第8話 黒白の女
北の革命からひと月が経った頃、やっと生徒たちの耳にもその概要が入るようになっていた。
ちょうど先日、北方正帝の治める都アルニースで編成された軍隊が、ブール学院に立ち寄ったのがきっかけだ。
次々と教官に情報が持ち込まれ、そこから波紋が広がるように生徒たちへと渡り、現在へと至る。
そういった生徒たちを尻目に、スーリヤだけは直接情報を得ていた。
軍隊がわざわざ帝国街道から外れた辺境までやって来たのは、皇女への面会が目的だったらしい。
そこで色々と仕入れてきたと、彼女は自慢げに語る。
「シャルオレーネ十三世の崩御は時間の問題のようだ」
気を引きたくてか、スーリヤは勿体ぶった話し方をしていた。
場所は書庫。リンクとフィリスが丸テーブルの対面に座るので、彼女は両者の間に腰を下ろしている。
「完全に城を包囲されたらしい。城にはおよそ五万の人間がいるらしいが、兵はその半分以下だそうだ」
補給が途絶えた状況での籠城。
しかも、包囲する兵と民衆は十万を超えている。
「なら、冬は越せそうだな」
少し考え、リンクはそう推測した。
「本気で言っているのか?」
「防衛施設の程度がわからない以上断言はできないが、もし敵の侵入があり得ないとすれば、充分持ち堪えられる。知っての通り、北の大地は寒いからな」
皇女の立場では仕方ないともいえるが、スーリヤは首を傾げる。
「気温が低いと食材が腐りにくいのです」
主人が説明を求める前に、フィリスが答えた。
「つまり、日頃から余分に貯蔵することが可能ということか」
「それに加えて、極度に寒い気候では感染症も蔓延しにくいと聞く」
お返しではないが、フィリスが肯定する前にリンクはねじ込んだ。
「通常でさえ、攻城戦は防衛側が圧倒的に有利だ。その上、外にいるだけで死ぬ恐れがある気候となれば、攻めるほうは堪ったもんじゃない。どこまで士気がもつか。もったとしても、今度は兵站の問題が出てくる」
普段の人口からどれくらい増えているかによるが、王都だけで賄いきれなくなれば瓦解するのが道理。
食料にしても家屋にしても限界はある。
問題はどれほどの人間が王都に集結しているか、どれほどの人間が本来の仕事を放りだしているか。
軍隊と比べると、民衆は規律と連帯感に欠ける。
時間が経てば経つほどそれは顕著に表れ、いずれは綻びを抑えきれなくなる。
そうなれば、状況を打破する道も出てくるに違いない。
「本当に、道が封鎖されるほどの雪が降るのだとすればですけどね」
嫌味っぽくフィリスが口ずさむ。
共に同じ書物から得た知識なので、お互いに言わんとすることはわかっていた。
「それはだな――」
体験として知っているのか、スーリヤは自信満々に語りだす。
読書に没頭する二人の邪魔をするように、無邪気な姫様は話を吹っ掛けていた。
「だとすれば、先日の軍勢の目的はなんなのでしょうか? 両者が疲弊した隙を狙うとしても、冬の行軍は難しいですよね?」
「一つは警戒だろう。革命が成功するにせよそうでないにせよ、逃げる人間は必ず出てくる」
その保護――正確には捕獲だろうか。
政治的利用価値がなくとも、奴隷にはなるので決して無駄にはならない。
中でも、
「それに革命軍の本来の目的は、失われた領土の奪還だからな。勢いに乗ったまま、帝国に攻め入る危険性も無視できない」
敵の軍勢が整っている以上、備えるに越したことはない。
勝利に酔った軍勢は、時に恐ろしい行動に出る。
たいはんは無謀の一言で切って捨てられるも、稀に神懸った動きを見せる場合もあるので軽視はできなかった。
「あとは土地柄の問題だ。北方の地は冬になると、兵の移動すらままならなくなるからな」
「本当にたくさん雪が降るんですね」
壮大な雪景色を思い浮かべてか、フィリスの声は弾んでいた。
「リンクは見たことあるか?」
「……話に聞いただけで、見たことはないな」
思い出に浸ってか、リンクは穏やかな口調で答える。
「歩けないほど雪が積もるなんて、未だに信じられないくらいだ」
忙しくなく、スーリヤの視線は二人の間を往復していた。
ちょろちょろと落ち着きなく金の尻尾を揺らし、さんさんと愛嬌のある声をかけ、けらけらと屈託のない笑みを振りまく。
