第五章 『Time heals all sorrows』02
――カラーン カラーン
カラーン カラーン……
真夜中、零時を示す鐘が鳴った。
それとほぼ同時に、サエとユウカ、二人の携帯電話が鳴る。
”らいなちゃん”、と表示されるメッセージを開くと、いつものスタンプだらけのぐだぐだな口語文ではなく、端的な文章が並んでいた。
「・第八公園の"揺らぎ"が閾値を超えそうである。
・周りを他のものと共同で結界で覆いながら行くから、わたしは後で行く。
・本来ならあんたら「普通免許」には荷が重すぎる。覚悟していけ。
・途中でスイに会うだろうから、詳しくはそちらへ」
「これは……」二人で顔を見合わせる。
「先生が遊ばないで、箇条書きで書いてくるくらいだ。相当な状態だと思った方がいい」
「そうだな」
二人はヒズラギ対策のスマートフォンを取り出すと、再度"光的補助"を唱え、公園へ跳躍をはじめる。
風のスピードに乗ってきた頃、右前方の街灯の上で誰かがこちらを呼んでいるのが見えた。
「おーい! サエ、ユウカちゃん!!」
「ねーちゃん!」
二人が街灯の側を通り過ぎると同時に跳躍するスイ。二人と同速度まで速度を揃えると、風に負けないように叫んだ。
「もー、ヒズラギ捕獲用のソフトが役に立たない! 真っ赤どころじゃなくて真っ白!」
「それって、ヒズラギが山ほど発生してるって事ですか」
「もちろんそれはそうだけど、それ以上に、ヒズラギが合体して大型になったり、上位存在にもなってるみたいなんだわ!」
かなりまずい!
そういうスイを見て、サエは全身に緊張が広がるのを感じた。
姉まで余計なことを言わないのだ。これは本当に危機的状況に違いない。
ユウカの方を見ると、同じ事を考えているらしい。目が真剣だ。
そして、第八公園が見えてきた。
この中心に、マナミがいるのだ。
サエはぐっと拳を握り込んだ。
別れの言葉を本当になんてしてやらない。
――第八公園は暴風のさなかにあった。
円筒状の通常のヒズラギの数はむしろ少ない。
だが、その情景に誰も一様に声を失った。
「――どうなってるんだ、これ」
風の中心から、その姿は異形に、いや、ゆめまぼろしにしか現れない姿へ変わっていく。
――宙を踊る一角の馬、翼持つ巨大な蛇、空を泳ぐ魚、炎のようなたてがみを纏う獣、コンクリートに直接咲き乱れる白い花々――。
ヒズラギたちが、端末の画面では追えないほど、現れては次々と夢幻の生き物へ姿を変えていく。
圧倒的な"揺らぎ"の濃さだ。完全にこの一帯だけは「外世界」とほぼ近似となっている。しかしその分だけ、姿を変えたものたちはここから離れられない。
「"――申請!"」
あまりのことに呆然としていると、後方から、そう唱えて暴風に一気に近づく影が現れた。
「"赤色と我らの名に於いて、結界よ立ち上がれ、異形を封じよ!"」
赤髪に白衣の姿はらいなだ。声が響くと、真っ白な花を裂いて、円弧と五芒星が赤く地面を走った。
そのまま、上方へ緋色の光が突き抜けていく。
サエたちがらいなの名前を呼ぶと、
「これで出て行きはしない、けど、全部捕まえるにはどうしたらいいかは、ちょっと考えるから待ってろ――!」
先生はこちらに振り向かず、その場で白衣とヒールを脱ぎ捨てた。
真剣さの度合いが増したことに、思わずサエは唾を飲む。
そして暴風の中心に立つその姿を見る。
足元の花々に白く照らされた、銀色になびくその姿。
「御先さん!!」
大声で叫ぶと、彼女はこちらを向いた。
見たことがないような、必死の表情でこちらに叫ぶ。
「来ないで! 今からわたしが『扉』を開く!」
「な……?」
『扉』を開く? 一体どうやって……、いや、それこそが彼女の傷ではないのか?
