第四章 『PIECE OF MY WISH』04

「よっし、今日も頑張るぞ」

「頑張ったら、御先さんに会えるかも知れないな」

「――おれのヨコシマなところをオープンにしないで下さい……」


 夜。今日も今日とて、サエとユウカは準備運動をしていた。

 ヒズラギを捕まえる前のこの運動は、挙動が読めない相手にも対応できるよう、二人で考え出したものだ。といっても、ストレッチと靴紐をしっかり結ぶくらいのものであるが。それでも、そのおかげで、今までほとんど怪我せずやってきているのだ。習慣とは非常に重要であると、サエは考えている。


 携帯端末をかざしながら、いつも通るルートを点検し、そしてまた第八公園へやってきた。相変わらず、消失したところはカラーコーンとテープで立入禁止になっている。端末で見る画面も、全体的に薄い赤のままだ。

 今日は道行き中に一匹もヒズラギを見なかった。この公園には先日の『現出』で大きな通り道が出来たようなものである。おそらくここから出現するのが簡便なのだろう。

 とりあえずここで待とうか、と話し合っているうちに、闇の向こうから、街灯に照らされる銀と白の姿が見えた。

「御先さん!」

 出会うと、つい彼女を呼んでしまうサエである。

 呼ばれた影は一瞬びっくりしたようだったが、小走りでこちらへやってきた。やはりマナミだ。サエはにっこり笑い、しかし、ふと心配顔になった。

「こんばんは、御先さんもここに来たの?」

「こんばんは……うん、来たよ。"歪み"がすごいからね、ヒズラギいそうだなって」

「でも……」

 そう、先日の、消失に対するマナミの反応については、詳しく聞いていない。

 マナミはそれに気付いたのか、少し微笑み、

「うん、あの時は急だったから……ちょっとね。昔のこと思い出しちゃって」

 そう言ってこめかみのあたりから流れる銀の髪を少し持ち上げ、

「元々はフツーの色だったんだよ。それがこんな、ファンタジーな色になるなんて、"歪み"はすごいね」

「……そのとき、どんなことがあったの?」

 できるだけ柔らかく、サエは尋ねた。

 聞いておきたかったからだ。好きな子が、一体どうして、夜一人でヒズラギ捕獲をするようになったのか。

 マナミは小さく頷き、

「うん、聞いておいてほしい……、かな」

「俺がいてもいい話?」

 ユウカが尋ねた。もちろん、とマナミは微笑んだ。

「きっと東雲くんは悩んじゃったりすると思うから、佐々河くんが相手になってあげてほしい」

「いつも通りの役目です、承ります」

「……おれ、そんなに悩んでる?」

「「うん」」

 二人に言われては、ぐうの音も出ないものである。

 マナミは、相変わらず少し笑いながら、軽く肩をすくめ、青のスカーフを触った。

「――でもまあ、簡単な話だよ。この第八公園で起こった『現出』の被害者のひとりが、わたしなの。一緒にいた両親は、消失してしまったから、もういない。でも、ちゃんと預かってくれる、いい人たちがいるから、心配しないでね」

「…………」

 サエは、一度口を開いたが、言葉を選びすぎて、何も言えなかった。ショックを隠しきれない。

 自分がこの仕事を始めようと思ったきっかけが、彼女の人生を大きく変えたことと同一だったとは。

 マナミは続ける。

「それでさ、まあさすがに、この光を放つ能力とか、すごい身体能力とか、使わないのはもったいないじゃない? ヒズラギ相手に使えるんだから、特にね。だから、今の保護者さんたちに言って、許可をもらったんだ」

 で、ちゃんとセンターに通って、免許を取ったんだよ。まだはじめて三ヶ月目なんだ。

 マナミはそう言って、また笑った。サエはうつむいている。また、東雲くんは悩んでるのかな、とマナミが思ったその時。

 サエは両手で、しっかりと彼女の肩を掴んだ。マナミは驚くが、

「御先さん……御先真望さん」

 急にフルネームを呼ばれ、思わず彼の目を見る。

「――へいきなふりなんて、しなくていいから」

 眦を下げ、焦茶色の瞳がそう告げた。

 掴まれた肩が、あたたかい。

「おれは、みんなを守りたい。だからこのバイトをはじめた。

 だから、だから、御先さんのことだって守りたいんだ。

 ――そんな風に、辛いことを笑って話さなくていいように」

「――!」

 思わず身を引こうと思ったが、掴んだ手がそうさせなかった。

 身を引こうとしたのは、逃げだ。辛いことを笑って話せなくなるから、逃げようとしてしまう。それは、友達に対しても今の家族に対しても、直らない癖だった。

「あ、いや、あの、……わたしは……」

 目線を合わせられず、俯いてしまう。

「……わたしは……」

 なにか話さなければと思った瞬間。


 ――――ウオォオオオ……!


