第3話 皇女が来た理由

 雄鶏の鳴き声が朝を告げる。

 しばらくすれば明けの鐘が打ち鳴らされ、生徒たちに目覚めを告げる。

 

 ――朝食の支度が整ったと。

 

 日によって違うものの、生徒たちには激しい訓練が待っている。

 さすれば食事を抜くのも、食後すぐに動くような事態も避けるようになる。

 

 したがって、生徒たちの朝は早かった。

 

 リンクも起床と共に就寝着を脱ぎ、柔らかなチュニックを纏う。

 その上から指定の上衣に袖を通し、下は学年も性別も関係ない黒の脚衣――これが一般的な制服となる。

 

 ここからは貴族や騎士、平民によって異なっていた。

 

 リンセント家は騎士の家系なので家紋――剣と盾を背負った鷲――を染め抜いたサーコートを羽織る。

 袖はないものの、脛まで届く冗長な外套。

 腹部からのスリットがなければ、貴婦人が好むワンピースと言っても通じるかもしれない。

 最後に剣帯を右腰から斜めにかけ、剣を吊るせば完成。


「一応、用心しておくか」

 

 鏡に映った自分の姿を見て、リンクは剣を抜いた。

 そうして左手で髪を掴み、断つ。

 前、横、後ろと乱雑に毛先を切り離していく。


「こんなもんか」

 

 剣では難儀になったところで散髪を止める。

 充分、印象は変わっていた。

 これなら、本人以外には気付かれる心配はないだろうと部屋を出る。

 

 ブール学院は大きな一つの塔に、六つの小さな塔が付随した造りをしていた。

 

 リンクがいたのは塔状住居タワーハウスの一つ。

 小さな塔は生徒や労働奴隷たちの居住区で、学び舎をはじめとした様々な教養スペースは大きな中央塔に配置されていた。

 

 なので、目覚めた者は誰もが中央塔へと向かうことになる。

 

 ただ途中から、リンクは他の者たちとまったく違う足取りを辿った。

 誰もが食堂へと向かう中、地下にある無人の書庫を訪れる。

 

 そこで朝の読書を嗜むのが習慣となっていた。

 戦士だった母の教えでもある。

 

 長生きしたくば、知的な識見を持たなければならない。

 

 知識はいくら他人に提供しても平気だが、身体は違う。

 差し出せば差し出すほど摩耗し、いつかは使い物にならなくなる。

 

 だから、リンクはこうして知識を、技や芸を身につけていく。

 肉体的に劣っているからこそ、力ではない別の武器を求める。

 

 さもなくば、いつか訪れる〝戦〟で生き残ることはかなわない。

 

 兵士の命は、いくらあっても足りないのだ。

 どんな小さな争いでも兵は死ぬ。

 騎士とはいえ所詮は成り上がりでしかないリンセント家には、その一人になる可能性が充分にあった。


 

 

 鐘の音が聞こえる。

 カンカンカンと、打ち鳴らされている。

 

 その音に急かされ、生徒たちは移動していた。前日に受けた指示に従い、中央塔の中と外に分かれ始める。

 そんな彼らを尻目に、リンクは食堂に向かっていた。すれ違う人の視線を気にも留めず、のんびりと歩いている。

 

 そして、ほぼ無人の食堂に辿り付くと――

「遅いじゃないか、オルナ・オーピメント」

 刺々しい言葉と眼差しが、リンクを出迎えてくれた。


「随分とこざっぱりしたものだ」

 

 それはリンクにとって予想外の人物。

 おかげで、小細工は無駄になってしまった。


「外見が一致しなければ誤魔化されると思ったのですが、どうやら貴方様を見くびっていたようです」

 微笑んで詫びるも、


「ふんっ」

 あり得ない待ち人――スーリヤは気に食わない様子。顎を上げ、不審な瞳で射抜いてくる。

 

 様相は昨日と変わらず、後ろで一つに束ねた金髪に赤い上衣。

 違うのは、その上からコート・オブ・アームズを纏っているところ。

 記された紋章は武具に埋もれた竜。

 パルダメントゥムと呼ばれる半円形の織物に、堂々と鎮座している。

 

 が、着こなしに少々問題があった。

 

 これは本来、室内では左半身を包んで右肩で留めるものなのに、彼女はマントのようにかけている。

 ようは襟元で留める形――昨日の指摘を意識しているのが見え見えである。

 留め具のフィブラも、双剣を模した大きなものという周到ぶり。


「貴様が、私を見くびっていたのは間違いないようだな。リンク・アン・リンセント」

 得意げに視線を送られ、リンクは困ったように笑う。

「この学院にオルナ・オーピメントという名の生徒はいなかった」

 

