第二章 『How I wonder what you are!』03
「――もしもし、ユウカ? 今日は……え、今日は無理? 時間帯がずれた? 『推してるやつはリアルタイム視聴がモットー』??
――ああ、うん、おれさ、お前のそういう自分の大事なものを絶対に曲げないところ、結構いいと思ってるよ」
かくして、今日はサエ一人でのアルバイト開始となった。
一人でヒズラギ捕獲をするときに最も大事なことは、「無理をしないこと」である。
仮に転んで足をひねってしまったら、その日はおしまい。ヒズラギも、三匹くらい捕まえられたら、それでよし。つまり、仲間が少ないときは、"ダンジョンに深く潜らない、深追いしない"。そういう心づもりが重要だと教習所では習う。もちろんそれを念頭に、サエはバイトに出る。
今日も、例の第八公園を中心に、ソフトの補助を使って見回りをする。迷い込んだ動物がいれば安全地帯まで連れて行き、場所ごとの進入禁止の看板が壊れていないか確認する。もちろん、細かく動き回れば彼女と会えるかも知れないという気持ちも多分に持って。
そんなことをしていると、もう時刻は夜十時半を回っていた。
今日は一人だということもあって、昨日以上に走り回り、ヒズラギを三匹捕まえたが、彼女の姿は見えない。そう上手くいくわけないよな、とは思うものの、残念は残念だ。
スマートフォンの画面を確認しながら、再び、公園の中心、高いフェンスに囲まれたコンクリート敷きの場所に立つ。やはり、ここが一番〝揺らぎ〟が大きい。
三年前の『扉』現出の時は、この真っ平らな広場一帯が、「外世界」へと「消失」したそうだ。父も母も忙しく働いていたことを覚えている。
「外世界」の存在や、「外」から来る「異なる一族」の存在そのものはわかっていても、いまだ「現世界」からのアプローチ方法は見出されていないない。
〝揺らぎ〟が大量に活性化し、ヒズラギが現れる以上の〝歪み〟が生まれたとき、「外世界」への『扉』が開くのだと教習では習った。
当時もヒズラギ捕獲のアルバイトをしていた姉から聞いた話だと、通常あるべき予兆はほとんどなく、その「消失」は起こったのだという。あまりにも急速で急激な変化に、近場の術者や能力者は片っ端から集められたらしい。その早急な対応のおかげで、「現世界」側の被害がこの空間一帯のみと、かなり少なく済んだ方なのだそうだ。
そして今も、この公園は「重点注視区域」として登録されている。ヒズラギ捕獲にはもってこいだが、いまだに影響を色濃く残している場所。
だからこそ、影響を受ける植物すら生えないように、コンクリートで固く地面も封じてあるのだ。
「今も、三年前の影響は大きい、か」
一体いつまで、ここはこのように、影響を受けたままなのだろう……。
そんなことを考えていると、手元のスマートフォンが振動した。
画面を見ると、危険域の赤をバックに、既に白で現されるその円筒形の姿が見えた。いつものように、街灯の影、二時の方向、八メートル先。
既に現出しているヒズラギを捉えたらしい。まだこちらには気付いていないようなので、そっと近づく。
フェンスを回り込み、ブロック塀が途切れると、十メートルほど離れた街灯に、誰かが照らされている。
心臓がつんのめった。
――――彼女だ。
闇夜に白いセーラー服。濃紺のスカーフにスカート。結われた長い銀髪に、真剣に獲物を狙う金の瞳。
彼女はまだサエに気付いていないようだ。
相手のフォローに回ることをまず決める。
――ここからどう動く?
彼女は小さく何かをつぶやき、そっと両手を合わせると、昨夜のように、薄青く輝く光の矢をつがえた。両腕を、伸ばし、引き、弓を引くようにまっすぐヒズラギへ狙いを定める。そして、
「ベクター!!」
叫んだ瞬間に、矢はヒズラギ目がけて間違いなく放たれた。
ヒズラギの鈍足さではまず避けられない――はずだった。
しゅばっ!