 突如、左手から獣の咆哮が聞こえた。同時に、三人の端末も低く鳴る。ヒズラギだ! 三人は散会してそれぞれの武器を持った。

 それは、体長3mはありそうな堂々たる獣だった。廃墟の闇からずるりと全身を現し、フェンスを何もないようにすり抜けた。そして歩きながら、自身の存在を確かめるように身震いする。

 それは、ヒズラギと同じ闇の紫をした、影をしたたらせる獣であった。

「!」

 まず我に返ったのは、光棒を持ったサエだった。

「ダメだ、これは俺たちじゃ相手に出来ない!」

 いつもの相手と比べて巨大すぎる。そしてあまりに形を取り過ぎている。例え近づけてもその鋭い爪や牙で強い攻撃が予想される。

 獣はちらりとこちらを見ると、一瞬の跳躍でマナミの隣に位置を変えた。三人は散会した隊形のまま動けない。

 獣はこちらを攻撃することなく、しかしなぜか、マナミの背負ったリュックを熱心に嗅いでいた。

「……御先さん、その中……もしかして……」

 サエは声を抑えて言った。

 ヒズラギが求めるのは自身を固定するための生き物、そして、自身の存在を大きくするための"歪み"と"揺らぎ"。

 マナミは苦い表情を浮かべた。

「……今までの分のカード、全部入ってる」

「やっぱり……」

「こんな、こんなはずじゃ……」

「わかってる。わかってるから、そのリュックを置いて、一緒に逃げよう」

「だめだよ!」

 マナミは叫んだ。獣がいるにもかかわらず、大きく髪を振って。

「だめ、絶対それは出来ない。だってそうじゃなきゃ、わたしは……!」

 脳裏に浮かぶ。それは誰もいなくなった手の先。消滅した公園。その穴をコンクリートで埋め立てていく工事の様子。まるで自分の両親が完全にいなくなったような、塗りつぶされるようなあの感覚。

 新しい家族があたたかく見守ってくれていても、それでもなお、あのすべてが消え去ったショックは、まだ心で響いているのだ。

 だから、ヒズラギを集めた。集めて、そう、集めれば、もう一度、もう一度……――!

「真望さん!」名を呼ぶサエの声も届いていない。

「わたしにはやらなきゃいけないことがあるの! どうしても!」

 マナミが叫んだ瞬間。

 獣は足元から急速に不定形となり、べったりとしたタール状の液体となった。

 そして、それは意思を持つようにするするとマナミの左手に伸びていき、そのまま左手に留まり、手を闇の紫に染める。

「ヒズラギが……!」ユウカが急ぎ近づく。

「いけない、ヒズラギ化だ。なにか、巻くもの……」

 サエがユウカに尋ねる。

「あるよ、包帯なら。これでいい?」

 即座にユウカのウエストバッグから、包帯がいくつか出てきた。それを、サエは呆然としているマナミの腕に丁寧に巻いていく。

「ありがと。これさ、ねーちゃんが時々指先とかこうなって帰ってくるんだ。

 "ヒズラギ化"っていって、相手の存在をゆっくり浸食して、喰うために身体に留まるんだって……だから、他のものを押しつければ、そっちに移るって理屈らしいよ。

 ……よいしょ……きつくない?」

 サエは包帯を巻きながら、穏やかに尋ねた。

 マナミは、はっと瞬きをして、状況を理解する。

「あ……あの、わたし、わたし……」

「だいじょぶ。これもヒズラギ退治の一環だよ。お水飲む?」

 サエがペットボトルを取り出す。

 ユウカはいつもの無表情で絆創膏を取り出して、

「サエにもすこし黒いの飛んでる。理屈からいけば、これ貼っておけば平気そうだね」ぺたり、とサエの右手にいくつか貼り付けた。

「おわ、ありがとユウカ……全然気付いてなかった」

「わ、わたしも、東雲くん、ありがとう、ぜんぜん、きつくないし、ああ、ごめん、何から話せばいいかわからない」

 マナミはずいぶんと混乱しているようだ。サエは水をマナミに手渡し、

「とにかく、ベンチに行こうか。少し休もう」

 三人で、マナミを真ん中に座り、水を飲んでそれぞれ一息つく。

「――とりあえず、手をもう一度見せてくれる?」

「うん……なんか、包帯の方が黒くなってる……」

「じゃあ、上手くいってるみたいだね」

 マナミのいうとおりになっていることを確認して、サエはそっと手を離した。

 そして、む、と眉間にしわを寄せた。

「それじゃ、お説教ね」

 初めて見る彼の怒った顔に、マナミはびっくりして、姿勢を正した。

「……は、はい」

「――どうしてこんなところにまで、大量のカードを持ってきたの!」

 サエは大きめの声で、手を振りながら叱った。

「今回は巨大なヒズラギ1匹で済んだけど、カード自体からヒズラギが出てきたらどうするつもり!? そもそも、カードを貯め込んではいけないっていうのは、普通免許の基本でしょ! 一番危ないのは御先さんかも知れないけど、他のみんなにも影響があるんだから。わかった!?」

