンクが人差し指を立てると、スーリヤは言葉尻を徐々に弱めっていった。


「フィリスに絡んでいた貴族は二人いた。となれば、奴隷も二人いなければおかしい」

 

 更に、この件は絶対にスーリヤに知られてはならなかった。目撃されれば最後。彼女には、どんな弁明も言い訳も通用しない。


「普通に考えて、おまえの動向は掴んでおくべきだからな」

 

 運任せで行うには危険が大き過ぎる。

 最低でもスーリヤの行方を把握し、行動を制限するか時間稼ぎをしなければならない。たとえ、奴隷を犠牲にしたとしてもだ。


「それでも、おまえを止めるのには限界がある」

 

 口に出しては言えないが、彼女の身体的コンプレックスを考慮すれば、大浴場ではなく個室を使うのは自明であった。

 また、性格的にスーリヤは自分で並びにいくので、自然と周囲は気を遣わざるを得なくなる。


「単純に、時間的にいて当然だと判断した次第だ」

 

 一般の男女ならともかく、リンクの入浴時間は女性と大差ない。スーリヤが僅かに遅れたのは、髪を乾かしていたからだろう。

 目をやっていたら、自然とリンクの手は伸びていた。


「なっ! な、……なんだ?」

 

 スーリヤは身を縮ませる。


「いや、なんとなく……絹糸ってこんな感じなのか?」

 

 女性の髪の美しささを表すのによく絹が持ち出されるも、リンクは触った経験がないのでわからなかった。

 ただ、いつまでも触っていたいと思い、毛先から指の隙間に通していく。


「そ、そんな上等なものではないぞ……私の髪は……」

 

 スーリヤはあたふたと謙遜するも、

「髪、解いてもいいか?」

 リンクは聞いちゃいなかった。


「……っ! いいわけあるかぁっ!」

 

 乱暴に手を払うと、スーリヤは音を立てて曲がり角に消えていった。

 と、思ったら急いで戻ってくる。


「言い忘れていたが、私からも礼を言う」

 

 顔と態度は恥ずかしげでありながらも、声音と気持ちは真剣さに満ちていた。

 そんな調子はずれな振る舞いは、間違いなくリンクのせいである。

 

 自覚していた彼は準じるように向き合い、

「いったい、なんのことだ?」

 気配を悟って気付いたわけではなかったので、その辺りはリンクにも判断がつかなかった。

 

 だから、誤魔化せるものなら越したことはないと恍けるも、

「なにがあったのかは知らない。ただ、あのフィリスがおまえに感謝すると言ったのだ」

 たったそれだけの理由で、彼女はありがとうと口にした。

 

 ――また、だ。

 どうしても、スーリヤだけは予想通りに動いてくれない。

 

 リンクは心の内で煩悶しながら言葉を探すも、

「……どういたしまして」

 結局出てきたのは当たり障りのない、つまらない答えだった。 

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