「なっ……!」
ヒズラギはコンクリートをすさまじい勢いで這い進むと、そのまま、放棄された団地の側面を登りだした。
瞬間、サエは判断して、彼女の前に走り出る。教習で教わったとおり、危険なときや予想外の事態には、人数を増やして挑むのが基本だ。
「急にすみません、おれも手伝います!」
「! あなたは昨日の……」
彼女はサエを覚えていてくれたらしい。しかし今はそれより、あの超速ヒズラギを捕まえなければいけない。サエは提案する。
「まずはあいつを捕まえましょう。間違いなくもう、現世界側の何かに取り憑いてます」
「そうですね、わかりました。わたしはアプリの補助がなくても飛べますので、先に行きます!」
「OKです、おれは隣の棟から補助します!」
サエの言葉と同時に、彼女は走り出し、走る勢いのままの幅跳びへ移行した。銀の髪がきらきらと舞っている。それを綺麗だと思いつつ、しかし今は捕獲体制に入ることが大事だ。〝光的補助〟を施したあと、念のためこちらでも『封印実行』アプリを立ち上げておく。そして彼女を追って、隣の団地へ何度か跳躍して、屋上まで上がった。
彼女は団地に組まれた崩れかけの足場を軽いステップで登りながら、何度かその光の矢をヒズラギに放つ。身を射貫くことこそないが、不安定な空中からも確実に狙いを定めていく姿は、何度もこうして『封印実行』してきたことを物語っている。
すぐにヒズラギは団地の屋上に行き着き、彼女もまたそこに着地した。まだ素早い動きで逃げようとする相手に、彼女は叫ぶ。
「ベクタースリー!」
打ち鳴らす手の音は一回、しかし、つがえられた光は三条。一気に放たれる。
ズシュッ!
逃げるヒズラギを、二本目と三本目の矢がとらえた。ヒズラギはその場に刺し貫かれ、まだ少しジタバタと動いているが、もう大丈夫だろう。
高所の風に吹かれる彼女が、息をついて髪を耳にかける姿を確認できた。捕獲は成功だ。
あんなことまで、アプリの補助なしでできてしまうのか! サエは感心した。自分たちでは、こんなに早くは捕らえられないだろう。練度が違うといったところだ。
彼女はそのまま、制服のポケットからスマートフォンを取り出し、軽く操作してから、封印の呪文を唱える。
「〝――式に従い、世界の歪みを捉えよ! 『封印実行』!〟」
そのとき。サエは見た。
もがくヒズラギに光の矢がゆっくりと崩れ、地面につぶれていた身が、ぶるりと震える。
「危ない!」
最後のあがきか、ヒズラギが彼女の持つ光る画面の魔法陣に向かって思い切り飛びかかった。
バチィン!
彼女は勢いを殺しきれず、封印の光とヒズラギが消失すると共に、大きくバランスを崩し、団地の屋上の端から落下した。
「うぉぉおおお!」
彼女が落ちる前に、サエは飛び出していた。
落下速度が間に合わないと気付いて、壁と電柱を使って無理矢理三回、下前方に跳躍。
落下している彼女をぎりぎり空中で受け止めた。
勢いを殺すため、腰をひねりながら団地の壁を蹴り、街灯下の地面になんとか着地する。
〝無理やりジャンプ〟と激しい着地でものすごく足が痛いが、そんなことより、
「だっ、大丈夫!?」
「あ、あの……」
「怪我してないですか!?」
「だ、だいじょうぶ……です……」
なぜだかあさってに目を逸らしているが、彼女は無事のようだ。
ほっとすると、さらに足が痛くなってきた。
そしてついでに、自分の今の状況を理解する。
彼女を抱えている。すんなりした背中に左腕を、細い両膝裏に右腕を。体が落ちないように、ぎゅっと抱きしめた姿。
一般にこれを「お姫様抱っこ」という。
「――!」
全身が緊張で硬直した。こっちを向いてくれない理由もわかった。
硬直が抜けきらないまま、ぎくしゃくと、しかしなるべくそっと、サエは彼女を地面へ下ろした。
「ご、ごめん、とっさの事だったので……」
なんだか、昨日も似たようなイメージで、わたわたと彼女に謝ったような気がする。サエは深く反省した。
「ううん、わかってるから、大丈夫だよ」
彼女の方は、昨日と同じように微笑んでくれた。不問にしてくれるらしい。
やはり気遣いのできる人だなぁ……。
彼女のことをそう意識すると、彼女を抱えていたやわらかい感触を思い出しそうになって、なんだかそれがいけないことのような気がして、慌てて手を組んで伸びをしてみた。ごまかせているだろうか。ダメな気もする。
「こ、これであの個体は大丈夫かな……」
「うん、でも、あんなに早いやつがいるなんて」
肩を竦める彼女である。サエも頷き、言葉を返す。
「滅多にないけど、あるものなんですね。ともかく、無事でよかったです」