「は、はい……ごめんなさい……」

「ごめんなさいが言えたら、よし」

「――完全に叱り方がスイさんだったね」 

「そこは内緒にしてくれ……。俺、叱るの苦手だから……」

 すぐに眉間を緩め、困った顔になってしまうサエ。

 その変化に、思わずマナミは笑ってしまった。

「ご、ごめんなさい……」

「いいんだ、実際、そこって俺のダメなところだし……」

「ううん、そんなことない」

 マナミは首を振って言った。

「やっぱり、東雲くんは、やさしいんだなあって」

「……――」

 言われたサエは、ふいっと俯いた。黒髪から見える耳が赤い。

 ユウカは、マナミを見て、サエを見て、もう一回マナミを見て言った。

「こんなだけど、よろしく頼みます」

「こちらこそ、たくさん、よろしくお願いします……」

 先ほどの取り乱しようを思い出したのだろう。マナミは少し恥ずかしそうに答えた。

「きょ……今日は、これでおしまいかな。怪我をしたら帰るのが、鉄則だし」

 サエはまだ頬を赤くしたまま言った。

「そうだね。……私も、これ持ってたら捕獲どころじゃないから」

「――あの、真望さん!」

 サエは顔を上げ、しっかりマナミの方を向いて、彼女に言った。

「おれは、あなたが大事です。大好きだからです。今日は、家まで送るだけだけど、いつでも何か言って。なんでもいい。そうしたら、助けになるから。絶対、役に立つから!」

 真剣さが伝わる、その瞳。マナミは、サエのその言葉をかみしめ、頷いた。

「……わかりました。その時は、お願いします」


 ――そして、サエとユウカは家路についた。

 正確には、三人とも、一度マナミの家へ向かっている。

 また先ほどのように、巨大なヒズラギが現れるかも知れないからだ。

 もちろん、サエは、一緒に帰るというだけで未だに緊張していた。だが、マナミに手を振ることは忘れない。次は、一体いつ会えるだろうか、考えても仕方がないことを思ったりもする。

 ――しかし、ひとを好きになるということは、すごいパワーを使うものだ。

 さっき、自分らしからぬ、叱るという対応をしたことも、マナミに宣言したことも、普段の自分では思いつきもしないことだ。

 でも、大切なものに対しては、できるだけ力を貸したいし、守れるのなら力を尽くしたい。

 それを出来る今というのは、とてもありがたいことなのだろう。

 ああ、彼女の後ろ姿は、長い銀髪が青いセーラー襟と相まって、とてもきれいだったな。

 少しぼんやりしていると、ユウカが頭を撫でてくる。

「な、なに?」

「ぼんやりしてるみたいだったから、俺もちょっとアピール」

「アピール?」 

「まあ、恋するということは、そういうことだから」

「?」

「手を握ったから、次は接吻かな」

「せっ」

 そんな、恐れ多くて考えたこともないことを……!

 ユウカはふっと無表情を緩めると、珍しく少し長めに話しだした。

「あのね、サエはとってもいいやつだよ。だから自信持てば大丈夫」

「そ、そうかな……」

「そうだとも。ひとは大抵のことがあっても生きていけるのだ」

「はあ、よくわかんないけど……そうだね……」

「当然、御先さん――彼女だっていろいろ抱えてる。けど、だったらサエにだってサエにしかわかんないことがあるだろ?」

「うん、確かにそうだ」

 じっと、そこでユウカはサエを見つめた。

「恋は、ひとつじゃない。愛も、ひとつではない」

「――――」

「それらは自分たちだけのものだ。だから、よく考えて、よく選んで。サエ」

 そしてまた、サエの頭をくしゃくしゃと撫でる。

 サエは思った。

 どこかで恋をして、そうしたらなんだか愛というものがついてくるのだと思っていたけれど、それはユウカの言うように全然別のものなのかも知れない。

 たとえば、彼女のことを、ただきれいだと思う心と、身を投げ出してでも守りたいわがままな気持ちと、そっと慈しみたいやわらかな想いは、どれも恋であり、愛でもあるのだ。そうだ、どれも名前が違うのだから、まとまるわけがない。

 サエは彼女を思って、そこまで思いを馳せるようになれた。


 では、果たして、彼女に想いは伝わっているだろうか?

 ……ああ、今度会ったらもっともっと話さなくては。

 それに、大事なことを聞いていない。

 自分から言い出したことなのに、答えてくれることを願っている。なんてわがままなんだろう。

 サエは自分に苦笑しながら、けれど、それを思った。

  

 ――「好き」の答えを、聞きたい。


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