第6話 皇女の奴隷

 翻訳しながらの読書は手間がかかる。

 少女は没頭してか、リンクが立ち上がるまで時間に気付いていないようだった。


「あ、ご飯……」

 まぁいいか、と続きそうな響きであった。


「俺は今から行くけど、一緒にどうだ?」

 放置しておくのは気が引けて、リンクは誘い文句を口にする。


「……」 

 が、少女はじーと見ているだけで返事をしない。


「どうかしたか?」

「えっ? あ、すいません。夜の髪というのは、貴方のような髪のことを言うのかなって」

 

 まだ、本の世界にいたようだ。


「ここが薄暗いから、そう見えるだけだろう。俺は今から食事に行くけど、どうする?」

「え? でも、時間が……」

「問題ない。俺はいつもこの時間だからな」

「なら、ご一緒させていただきます」

 

 灯りを消すと、書庫は暗闇に閉ざされた。

 気が狂いそうな深淵に包まれてなお、二人は反応らしい反応を見せず、淡々と足を進める。

 

 自己紹介くらいするべきかとリンクは考えるも、どう考えても碌な目に遭わないと思い、保留にした。

 スーリヤを間に入れたほうが、お互いの為にも幸せだ。

 

 そう、思ったのに――


「スーリヤ様?」

 

 既視感漂う光景。

 人気のない食堂には、スーリヤが仏頂面で待っていた。


「どうしたんですか、このような場所で?」

「……待っていたんだ」


「えっ!? もしかして、私をですか?」

 少女は膝を付く勢いで頭を下げようとして、


「ここでは、そういうのは止めてくれと言ったであろう?」

 スーリヤに止められる。


「……申し訳ございません」

 今にも泣きだしそうに少女は零し、リンクは予感が的中したことを悟る。

 

 やはり、少女にとってスーリヤは絶対的存在のようだ。それも主従関係というだけでなく、本心から慕っている。

 

 となれば、自分がどう思われるかは想像に難くない。

 どうせスーリヤのことだ。すべて話しているに決まっている。


「丁度いい、スーリヤ。紹介してくれないか? まだ、自己紹介も済んでいなかったんだ」

 

 そうなのか? と、スーリヤは疑いに満ちていながらも、弾んだ声を出した。


「スーリヤ?」

 

 呼び捨てただけで、少女は敵を見るかのようにリンクを射抜いた。書庫にいた時の好意的な態度が、嘘みたいに反転している。


「あぁ、これが私の奴隷でフィリスだ」

 

 フィリスの肌に色が帯びる。怒り、ではなく憤怒。

 スーリヤのような微笑ましさが、まったくもって感じられない。

 これは、リアルガが見せる敵意そのものだ。


「フィリス、これが言っていたオルナ・オーピメントことリンク・リンセントだ」


「よろしくな、フィリス」

 頭を下げると、


「えぇ、こちらこそ」

 ちゃんと応じてくれたがそれだけ。

 一向に瞳の色は変わらず、リンクを捉えている。

 

 かくいうリンクは既にこの状況を諦めており、スーリヤと並ぶとフィリスの髪は銀色ではなく月のように薄い金色なんだな、と呑気なことを考えていた。

 

 結局、三人で食事をする。

「ところで、二人は何処にいたんだ?」

 気にしてか、スーリヤは訊いてきた。


「本を読んでいただけだ」

 視線でリンクを名指ししていたので、答える。


「……」 

 察してか、フィリスは黙っていた。


「なんだ、リンクも本の虫なのか」

「今朝、言ったろ? 本を読んでいれば事足りるってな」

「そういえば、そうだったたな。しかし、本か。どうも私は苦手だな」

 

 それはそうだろう。スーリヤは夢さえ思うがままにならない身分ではない。

 むしろ、想像で終わらせることなく、叶えられた存在だ。


「馬や剣術にばかり手を出してた口か」

 茶化すようにリンクは告げる。

 

