第三章 『SAVED.』03
午後九時半。今日もサエは家事と予習を一通り終わらせ、いつもの公園に来ていた。もちろんユウカも一緒だ。
二人でいつも通り準備運動をして、スマートフォンで〝揺らぎ〟を確認する。相変わらず、コンクリート敷きのここはほとんどが赤く表示されている。色が薄いところも、決して安心はできない警戒域の黄色から橙だ。
しかめっ面で画面を睨んでから、サエは昼間のらいなとの会話を思い出した。
「ユウカ、もし何かがあってもすぐ出られるように、フェンスの入り口は開けておこうか」
「うむ、備えることは重要だ」
入り口は三カ所。まず後ろの入ってきた扉を全開にし、続いて左手の扉を開ける。
すると、さらに左手奥の扉が開き、誰かがこちらに近づいてきた。
夜闇に明るい、白いセーラー服。濃紺のスカーフとスカート。
そして、長い銀の髪に、光を返す淡い金色の瞳。
――彼女だ!
サエは駆け寄ると、うれしさのままにっこり笑った。
「御先さん! 来てくれたんだ!」
マナミは微笑みつつ、そんなサエにちょっと気圧されたように少し視線を落とした。
「う、うん、――ほら、また、って言ったし」
「うんうん! 今日もまたこの間の友達がいるんだ。ほら」
既にサエの隣まで移動していたユウカを、サエは再び紹介する。
「佐々河悠佳、おれの親友です」
「うん、ササガワくんだよね、覚えてるよ」
「こんな字書きます。覚えてみてください」
ユウカはスマートフォンを取り出して、ごくあっさりマナミと連絡先を交換する。
サエはその行動の早さにビミョーな気持ちになったが、仕方がないので我慢した。
二人と視線を合わせてから、今日の捕獲計画について話す。
「よし、今日はじゃあ三人で回ろう。いつも通り、ユウカが上から先に行ってくれ。御先さんとおれは画面を確認しながら、封印アプリを立ち上げて、後ろからついて行く」
「OK、ジャンプは任せろ」
「うん、じゃあ一応、『封印実行』はわたしがやるね」
二人が同意して、各々端末を操作する。サエとユウカの足元にはいつもの光が集まる。
サエは頷いて、
「二人ともありがと、よろしく頼む。じゃあ、行こうか」
そして三人でその場から跳躍をはじめようとした、そのとき。
――ゴウッ!
急に風が強く吹きはじめた。壊れたガラス戸や放置された足場が鳴り、敷地全体に無機質なガラガラという音が響く。
同時に、三人の手元の端末が鳴る。微妙に転調を効かせた、緊張感を高める音。
一斉警戒メールだ。
ある場所の〝揺らぎ〟が警戒域に入ると、役所の方から配信されるメール。一年に一度あるかないかというそれが、らいなの言ったとおりに届いた。しかも、今夜!
メールの内容を確認する間もなく、今度は〝揺らぎ〟探知アプリから鋭いアラームが鳴る。
とっさに画面を見る。フェンスに囲まれたいつもの真っ赤な空間。サエたちから見て十時方向、六メートル。
その一部分が、何かを集めるように、じりじりと渦を巻いて白へと変化していく。
「『現出』だ! とにかく離れて!!」
ユウカが危機を察して叫んだ。サエはそれより一瞬早く、マナミを抱えてフェンスの扉近くまで跳んだ。だが、足の不調で長くは跳躍できない。彼女を下ろし、手を取って「走って!」と叫ぶ。
こんなときは、とにかく影響を受けそうにない場所まで離れるしかない。
『『扉』の現出』に巻き込まれたら、体を含め、周囲の空間に存在するものごと「外世界」へ連れて行かれる可能性だってある。
走ってここを離れる以外、サエたちには無事でいる方法はないのだ。
ユウカもフェンスを越え、サエの隣に着地した。緊張した面持ちで二人に告げる。
「右手奥、五号棟の方なら、揺らぎも少しは薄い。行こう」
「わかった」
そのまま振り返ることもなく、強風の中三人で走り出そうと――。
「はいはいはーい! らいなちゃんでーす! 日暮里らいなちゃんがやってきましたよー!」
「先生、もう十時過ぎてるんで、ちょっと静かに、ていうかちゃんとして」
「なーぜ廃墟の団地群の中で静かにせねばならんのか! 夜はテンション上がるよ! 〝揺らぎ〟もテンション上がるよーーーー!!」
「あーもー……。えーと、こちらは! 第二種大型異形対策免許保持、
風に乗って、上空からなんだかよく知った声が聞こえてきた。顔を上げ、サエが叫ぶ。
「ねーちゃん! 先生!」
「おお、お前ら、やっほー」
フェンスの上に立つ赤髪はらいなだ。なぜか白衣でヒールのまま、よっ、とでも言うように手を上げている。
その隣に立った影も、風にさらわれた茶髪をかき上げてから、あら? とこちらへ視線を向ける。こちらはスイだ。はーい、と手を振ってくる。