「ほんと、昨日もだけど、なんだか助けられてばっかりで、ごめんね」
眉を寄せて、すまなそうに彼女が微笑むので、サエは慌てて両手を振った。
「いえ! おれがしたいからしてるんで、全然気にしないでください!」
「うーん、じゃあ……」
少し首をかしげて、彼女はいたずらっぽく笑って言った。
「そうだね、うん、――堅苦しいのやめてくれたら、気にするのやめよっかな」
「う……」
「普通でいいよ、ね、同い年くらいなわけだし」
「わ、かった……」
たどたどしくサエが答えると、彼女は再び笑みを深くした。
その笑顔が昨夜の笑顔と重なって、はっとサエは気がついた。
「そうだ! あの、あなたの名前を、教えてくれませんか」
「……まだ敬語だよ?」
「……え、えと、名前を、教えて?」
「いいよ。わたしは、ミサキマナミ、です」
「ミサキさん……?」
「漢字がちょっとややこしいんだ。せっかくだから、携帯の番号交換しようよ」
「え、ええ?」
突然の展開に、思わず声が裏返った。彼女が小首をかしげる。
「あれ、だめかな?」
「だめじゃないですだめじゃないです! ちょっと、ちょっと展開が急で……」
「そう? お互いにヒズラギ捕獲者なんだし、連携取るのって結構あるよね?」
「それは、そうだけど、ちょっと緊張して……女の子の番号なんて、ほとんど入ってないし」
部活仲間を含めても、両手で数えられる程度である。クラスに女子は十人近くいるのに。
「じゃ、はい、赤外線ついてる?」
「ついてま……ついてるよ、こっちの、バイト用の方」
「OK、じゃあ、はい」
「はい」
二人の端末が一瞬重なり、すぐに受信内容が表示された。
サエはまじまじとその画面を見つめる。貴重な体験だ。
『御先真望』
「御先、真望さん」
「うん、そうです、東雲朗さん」
フルネームを呼ばれただけなのに、なぜこんなにくすぐったいのだろうか。
サエは気恥ずかしくて顔を赤くした。
そりゃあ、好きな人に、微笑みながら名前呼ばれたら、うれしすぎるよなぁ……。
なんだか自然と、彼女のことをたくさん訊いてみたくなった。言葉を続ける。
「ええと、いつも一人でヒズラギ捕獲してるの?」
「そうだよ。友達はあんまりヒズラギに近づけないような子も多くて……。ほら、この制服、わかるでしょ、
きゅ、と胸元のスカーフを引っ張る。セーラーの胸当てには、黒い竜の紋章。封黎学園の学校章だ。サエは頷く。
「うん、おれ、住んでるのこの辺だから、わかるよ」
「そうなんだ。わたしはこの間引っ越してきたところだよ」
「ああ、もしかして、昨日制服じゃなくてワンピースだったのって、だから?」
「そうそう。やっぱり普通のワンピじゃやりにくいね。制服って着慣れてるから、走ったり飛んだりするの、けっこう向いてるのかも」
その場で何度かジャンプして、ふわりと笑うマナミ。銀の髪が揺れて、とてもかわいらしい。
――というか、彼女が何しても、なんだかとにかく、とにかくかわいい。
サエは自分がどうしようもない状態になっていることに、気付いてはいるものの、対処の仕様はなかった。自分の顔が赤いまま変化しなくなってしまったような気もするが、とりあえず質問を続ける。
「学校は、普通に高校なの?」
「そだね、カリキュラムとかはたぶんちょっと違うだろうけど、まあ普通だよ。ちょっと〝揺らぎ〟関連の授業とか、実技があるくらい」
「へえ、実技なんてあるんだ。教習所みたいな感じなのかな」
「うん、異形対策免許の教習所に近いって聞いたことはあるよ。自分がこんなんなっちゃったのを、いい感じに社会に適応できるようにするんだ」
「そうか、そういうところも学校でやるんだね」
「うん。ヒズラギ憑きはつらいよー、なんてね、へへ」
「――――」
自虐の言葉と共に笑うマナミに、つい何も返答できなくなってしまうサエである。
彼女は頬を指で掻いて、苦笑した。
「ごめんごめん、最近一人暮らしだからかな、なんかいろんな事しゃべっちゃう」
「一人暮らし?」
「うん、わたし、親がいなくてさ」
彼女は何でもないことのように言った。笑顔で。
「一応、親戚にご厄介になっててね。でも、いろいろあって今だけは一人暮らしなの」
サエはそんな彼女に、一瞬だけ言葉を選んで、
「――一人だと、大変じゃない?」
「大変じゃないよー。ひとりだから、ごはんは作るより買えばいいし、掃除も嫌いじゃないし。金銭的にもぜんぜん問題ないから」
あはは、と、マナミはまた笑う。
――サエは気付いた。
彼女は、笑顔以外、見せてこない。
いや、びっくりした顔は都合二回見たけれど、それ以外だ。
にこにこと、彼女は笑っている。常に笑顔が消えない。
