第1章 兵士たちの学び舎
第2話 姫剣士様と怠惰な騎士様
スーリヤ・ユンヌ・ストレンジャイトが騒動を起こしていると聞いて、ブール学院の生徒たちは食堂へと集結していた。
さすが
新入生の身分、それも初日からこれほどの人を集めるとは。
そもそも、彼女が入学している時点でおかしいのだ。
ここはマラ帝国の中でも底辺とされている軍学校。
建物は壁と塔からなる古い造りで、場所はどの首都からも著しく離れた辺境である。
そして、貴族といえば没落か下流――間違っても、皇女の身分には相応しくない。
現に彼女の兄たちは、首都セントラルにあるアヌス士官学校や名のある騎士団に身を置いている。
他の皇子や皇女たちもしかり(もっとも、騎士団は女人禁制だが)。
つまり、ここにいる者たちは実に世俗的な欲求で馳せ参じていた。
――皇女を一目、拝見したい。
その結果がこれだ。
情報は教官の耳に入らず、生徒だけに渡った。
「不満なら、かかって来るといい」
周囲の状況に気づいていながらも、スーリヤは冷然と言い放つ。遠巻きに囲まれ、眺められるのには慣れていた。
対して、相手の少年は目に見えた反応を示す。
「いいのか? 訓練と違って
声が震え、視線があちこち飛んでいる。
明らかに、自分の陰口が引き起こした事態に理解が追いついていない。
それでも男としては引けず、売り言葉に買い言葉――気づけば、一触即発の空気に陥ってしまった。
「結構。私としては、こちらのほうが手慣れているからな」
そう言って、スーリヤは腰の剣に手をかけた。
ブール学院では帯剣が義務付けられている。
曰く、剣とは携帯武器なので違和感なく持ち運べるよう。
加え、自制心を鍛える名目もあるのだが……。
「あの二人は、教官の話を聞いていなかったのか? それとも、都合よく忘れているのか」
「後者じゃない? 去年のグノワがそうだったし」
かような状況でありながらも、二人の上級生は歓談していた。
新入生に割りあてられた時間に居座っているだけあって、一人は騎士の家系を示す
「あのグノワでさえ、場所は弁えていたというのに」
「騎士様が上手く誘導しただけじゃなかったっけ?」
今にも剣を抜きそうな二人の間に、最上級生が割って入った。
騒動を止めるのかと思いきや、どうも様子が違う。
「あの家紋、騎士様のお姉さんじゃない?」
「あぁ、リアルガ姉さんだ」
「わかりやすく媚びてるね」
あろうことか、彼女は決闘を推奨していた。
「気持ちはわからないでもないが、露骨すぎる。本当の意味でお近づきになりたいのなら、この場は諫めるべきだ」
「じゃぁ、そうしたら?」
「嫌だよ、面倒くさい」
更に最上級生――
「アーサー! 騎士様!」
いくら騒々しくても、自分の名を呼ばれたら反応してしまうものだ。
二人が振り返ると、
「おっと、悪い。連れが呼んでいるんで」
大柄な少年が、いけしゃぁしゃぁと人混みをかき分けてきた。
「特等席じゃないか。アーサーはともかく、怠惰な騎士様までいるなんて。さすがはスーリヤ=ストレンジャイト!」
「誤解だ、グノワ。俺たちの目の前であの二人が騒ぎ出しただけだ」
「おっ、決闘すんのか。いいところに来た。あれっ? スーリヤ=ストレンジャイトの立会人って、騎士様のお姉さんじゃ?」
「そのくだりはもうやった」
可哀想に、少年にも立会人が付いてしまっている。
これでもう、逃げることも許されない。
「グノワ、教官を見なかったか?」
「見てないな。籠って書き物でもしてんじゃないか? 今日、新入生の順位戦があったわけだし……騒動の理由ってまさか?」
「さすが、グノワ」
アーサーが嫌味っぽく、説明する。
「そうなんだよ。いつぞやの誰かさんみたいに、あの少年は納得がいかないようなんだ。それで突っかかったんだけど、どこかの騎士様と違って姫様は即決で喧嘩の購入を求めてしまってね」
「おまえ殴るぞ?」
二人が賑やかにしている間に、準備が整ったようだ。
「ストレンジャイト家だからって、誰もが手加減すると思うなよ!」
威勢のいい発言は自身を鼓舞する為か――年齢の割に大柄な少年は剣を抜き放った。
「あぁ、それを切に望む」
心の底からそう思っているのか、魅力的な笑みを浮かべて少女も刃を晒した。
互いに片足を踏み出し、相手へと半身を向ける。
少年は左――両手に持ち直した剣を顔の横で構え、突進の姿勢。
スーリヤは右――下げた腕を左腰に、切っ先を後方、柄を相手に向けるように構えた。
「スーリヤ=ストレンジャイトの勝ちだな」
二人の立ち振る舞いを見ただけで断言し、
「えっ? なんでわかるの騎士様?」
アーサーが疑問を呈す。
「男のほうは勝てる気でいるからさ」
「それなら彼女だって」
「違う。彼女は勝つ気でいるだけで、勝てる気ではいない」
スーリヤの唇は引き結ばれ、碧眼は油断なく敵を見据えていた。それでいて力んだ箇所は見当たらず、あれならどんな動きにも対応できる。
裏腹に、少年には一切の余裕が見受けられなかった。剣は力強く握り込まれ、最初の一撃しか考えていない。