 リンクは笑みを深める。

 本心を悟られぬように、表情を取り繕う。


「わざわざ、お調べになったのですか? わたくしのようなモノのことを」


「あそこまで愚弄されたのは、初めてだったからな」

 スーリヤも笑う。獲物を追い詰めたかのように、にんまりと。


 それでも幼さのせいか、微笑ましく感じる。


「それはお一人で?」

「当然だ。こんな私的なことで家の力など使えるか」

 

 昨夜の笑みは本物だったのかとリンクが感じ入った途端、くぅぅ~と気の抜けた音が響いた。


「……?」

 

 リンクは所在が掴めずに眉を顰めるも、スーリヤの反応で気付いてしまった。

 彼女は馬鹿正直に自分のお腹に手を当て、顔を真っ赤にしてあたふたとしている。


「えーと、もしかしまして?」


「だ、黙れっ!」

 口元を手で隠し、睨みながら命令されるも全然怖くない。


「……朝から、ずっと待っていらしたのですか?」

 尋ねるも、答えは返ってこない。


「――スーリヤ様」

 子供や動物に話しかけるように優しく鳴らすと、


「だっ、だったらなんだ!」

 馬鹿にされたと感じてか、スーリヤは激しく捲し立ててきた。


「ちょうど、暇だったんだ! 抜刀の罰則で今日の訓練には出られかったからなっ! そうっ! だから待っていただけであって、訓練があったら誰が貴様なんか待つものか!」

 

 朝食の鐘が鳴ってから、かなりの時間が経っている。

 その間、こうして立っていたとすると、申し訳なく思うと同時に色々と腑に落ちた。

 

 ――結果が付いてくるタイプか。

 

 行き当たりばったりの暗愚の所業でありながらも、こうして辿り着いた。

 さぞ、注目を浴びたことだろう。ずっと一人きりで立っていたのだ。どれほど、無配慮な視線と邪推を向けられたか。

 それでも、こうして待っていたのだ。

 気付けば、リンクは頭を下げていた。自然と両膝を付き、深く深く、お詫びする。


「ばっ馬鹿! 誰も謝れとは頼んでないだろ! そもそも、私が勝手に待っていただけであって貴様が悪いとか……いやっ! 昨夜のことは間違いなく貴様が悪いのだが、そこまでするほどじゃないっ」

 立て! 立てっ! と喚きながらスーリヤの手が肩に触れる。

「まったく! 騎士の子息ともあろう者がこうも容易く膝を折るとは、なにを考えているのだ?」


「ただ、お詫びしたかっただけでございます」

 リンクは正直に告白する。


「それは、なにをだ?」

 硬い言葉にスーリヤは威厳を取り戻したのか、試すような表情で答えを促す。


「貴方様を謀ろうとしたこと。この程度の小細工で、欺けると思っていたことです」

 

 この手の人種は、人を使うに違いないと決めつけていた。探し出すまでは、自分から動くことはないだろうと。


「どうやらわたくしは、心の底から貴方様を見くびっていたようです」

 

 先入観から、彼女をそこいらにいる貴族と同列に扱ってしまった。

 そのことを、リンクは謝罪する。


「心の底から見くびっていた……か。貴様はもの凄いことを口にするな」

 怒りよりも呆れが強いのか、スーリヤは歯切れの悪い口調で漏らした。

「しかし、今は違うと申すのだな?」


「えぇ」

「だったら、その言葉遣いを改めたらどうだ? 悪いが、馬鹿にされているようにしか聞こえないぞ」

「そうは申しましても……」

 

 スーリヤのような少女に見上げられるのは、どうも落ち着かなかった。

 かといって、同じ立場の人間に話しかけるように接するのも躊躇われる。

 

 この娘は、黙っていると本当に綺麗なのだ。

 

 それも宝石や刀剣のような、冷たさを持った美しさ。

 凡人が気軽に手を伸ばすには、それなりの覚悟を要する。


「言っておくが、私は期待していたのだぞ」

 

 リンクがいつまでも口籠っていると、拗ねた響きで非難された。


「貴様なら、家のことなど関係なく接してくれるだろうと……楽しみにしていたのに……」

 

 最後のほうはか細かったが、きちんとリンクの耳に届いていた。

 おかげで、決心せざるを得ない。リアルガが聞いたら怒りを禁じえないだろうが、これ以上スーリヤの落ち込む顔を見ていられなかった。


「はぁ……。色々と悪かった。昨夜の件も含めて、な」

 

 なんとなくだが、彼女がこの学院に来た理由もわかった。


「まったくだっ」

 

 僅かに触れ合っただけで、これだ。

 信頼の籠った満面の笑み――あまりに無邪気すぎる。

 