案の定、彼女も座学をサボる毎日を送っていた。
もっとも、下級生の場合は文字の読み書きから教えているので、その選択を責めることはできない。
「この辺りでは難しいかもしれないが、アトラスまで行けば積もった雪が見られるはずだ」
気付けば、リンクは彼女の姿を眺めていた。
まるで子犬だな、と。
離れた位置から見ているのが一番いい。相手をするのは、少し疲れる。
それにスーリヤを相手にしている時に限り、フィリスも柔らかい表情を見せてくれた。
「三百リーグ以上はありますから……馬を乗り継いでも十日近くかかりますね」
残念です、と頬を綻ばすとスーリヤはまたリンクの元へ。
すると、フィリスの表情は強張り、冷え冷えとした眼差しに変わる。
「冬休みになら行けるぞ。リンクはどうする? 家に帰るのか?」
「いや、俺は帰らない。適当に狩りをして過ごすつもりだ」
「狩りか。確かに、この辺りはよさそうだな」
海は森を育み、森もまた海を育む。
かつて、大規模な戦で森が焦土と化したことをきっかけに生まれた定説である。
両者は河川でもって繋がっており、共に影響を与えあう。
その為、帝国街道から外れた土地に至っては自然が多く残されており、ブール学院の近辺にも豊かな森が生い茂っていた。
もとより、三方向を海に囲まれたセクス半島は森へと至る河川が多く存在している。
「山賊が出るらしいから、教官にバレたら止められるけどな」
「あぁ、賊が出るのは聞いている」
生徒への仕送りを狙った強奪。それも貴族の荷馬車や船の積み荷を標的とした事件が、つい最近も起きていた。
賊は傭兵崩れなのか、統率の取れた動きで護衛をものともしないらしい。
それでいて一切の死者を出していないところからして、下層民の間では義賊として扱われている始末。
「実技演習として、討伐に出させてくれたらいいのに」
「無茶を言うなよ」
たとえそうなったとしても、スーリヤだけは外されるに決まっている。
「そうですよ。もし、そんな事態になったら力づくでも連れ戻されるに決まっています」
フィリスも諌止する。
「模擬戦すら、参加させて貰えるかどうか危ういんですから」
しばらくすれば、合同練習も増えてくる。
基本的に下級生は歩兵をやらされるが、スーリヤは除外されるに決まっている。僅かとはいえ、騎兵がいる限り最悪の事故が起きる可能性は拭えない。
「指揮官としてなら、問題ないだろ」
「それは困る。指揮官としての勉強などまったく手を付けてないんだぞ?」
「そこは、本を読んで学べばいい」
リンクは簡単に言ってのける。
「それに、指示出すほうも気を遣うだろう」
「むー、それを言われると痛いな」
時が経てば現実を思い知る。
結局、スーリヤにはリンク以外に気安く話せる相手は現れなかった。
「そうだ! リンクの姉がいるではないか!」
「いや、リアルガ姉さんは無理だ」
「そうなのか? 貴様の姉だろ?」
「俺とは、正反対と思ってくれて構わない」
良くも悪くも、リンクが注目を集めること自体、気に食わないのだ。
「言われてみれば、あまり似てないな」
「俺は母親似なんだ」
髪の色さえ違う。
リアルガは栗色でリンクは黒。同じなのは瞳の色くらいだ。
「性格も気難しいし、とてもじゃないが、スーリヤに指示を出すなんて無理だな」
「そうか……」
しゅん、とスーリヤは叱られた子犬のように項垂れる。
どうにかしてやりたい気持ちが芽生えてくるも、リンクは頭を振って誤魔化した。
目立つ真似をすれば、リアルガが黙っていない。現状でさえ危ういというのに、教官を教唆したと知られたら、本気で殺されかねない。
リンク=リンセントは非凡であってはならないのだ。
リアルガより、優れた結果を出すことは許されない。
良い意味で、教官の目に留まってもいけない。
間違っても、素性を調べ上げられる事態だけは避けなければならなかった。
さもなくば、リンセント家は騎士の身分を剥奪されるだけでなく、罰せられることになる。
他ならぬ、帝国の法によって――
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