 王侯貴族の場合、剣術よりもダンスや音楽を学ぶほうが重要とされているものの、それらを楽しんでいるスーリヤの姿は想像できなかった。


「うん、そうだな。私は早くから、軍属に就きたいと思っていたからな」

「それはまた珍しいな」

 

 制度上、爵位や領地は一番近しい近親者に与えられる。

 長男が継承者エア、次男が予備スペアと呼ばれるだけあって、その他の近親者には分け前がない。

 その為、継承者に養われる身分を良しとしない気骨のある次男以下は家を出て、様々な分野で活躍をしていた。

 

 中でも軍人は人気だが、それは男に限った話だ。

 女の多くは、政略結婚の駒として他家へと嫁ぐのが一般的であろう。

 

 貴族ともなれば、生まれた瞬間に許嫁の存在がいてもおかしくはなく、十六には結婚していてしかり。

 そんな中、相手がいない状況は本人に問題があると誤解されかねない。

 その言い訳として、聖職の身に就く女性はいるものの、軍属を選ぶのは稀であった。


「スーリヤはそのまま軍に入る気なのか?」

 

 帝国の歴史において、戦場で軍隊を指揮することのできない王は廃位され、長生きすることは叶わない。

 

 現に四分治政テトラルキアの初代正帝は皆、軍人上がりである。

 

 今でも東と西は現役で、度々兵を率いては侵略者を相手にしていると聞く。

 したがって、軍学校に出た女性は彼らの目に留まりやすく、そういった目的で貴族の子女が入学すること事態は珍しくはない。

 しかし、そのまま軍属に就く者は圧倒的に少なかった。


「できればそうしたいが、難しい。軍学校に入るだけでも揉めたからな」

「それはそうだろう」

 

 性格からして、スーリヤは政争の場には置いておけない。

 そうなると、場所は北方内に限られる上に帝都アルニースから離れた辺境となる。

 が、それはそれで別の不安が付いてしまう。


「スーリヤ様が護衛や侍女を連れていくのを拒むからです」

 自業自得だと、フィリスが窘めるように漏らす。

「スーリヤ様はもう少し、ご自分のお立場を自覚されるべきです。特にストレンジャイト家というだけでなく、年頃の娘であることを意識してください」


「しかし、私はその……色々と足りないから」

「そんなことございません! スーリヤ様はとてもお綺麗でいらっしゃいます。ですから、変な虫には気を付けなければなりません」

 

 そこで俺を見るのは止めて欲しいと思いながらも、リンクは空気を読んで沈黙に徹する。


「訓練中もそうです。教官も含め、皆が隙あらばと狙っております。その意味合いはそれぞれ違うようですが、用心するに越したことはありません」 

 

 可哀想だが、スーリヤが同学年で友人を作るのは不可能であった。そうでなくとも難儀だというのに、フィリスが番犬の如く控えているのだ。

 彼女に睨まれては、並大抵の人物は物怖じせずにはいられない。

 

 ――フィリスは本気で世界を呪ったことがある。

 

 それに比べて、この学院にいる者たちはそこまでの絶望に触れたことすらない。奴隷を持つ、貴族ですらそうだ。

 彼らは既に奴隷であったモノ、もしくは奴隷として生まれたモノを与えられただけであって、人を奴隷に堕としたわけではないのだから。

 

 だとすれば、怨嗟の念を浴びせられたことなどないはず。

 

 それほどまでに、奴隷は心を折られている。

 なんせ、財産だ。人ではない。

 そのように調教されてからでないと、一般の市場には出回らないようになっている。

 

 そんな奈落の闇から、フィリスを引き揚げたのはスーリヤに他ならない。

 奴隷は主人の裁量一つですべてが決まる。

 

 きっとスーリヤじゃなければ、今のフィリスは存在していない。

 

 だからこそ、フィリスは護る。決して警戒を怠らない。スーリヤに仇なす者は許さず、近づく者を片っ端から睨み倒す。

 そして、大抵の人間はその覇気の前に尻尾を巻いて逃げることになる。

 

 その心意気を褒めるようリンクは笑いかけるも、フィリスの頬は頑なに綻びを避けていた。

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