第二章 『How I wonder what you are!』02

 ヒズラギは、この世界での影響力を強めるために、この世界の生物に取り憑こうとする習性がある。昨夜のネコに対する動きもその一端である。

 そして、もちろんヒズラギは人間にも取り憑く。取り憑かれた人間は、一般的に『ヒズラギ憑き』と呼ばれ、強い〝揺らぎ〟の影響で超常的能力を得ることになり、その姿も一般ではあまりない色を得ることが多い。

 銀髪に金の瞳、光の矢を生み出す能力。間違いなく、あの白いワンピースの彼女は、ヒズラギ憑きだろう――。


 サエはそう考えながら、醤油を大さじ二杯、割とおおざっぱに計量した。軽く茹でたアスパラガスを流水で締め、だし汁を主としたそのつけ汁の中に入れ、ラップをしてから冷蔵庫で寝かせる。

 あれから姉へいろいろ報告をして、ユウカと別れてキッチンで夕飯を作っているサエである。

 東雲家は父、母、姉と、それぞれが仕事や学校に出ているので、それらの都合に合わせて、家事の当番が決まっている。

 サエは食事当番の機会が多く、現在では冷蔵庫の中身から献立を考える程度の応用力がついている。彼にとって、料理は、得意になるというより、実践を続けていくと慣れていくという感覚だ。ヒズラギ捕獲の作業と似ているかもしれない。やればやるだけ、いろんな事が見えてくるようになる。

 姉のスイはというと、料理自体は技術としてできるのだが、なぜか壊滅的に味付けが下手だ。その代わり、洗濯と掃除の担当をしている。

 姉も自分も学生の身分であるため、忙しい時期が重なることもあるが、そこはお互いに融通を利かせている。もちろん、両親も仕事が忙しくなければ、学生たちの都合を聞いてくれる。

 父、けんの職業は、地元である平海ひらみの「扉管理課」の職員で、課長補佐である。周りの人には、超能力や異能力、時には魔術を行う人もいるそうだ。人類もそうでない人も多数いて、たまにバイトに役立つ話を教えてくれる。

 母、あさひの職業は、『扉』による影響を受けた人たち――公的には「被影響者」と呼ばれる――の、サポートをする、民間のカウンセラーである。『扉』現出は、ヒズラギ憑きで急に能力を得ることをはじめ、とんでもないものを見たり、通常ではあり得ないことが起こったり、予期しない人生のイベントとなってしまうことが多い。そこを、素早く経験と実践でフォローできるのが、最初期に行われるカウンセリングである。カウンセラーの肩書き通り、もちろん心のケアも早急にするけれど、なによりもまず、最初にどうすればいいのか導いてあげるのが仕事、と、母は言う。

 そんな家族に囲まれて育ったため、姉と弟は『扉』関連のことが身近であり、自然と「異形対策免許」を取得するに至った。

 鍋をかき混ぜつつ、サエは、一番近くの被影響者用の学校はどこだったっけ、と考え、すぐに電車で十五分ほどのところにある公立学校を思い出した。「第三封黎ほうれい学園高校」だ。意外と近所であることに気づき、なんだか少しうれしくなってしまう。今日の主食となる、肉じゃがの灰汁も、やや丁寧に取ってみたりする。

彼女のことを考えてうれしくなると、昨夜の笑顔が思い浮かぶ。彼女の顔が思い浮かぶと、きゅ、と胸から音がするような気がして、たまらなく、彼女に会いたくなる。

 そうだ。次の出会いは自分で掴む偶然にするのだ。しばらくはあの公園の周りを重点的に見回ることにしよう。このあたりは、あの公園の大幅な〝揺らぎ〟の所為で、アルバイトの捕獲者が多いが、それでも通常は仕事場がバッティングすることはほとんどなく、狙って人に会うのはさらに難しい。

 ユウカなら、「そこをがんばれ」といい加減に励ましてくれるだろう。全くいい友人だよ。

 サエはふっと苦笑して、肉じゃがの鍋に最後のみりんを入れた。味見をして、これでよし。

今日は家族はそれぞれ出払っており、帰りも遅くなるようだ。風呂に入るついでにバスタブを洗っておこう。すっかり家事が自分の生活の一部になっているサエである。

 明日の英語の予習もしないといけないが、まあ、たぶん大丈夫、たぶん。困ったら速攻でユウカに電話することを決めて、出来上がった鍋の火を消した。

 エプロンを脱いで、風呂場に向かいながら、少し、考える。

 ヒズラギ憑きの彼女は、どんなごはんを食べ、どんな生活を送っているのだろう。

 ヒズラギはヒズラギを呼ぶ。〝ひずみ〟が〝揺らぎ〟を生むように。つまり、『扉』が発生する確率が高いのは、ヒズラギ憑きのそばになる。よって、ヒズラギに憑かれたものは、「被影響者」として、保護や経過観察のために専門の施設や組織に配属され、生活することになる。

 彼女にはどんな家族がいるのだろうか。どんな風に暮らしているのだろうか。学校で友達はいるだろうか。なぜ一人でヒズラギを捕まえようとしていたのだろうか。女の子が、あんな夜中に。一人で困ってはいないだろうか。できることなら、なんだって手伝いたい、もし彼女が困っているなら、それを支えたい。そうでなくても、何かをしたい。もしサエだけでは無理なことがあるなら、持てる人脈をできるだけ使って、応援したい。

 だって、笑っていてほしい。

 月明かりの色をした微笑む瞳を思い出して、サエはひとりで赤くなった。

 どうしよう、こんなに誰かのために何かしたいなんて、はじめてかも知れない。余計なことだとわかっているのに、彼女のことを勝手にいろいろい考えるなんて。

 机に向かっても、英語の訳が全然進まない。いやいや、終わらせなければ今日バイトに出られないではないか。

 サエはぶんぶんと頭を振って、ともかく今は目の前のテキストに全力で取り組むことにした。

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