「男は一撃で決めるつもりだろうが、甘すぎる。二人の体格差を考えれば難しくないが、そんなのは非力なほうがよくわかっている」
その見解を聞き、
「グノワ、耳が痛いんじゃない?」
アーサーが嫌味っぽく口にし、
「おまえ本当に殴るぞ?」
グノワが拳を振り上げる。
「それと、これは実戦じゃない。相手を殺す必要もなければ傷つける必要もない。だから、男の攻撃を避けておしまい。彼女、見るからに軽そうだし」
線は細く、一目で女とわかる身体つきをしているものの、いかんせ起伏が少ない。背は十二、三にしてはあるようだが、胸からお尻にかけては発育不足。
そんな失礼なことを考えていると、金色が揺れた。
後ろで、一つに結んだスーリヤの髪。
膝を落とすだけで少年の攻撃――突きに見せかけた横薙ぎの斬撃をやり過ごすと、少女はそっと剣を振り上げた。
まさに、お手本のような動き。
決して緩慢ではなかったのに、太刀筋が目に浮かぶ。
「……ぁっ」
少年は硬直し、息を呑む。
首筋に冷たい刃、目前には氷の双眸。
「参っ……た。俺の負けだ。今まで、の非礼も詫びる」
無言の威令に従ってか、少年は頭を垂れた。
そこでやっと、剣が引かれる。
すべてが洗練されていた。刃を鞘へと納める流れ、微かに響く金属の悲鳴、踵を返しなびく金髪――そのどれもが、劇の一幕のように流麗だった。
それが、不意に止まった。
集めた視線のすべてを無視して――気づけば、少女はたった一人を見据えている。
その相手に気づくなり、リアルガの表情が憤怒に染まる。
我が身可愛さに、アーサーとグノワは身を隠す。
そうして、怠惰の騎士様と揶揄される少年が残った。
「なんでしょうか?」
面倒だとしても、これを無視するわけにはいかなかった。
歩み寄り、正面から皇女と相対する。
「そなたにも謝罪を要求する」
いきなり、スーリヤは求めた。
吊り上がった目尻からして冗談の類ではないようだが、
「――はて?」
まったくもって憶えはない。
「わたくしめが、なにかしましたでしょうか?」
言い掛かりだ。それでも、へりくだる。立場上仕方ないと。
「失言にも、憶えはないと申すか?」
「そうは申されましても……。お目にかかるのは、こたびが初めてだと思いますが?」
そこまで口にして閃いた。
もしかすると聞こえていたのか? あの状況で――見るからに軽そう。
こちらが気づいたことに察してか、スーリヤは首肯する。
「さようでございますか」
素直に謝ってもいいが、ここは皇女の人となりを確かめておこうと思った。
「しかしながら、わたくしの目に狂いはないように思われますが?」
「なっ! どういう意味だ?」
「服のサイズがお合いになっていないのでは?」
にっこりと、丁寧に指摘する。
「わたくしめの位置からだと、下にお召しになっている
膝をつき、見せつけるように襟元に手をやるも指すら入らない。
一方、スーリヤの場合は確かめるまでもなく手が入るほどの空隙がある。
「それは……っ!」
唇を振るわせるも、言葉は一切出てこない。あまりの対応に、反論が思い浮かばないのだろう。
周囲も同じ気持ちなのか、場が静まった。
「どうやら、教官がいらしたようですね」
規則正しい足音、重たい足踏みが徐々に近づいてきている。
「貴様っ」
早くも、そなたから貴様に格下げのようだ。
「スーリヤ様はご高名でございますので、耳に届くのも早うございます」
そうして、教官が食堂に到着した。
生徒たちを押しのけ、近づいてくる。
「名をなんと言う?」
スーリヤは単刀直入に求めてきた。
「――オルナ・オーピメントと申します」
即答してやると、皇女は物騒な笑みを浮かた。そして連行されるでなく、自ら教官の元へと向かっていく。
リアルガが恐ろしい顔で弟を睨んでいたが、彼女も教官に連れていかれる。
「あのー、騎士様。一ついいかな?」
「なんだ、アーサー?」
「僕の記憶が確かなら、騎士様の名前ってリンク・アン・リンセントじゃなかったけ?」
「一度も呼んだことないくせして、よく憶えているな」
「なんで、嘘吐いたの?」
「そりゃぁ、面倒ごとは避けるに越したことはないだろう?」
「さすがは怠惰の騎士様」
呆れたように、グノワが茶化す。
「でもよ、バレたらもっと面倒にならないか?」
「その時はまた考えるさ。どうすれば、楽にやり過ごせるか」
皇女をよく知る者からすれば、彼の考えは甘いと言わざるを得なかった。
剣を握る皇女は希少ではあるが、決していないわけではない。
歴史を顧みても姫騎士と呼ばれた人物は何人かおり、貴婦人を筆頭とした民たちに敬われている。
しかし、スーリヤの場合は少し違った。
北方帝国の首都アルニースにおいて、彼女は姫剣士様と呼ばれ親しまれている。
立派な服装に剣を帯びていれば、誰であろうと騎士と呼ぶ一般市民ですら、彼女に限っては口を揃えて剣士と呼んでいるのだ。
それが意味することを、オルナ・オーピメントと名乗った少年が知るのは翌朝のことだった。
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