サエは、少し困った。
ユウカ相手で、無表情や真顔には慣れているけれど、笑顔だけを見せてくる相手の場合、つまり彼女の場合、何を考えているのかがはっきりと伝わってこないのだ。
どうしよう、どうすべきか。サエは一瞬考えて、一つわかった。
自分が思っていることを伝えられるのは、彼女が目の前にいる瞬間だけだ。
サエは心を決めた。
「あの、御先さん!」
「なに? 東雲くん」
「えっと、これからも、一緒に、ヒズラギ捕まえませ……捕まえない!?」
微笑んだまま、彼女は少し首をかしげる。
「えっと、……一緒、に?」
「うん! あの、おれ、全然役に立たないけど、ユウカも……この間のあいつも一緒に、三人でヒズラギ捕まえられたら、さっきみたいに御先さんが危ないとき、すぐに助けられると思うから!」
彼女は表情を変えず、サエの言葉を繰り返す。
「わたしを、助ける」
「はい! 女の子一人で夜中にバイトするのも危ないし!」
「一人だと、危ない」
「それに、あの、――あなたが心配なんです!!」
「――心配」
だめだ、サエは理解した。繰り返してくれるけど、これはなにも伝わってない。
こうなれば、こうなれば? もうどうしようもない。
何も思いついていないまま、大きく息を吸う。
「あの!!」
「どしたの?」
「おれ、あなたが好きなんです!! だから、助けたいんです!!」
言ってしまった。
あまりにも相手からの反応がなさ過ぎて、いきなり切り札から出してしまった。
「――そっかー」
やっぱり笑ったまま、彼女は答えた。
「ど、どうでしょう」
どうでしょうってなんだ、おれは何を言ってるんだ、もう自分にどんどんつっこむしかない。
マナミは笑顔のまま答えた。
「うん、東雲くんの考えてることは、わかったよ」
かわいらしい左頬のえくぼ、ゆるく細められた月の瞳。
サエは確信した。これは、もう今は絶対ちゃんとした返答はもらえない。
であれば、どうするべきか。
「あの!」
「なにかな?」
「また、会いましょう! また、この公園に来て下さい! 次も、手伝いますから!」
「……また、次も?」
サエに恋愛技術などない。笑顔のままの彼女に、これ以上何を言えばいいのかわからない。思っていることを、言葉にするくらいしかできないのだ。
つまり、押しの一手である。
心に決めた、「もう一度会いたい」を何度も実行するしかないのだ。
とにかく彼女に手を伸ばし、出来うる最大最高のスキンシップとして握手をし、ぶんぶんと振った。最後に再度握ってからほどく。マナミは、珍しいものを見るように、ぎゅっと握られた右手をぱちくりと見ていた。
「そ、それでは! 帰り道、気をつけて!」
慌てる必要などないのになぜかその場から離れたくて、サエは街灯の輪から抜け出るように大きくジャンプをした。
空中で彼女へ大きく手を振ることも忘れない。
彼女はこちらへ視線を向け、少しだけ手を振ってくれた。
サエはしばらく街灯や屋根へ跳躍を続けて、それから少し離れた電柱の上に落ち着く。強い夜風が髪を左右に混ぜていった後、ばっとその場にうずくまった。器用なものである。
「――――!!」
あー! おれ、何言って、助けるとか、心配とか、好きとか、好きとか、好きとか――!!
いまさら冷静になって、顔がますます赤くなる。耳元で鼓動が聞こえるようだ。
だいいち、心配なのに、なんで彼女を一人で置いてきちゃったんだよ、家まで送るとか、近くまで一緒に帰るとか、いろいろあるじゃん、ああ、おれってほんとおれってほんと……。
こういうことが一発でうまくいくほど、自分は器用なわけがなかったのだ。後悔は深い。
だが、しかし。次だ。次がある。
それより、御先さんは本当に一人で危なくないのだろうか。
口先だけではなく、サエは本当のことしかマナミに言えなかった。
とても心配だと、助けになりたいのだと、彼女には伝わっただろうか。でも、だけど。
「――伝わってなければ、何度だって言うしかない。何度だって」
今度も偶然が起こるだろうか? いや、今度は会いに行こう、行くべきだ。
彼女のことを知りたくて、自分のことを伝えたくて、それでいて偶然以外の出会い方だって信じる。それが自分のやり方なんだ。
そう心に決めて、追い風に乗りながら再び家へと跳躍する。
両足が、思い出したようにずきずきと痛み始めたが、気にしない、気にならない。
まだ月のない夜の中。それでも一歩進んだはずだ。
サエは頷いた。明日からも出会う、彼女のことを考えながら。
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