「なになに、サエってばなにしてんの? 知らない子もいるけど?」
「バイト以外に何があるんだよ!!」
風に負けないように、つい大声を出してしまった。はっとして、何事かという顔をしているマナミに、あれが姉で、あっちが保健の先生だ、と説明する。
「保健の先生? 保健の先生が何でここに?」
マナミの質問は至極もっともだが、残念ながらはっきりとした理由はちょっとわからない。苦笑して首を振る。
「待避警告出てるのに、つっこんでる余裕があるとは、さすがだな! 東雲!」
「べつにやりたくてやってるわけじゃないです! あと、待避警告メール来てません!!」
「あったりまえでしょ、電波関係なんて、この濃さの〝揺らぎ〟だったら、まず最初にダメになるって習わなかった?」
「習いました」
「さすがユウカちゃんは賢い!」
「そういう大事なことは先に言ってくれユウカ!!」
「善処する」
そこにらいなが手を叩いて割り込んだ。
「はいはい、割と時間がないからな、緊張感持って! お前らはそこで飛ばされないようにしてろよ!」
「一番緊張感ないのは誰ですか!」
「もちろん私だ! ふふ、しかし二人がかりなんて、お前が高校生の時以来だな」
「そうですね、先生。たのしみです。
ほら! 君たち! 二人で『現出』を相手するなんてめったにないんだから、よく見て勉強しなさいよ!」
スイはそう言って一つウインクした。
強く吹いていた風が、急速にに一カ所へ収束していこうとしている。『現出』が徐々に「現世界」に影響を与えているのだ。
女性二人はうなずき合うと、フェンスの上から素早く飛び降り、手元の画面で真っ白になっている空間を挟み込むように、一分のズレもなく降り立った。
らいなは両手を突き出し、スイはスマートフォンを口元に近づけ、発動の呪文を叫ぶ。
「〝
「〝我が力よ、埒を飛び越え〟」
「〝我が力、よ式に従い〟」
「「〝ひずみを
二人の間に、圧倒的な光量の力が生まれ、そのまま一気に風を巻き込んで炸裂した。風が強く体を打ち、光の粒が全身を通り抜けていく気さえする。
おそらく十秒にも満たないだろう長い瞬間が過ぎ、風が収まったところで、サエはそっと目を開ける。
目の前に、マナミの金色の目があった。
とっさに風から守ろうと、彼女をまた抱きしめていたらしい。
「っ……だ、大丈夫?」
息をのんでから、一体何回目になるだろうか、彼女を案じる言葉をかける。
マナミはびっくりした顔のまま、緊張で体がこわばらせている。
しばらくこちらを見つめて、何度か瞬くと、
「……強引だけど、一気に散らすなんて、すごい方法だったね……」
ゆっくり体の力を抜き、少し微笑んだ。
どうやら身体に異常はないようで、サエはほっとする。しっかり握っていた手も、そっとほどく。
「ユウカは……」
サエが振り向くと、ユウカはまじめな顔で前方を見つめていた。睨むように。
その視線を追うと、姉と先生がハイタッチしてお互いをねぎらっていた。
そして、その地面が。
「――!」
約一メートル半、コンクリートの地面が、半球状に抉れている。
「外世界」に消し飛んだのだ。
「これは……」
「ふふん、どうだ、らいな先生が本気を出せば、だいたいこの程度で済むのだよ!」
わざわざこちらまで来て、髪が風でぐしゃぐしゃのままなのに、腕を組んで自慢げに言う先生に、何を言う気も起きない。
本当に「外世界」に消えてしまったものを見るのは、アルバイトを始めて二年、これが初めてだった。もちろんユウカにとっても。
やってきた姉はやや疲れたように息をつき、腰に手を当てて、
「ま、二種大型を持ってるなら、このくらいのことはできないとね。かなり先生に合わせてもらったけど」
サエは、ごく当たり前の事実を、再度口にした。
「……なあ、姉ちゃん、〝消える〟って、ほんとに、〝消えちゃう〟んだな……」
「そーよ。もしあのままだったら、そこの団地一棟くらいは消し飛んでたかも知れない」
「…………」
「なに恐い顔してんのよ。だから、私たちも、あんたたちも、先生もいるんじゃない。〝揺らぎ〟と「現世界」、両方の現状を守ることが、免許を持つ者の義務であり権利でしょ」
「うむ、このように、〝揺らぎ〟を全方位にまき散らせば、当然その濃度も低くなるという寸法だ。わかったかな」
赤い髪を手ぐしで直しながら、らいなが言う。
「勉強になります」
いつもより二段階くらいまじめな口調でユウカが答えた。
守る義務と権利。確かに免許を受け取るときにそう宣言したことを思い出し、サエは深く息をついた。
そうだ。そこから自分もはじめたはずだと。
……いや、しかし、なんにせよ、人的被害がなくて良かった……。