 とてもじゃないが、こんな少女を政敵になり得る存在がいる所に置いてはいられない。


「とりあえず、飯にするか」


 異論はないようで、スーリヤは素直に付いてくる。


「訓練はいいのか?」

「座学だから問題ない。はっきり言って、ここで学ぶことなんてないぞ。本を読むほうがよっぽど有意義だ」

「存外傲慢なのだな、貴様は」

「そうじゃない。……スーリヤも、すぐにわかるさ」

 

 楽しみにしている、とスーリヤは嬉しそうに頬を綻ばせた。

 こうも喜んでくれると呼び捨てにした甲斐はあるものの、リンクの内心は複雑であった。


「だが、大丈夫なのか?」

 

 厨房を覗き見ると、奴隷たちが忙しなく動いている。既に片づけ及び、昼の準備に取り掛かっているようだ。


「問題ない。いつものことだからな」

 そう言って、リンクは一人の奴隷に呼びかけた。

「今日は二人分な」

 

 その気安さにスーリヤは驚くも、奴隷も慣れているのか陽気に返している。


「もう準備している。座って待ってな」


 言われたと通りにすると、すぐさま食事が並べられた。


「そういや、スーリヤは自分の奴隷を連れてきていないのか?」

 

 配膳が整うまでの暇つぶしに、リンクは問いかけた。

 貴族の多くは、十歳になると近い年頃の奴隷を与えられると音に聞いている。

 事実、この学院にいる何人かは奴隷を持ってきており、付き人の真似をさせていた。

 それなのに、昨夜も今日もスーリヤの傍には誰もいない。


「いや、いるぞ。連れてきている」

「どうしてるんだ?」

「訓練に出させている。私の奴隷としてだけではなく、一生徒としてここには来て貰ったからな」

 

 やはり、器が違う。

 学生の身分とはいえ、奴隷を自分と同等の立場に置くとは。


「優秀か?」

「誰のモノだと思っている? 彼女はストレンジャイト家の――いや、この私の〝財産〟だぞ」

 

 過去に大きな反乱があって以来、マラ帝国では奴隷を『物言う道具』ではなく『貴重な財産』として扱っていた。

 

 財産とはすなわち、他人に自慢できるモノである。

 

 その為、王侯貴族の間では奴隷の教育が進んでおり、専門家顔負けの知識や技術を持つモノさえ存在するという。


「どうぞ、お召し上がりくださいませ」

 ちょうど、配膳が整った。


「いつも悪いな」

 リンクがお礼を述べると、奴隷は丁寧に一礼して厨房へと去っていく。


「私と貴様で内容が違うのはどういうわけだ?」

 

 スーリヤの前に並ぶお皿は華やかな色彩に溢れている。

 ミルクの香るオムレツ、緑の葉菜にオリーブ、新鮮な魚介のスープ、デザートに果物といった、パンを主菜とした定番の朝食だ。

 

 一方、リンクのお皿はとにかく暗かった。

 灰の中で火を通した卵、動物の血肉を固めたような塊と一見して判別がつかない。主菜もパンではなく木の実だし、デザートは干した果物とすべてが茶色かった。


「スーリヤのは生徒たちが食べる食事。それらより、些か豪華ではあるがな」

「で、貴様のは?」

「ここでは、奴隷たちが食べるメニューだ」

「ここでは?」

「そう、ここでは」

 

 リンクの前に並ぶのは、貴族たちの間で珍味と見なされているものだ。

 豚の脳みそに睾丸、乳房に子宮――


「な! し、子宮まで食べるのか?」

「流産した子宮が一番美味いってわかっているほどには、食べられているな」

 

 逆に、一回も妊娠したことのない豚は高く評価されない。

 乳房は反対に、流産したものが不味く、出産した子豚が吸い付く前のものが最高品質とされていた。

 ただ、これらも個人の嗜好によって違う。中には、処女豚の子宮を好む者も少なくはなかった。


「一匹につき僅かしか取れないからな。生徒たちに出すには向いていない。さりとて、ここではわざわざ所望する人間もいないから、奴隷たちで食べているんだ」

 

 元々は、主人たちが食べない部位を奴隷たちが食べていたのが始まり。

 美味しそうに食べる奴隷たちを見て、主人たちの好奇心が刺激されたという次第だ。


「……美味いのか?」

「俺はそう思うから食べさせて貰っているけど、誰もが望む味ではないだろうな」

 

 スーリヤは興味を持っていたようだが、所望はしなかった。

 仮にも皇女であるからか、他人に配膳された食事を味見させて貰う発想がなかったのだろう。


 そこまで汲み取っていて、リンクも勧めなかった。


 既に喋り過ぎている。他の生徒たちと違ってスーリヤは馬鹿ではないので、あまり余計なことを口にすべきではない。

 

 そうして、二人は他愛のない雑談と食事を楽しんだ。


 幸いにも、どうしてリンクが貴族たちの間で珍味とされている食材を知っているのか、という質問は飛んでこなかった。

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