サエが答えを返せないでいると、らいなが声を放つ。
「お前が一番避けたいことが、『扉』が開かれることなんじゃないのか!? なぜ"揺らぎ"を集めて、こんなことをする!」
「わたしは、あのときなにもできなかった!」
彼女は叫ぶ。吹き荒れる風に向かって。
「だから今度は間違えない。ここにある"揺らぎ"を全部使い果たして、もう二度と『扉』が開かないようにする!
――今度は、わたしがここを守らなくちゃ」
そう彼女は言った。いままでにない、淋しい笑顔で。
マナミは端末を掲げ、風に消されないよう大声で叫んだ。
「"御先真望の名に於いて、式に従い、"揺らぎ"よ、元の姿に戻れ!
『封印解凍』!!"」
風が彼女の前でひとつの塊になろうとする。
青白い光が彼女の手からあふれ出ると、足元の箱にあったすべてのメモリーカードが大気へと昇華した。
捕らえられたヒズラギは、すべて"揺らぎ"に変換された。
そして最後の「呼びかけ」で、それは完成する。
「"現れ出でよ、『狭間の世界の調停者』!"」
――風は一瞬にして収まった。
そして、このフェンスに囲まれた公園の二分の一以上が、巨大な『何か』に、音もなく支配されていた。
小山のような体躯、鋭い銀の角は三本、額から背にかけてを彩る柔らかな銀糸のたてがみの下、黒く長い耳が見える。額に輝く大きな黝い鉱石、巨大で分厚い翼、あくまで太く力強い四肢とそのかぎ爪、艶やかな長い尾、漆黒の圧倒的な威容――!
サエも、ユウカも、スイも、らいなでさえも言葉を失った。
黒竜は――それを竜と言わず、何をそう呼ぼう――星の燦めきと夜闇を濾したような銀藍色の瞳を細める。同じ色の燐光がぼうっと全身を輝かせ、漆黒でありながら夜空のようにも見える。
真っ赤な舌がちらりとのぞく巨大な口と、生えそろった凶悪な牙。
そこから、地の底から鳴るような、脳内にも直接響くような、多重に聞こえる『声』がした。
『――幼き人類、小さな娘、選ばれた血の末裔よ。
我を呼び出したのは何故だ』
その声にひるむ事無く、彼女は黒竜へ願いを叫んだ。
「『扉』を開いて! ここにある"揺らぎ"を使い果たして、もうなにも起きないようにして!」
『小さきもの、ならば代償を支払え。それを喰らい、貴様の願いを叶えよう』
「――この血と肉を!」
『承知した』
竜は命を差し出すという申し出に何ら驚かず、長い首をもたげた。
そしてその右前脚を開き、彼女の細い体を横薙ぎに攫い、翼を広げて飛び去ろうとしたとき。
「行くなぁーーーーーーーーーっっ!!!」
息を切らして、竜の真っ正面にサエが飛び出してきた。
後ろでらいなやスイが慌てているが、そんなの気にならない。
連れて行かせるものか。
「彼女を返してもらう!」
サエの宣言に、竜は鼻を鳴らした。
『ふん。代償を支払うとまで言っている願いを貴様は叶えさせないというのか?
この娘の苦悩なら知っているだろう。
泣くことさえしない娘を、人間風情がどうできると?』
「おれはこの子のことが大切なんだ!
だから守る、連れて行かせない、犠牲になんてさせない!」
『では貴様が代償になるのか』
「もちろん、おれだって身代わりになんてならない。それじゃなにも変わらない!
おれがいなくなったら、また重荷が増えるだけだ。だからおれもどこにもいかない!」
竜はそんなサエに侮る口調で言う。
『言葉だけなら何とでも言えよう。人間だからな。
それでは試してやる。しばらく話し合え』
どういう意味なのかと問いかける前に、目の前にマナミを見つけた。
目を閉じた細い体を慌てて抱きとめると、竜の手のひらに自分のことも納められようとしていることがわかった。
それと同時に、サエは深い森の匂いに包まれていることにも気付いた。
その香りから、深遠な時や空間の気配を感じると共に、あらがいようのない力でサエは意識がどこかに引っ張られていくのを感じた――――。
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