サエは気持ちを切り替え、左手にいるマナミへ声をかけようとした。
「御先さん――、御先さん!?」
サエの声に、全員がマナミを見た。
マナミはぎゅっと自分を抱きしめて、ちいさく震えていた。
顔色が悪いどころではない。闇夜にも頬が青白く見える。
やはり怪我をしていたのか、どこか具合が悪いのか。サエはとっさに手を伸ばした。
「――――」
しかし伸ばした手のぶんだけ、身を引かれる。
銀の髪を揺らして、彼女は口端を引き上げた。笑いたいのだとわかった。震えた息を吐く。
「――……だいじょうぶ、なんでもないから」
「〝揺らぎ〟の影響でもないのか」
らいなからの問いにも、ゆっくりと頷いた。それでも、状態が良くなりそうには見えない。
サエは一瞬姉と目を合わせ、頷き合ってから、
「少し、家に来ない? 跳べばすぐだし、姉ちゃんもいるし……」
そう言うと、マナミは一度顔を伏せる。
そして、顔を上げた。
がちがちにこわばった微笑みを深めて、震えも止まらないまま、何かから自分を守るように、さらに両手に力を込めて。
「平気です。――……すみません」
その答えに、サエは一瞬無言になった。自分の腹の底あたりから、捻れるような感情が這い上がってくるのがわかった。
「御先さん」
声にもそれが出る。固い声だ。
「いいから、家に来て休んでいきなさい」
むっとする、などという程度ではなく、まっすぐ怒りが沸き上がってきた。
そんなに震えて、そんなに顔を青くして、大丈夫でも平気でもないだろう。
なぜ、いつもそんな風に笑って、笑うことで自分に蓋をするんだ。
もっと自分を大事にしてほしい。
おれは君のことが大切なんだ。
サエは彼女の手を取ろうと、踏み出そうとした。
マナミは、それより早く、後ろへ跳んだ。濃紺のスカートが翻る。
「――ねえ、東雲くん。東雲くんは、そういうの必要だっていうかも知れないけど」
もう一歩、マナミは遠のいた。にっこり、笑って。
「――――そういうの、わたしは、いらないから」
彼女はそのまま、白い制服を闇に融かすように、影へと身を消した。
軽く足場を飛び去っていく音が段々遠くなる。
彼女へ伸ばそうとした手を、空中で握って、サエはゆっくりうなだれた。
――やり方を、間違えた。
「ふふん、何をへこんでいるんだ、東雲!」
うなだれた姿勢のままでいると、べしっ、と、後ろから頭をはたかれた。
見ると、らいなが笑っている。姉もユウカも、こちらを見て、なぜか少し笑っている。
困惑していると、先生はぶっきらぼうに言い放った。
「ふん、どうせ、あんなに踏み込むんじゃなかったーとか、やり方間違えたーとか、傷つけたんだったらどうしようーとか、そーんな事考えてるんだろ!」
それもそのまま、全部その通りである。サエは動揺して、眉を寄せてらいなを見た。
「先生、先生、おれ、御先さんのこと――」
「まったく、大チャンスだわ、我が弟」
「ああ、なのに無自覚だから、やはりサエはすごい」
なぜかスイもユウカも、サエにそう言って頷く。
大チャンス? 無自覚?
サエの腕をぽんぽん、と叩いて、らいなはにやりと笑った。
「相手を怒らせたな」
「っ――――」
「そして、サエも怒った。とてもめずらしいことに」
ユウカがらいなに続く。サエはその感情の残滓に、自分の両手をぐっと握り込む。
「なんで怒った? 彼女が拒否したからじゃないだろう? 自分を大事にしないからだ。サエが大事にしたい相手が、自分を大事にしてくれない。だから怒ったんだ」
そうだ、自分はとても怒っていた。
休んでほしかったのに。その震えを取り去ってやりたかったのに。真っ青な顔をしているのだから、家に呼んで温かい飲み物を飲ませて、安心させたかったのに。
スイが指を立てて、弟に助言をする。
「――いい、つまりね、怒るってことは、少なくともこっちの発言が届いていて、しかもそこが一番相手を揺さぶるところだったってことよ」
そう、彼女は。
サエの申し出を拒否しただけではない。
『そういうのいらない』と彼女は言ったのだ。
〝安心なんていらない〟
サエが、静かに呟く。そうか、と。
「――御先さんは……誰かに、心配されたり優しくされることに、おびえているんだ」
では、どうやって、再び出会って、話をすればいいのか。
一人では到底答えが出そうもない問題だ。相談する最初の糸口さえもわからない。
しかし今のサエには、姉と先生と親友がそこにいた。
ユウカがいつもの無表情のまま、パンッと、しっかりサエの肩を叩いた。
「お前の得意技を見せてやれ」
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