1.3 オートパイロット

 味方機が近づいてくる。松浦機だった。右腕がだらっとしていて、どうも肩か上腕でフレームが折れているらしかった。とはいえ走行に支障はない。私は機体のレーザー通信で電池の残りを訊く。二十パーセント、と松浦。分けられる量じゃない。ともかく、辺りの監視を任せられるようになったのはいい傾向だ。

「腕、どうした」私は訊いた。

「撃たれた。戦車だ。遅れたのもそのせい。砲剣で弾いたけど角度が悪かった」

「やった?」

「いや、逃げられた。遠かったんだ」

 確かに松浦機の肩の外側に浅い弾痕があった。形からしてAPFSDSだ。肢闘相手に戦車砲の口径なら効果的には榴弾一択だが、弾速で選んだのかもしれない。なかなか切れる奴だ。腕の下の方は無事だが、確かに砲剣も刃の中程が抉り取られている。あまりに硬いものを切ろうとして力任せに握ったハサミに似ていた。そこで敵の弾が弾かれ、肩に入った。

 松浦機が私の機体の背後について動きを止める。松浦は天蓋を開いて開口部の縁に腰掛け、鉄帽を被って顎の下で紐を留める。敵車両から電気を取る肢闘と操縦手たち。檜佐なら写真に残しておく場面だろう。彼女は遠征中に方々で写真を撮るのが趣味なんだよ。

「あ、檜佐は」私は訊いた。

「死んでないよ」松浦は答える。

「嘘?」

「本当」

 被弾の時の様子を思い出した。操縦室を抜かれたように見えたけど、少し逸れていたのかもしれない。ほとんど真後ろから見ていたから前後位置は微妙に把握していない。

「意識はないみたいだな。先に後送かな」と松浦。

 怪我の程度はどうなのだろう。でも彼だって多くを知っているわけじゃない。訊いたって無駄だ。今訊かなくたって、どうせ後で知ることになる。今訊かなければどこか小さな穴に逃げ込んでしまって二度と戻ってこないとか、そういった種類の情報ではないのだ。

 溜息をつく。でも何に向けた溜息なのか自分でもわからなかった。檜佐か、自分か、敵か。それとも全部かもしれない。

 まだ時間がかかりそうなので戦闘の間のことを思い返した。会敵から戦車をやるまで順を追って記憶を並べる。機体のセンサーが復活してそれだけ心の余裕ができたってことかもしれない。それに、新型のカーベラの機動力はなかなかのものだった。とても瞬発力があるし、荒い接地をしてもぜんぜん関節がへこたれない。軽い。そういう点は至って満足だった。だからこんなに早く電池切れを起こしてもあまり苛立たないのかもしれない。

 十分ほどで三十パーセントまで回復した。アイドリングを止める。戦車のエンジンはまた煙を吹き始めていた。もう使い物にならないだろう。あとで回収部隊に渡すための座標と乗員の情報をメモしておく。死体を全部引っ張り出して荷物も一緒にカーベラの尾部の小さな甲板に縛り付ける。私と松浦の機体に分けて二体ずつ。装填手の男なんか一回一回砲塔を取り外して車内に出入りしていたのかというくらい体がでかくて、ハッチに詰まりかけてもうだめかと思った。生身でミサイルを担ぐ時だってこんなに息が上がらないだろう。

 檜佐をやった敵兵たちは死んだ。檜佐はまだ生きている。ワンサイド。不遇だ。ただし、相手が単にこちらを殺そうとしていただけなら。

 たぶんそれは違う。戦争なのだ。人が死ななくても負けることはある。現にこちらだって一機やられているわけで、敵はこちらの戦術や兵器の欠陥を剥き出しにしたのかもしれない。それは意味のあることで、手柄だ。おまえたち、それは誇っていいことだよ。

 付近ではほとんど戦闘は終息していた。車道に出るまで私と松浦はほとんど話さなかった。檜佐がいればリスを見つけたとか、撮った写真がどうだとか、そういった話を散々するのだろうけど、二人だけではそういった話にならなかった。間に檜佐がいないと喋れない決まりになっているのかもしれない。言おうかな、というものはぽこぽこ浮かんでくるのだけど、口に出すより早く、一体そんなことを言って何になるのだという気持ちが湧いてきていけなかった。

 陣地まで後退して特科(砲兵)本隊と合流する。二小隊はまだ何機か戻っていない。檜佐機はあちこちダクトテープで留められた状態で牽引車の台車に乗っている。私も自分の機体を下ろしてハッチを開ける。機体の尾部に括りつけてある死体を見下ろす。榴弾の破片が貫通して防寒着が何ヶ所も裂けて所々中の綿が飛び出していた。移動の間に冷やされたせいで顔はすっかり青ざめていた。皮膚の下に青紫色の液体が充満しているみたいだった。瞼を閉じて口を三角形に開けていた。それは口を開けているというよりも開いた顎に唇が引っ張られていると表現した方が正確だった。もう一方の死体は耳の上に榴弾の破片が刺さって血液が垂れていたが、今はそれも凍って固まっていた。冷静に檜佐のことを考えてみると火山の底に溜まった溶岩のような重苦しい怒りが喉の奥まで上ってきて、その顔を踏みつけてやりたい衝動に襲われた。けれどそれは不要なことだった。私自身を卑しめる行為だった。もちろんそんなことは交戦規定に反するわけだけど、だからしてはいけないというのではなくて、そういう感情を私に抱かせるような戦いをした相手にある種の敬意を表さなければならないような気がした。とにかくそれは自発的な抑制だった。

 縄を解いて二つの死体を下ろした。私の班の後方要員二人、漆原うるしばら栃木とちぎが下で待ち構えている。私が上で足首を押さえておいて、吊り下がった上体を防水シートで受け止める。肩から背中で落ちるように滑らせる。それは食肉処理場の天井から吊り下げられたウシやブタの肉を思わせた。彼らの血液か排泄物か、染み出した液体が甲板に小さくこびりついて凍っていた。匂いもない。ブーツの下に雪を敷き込んで足でこすり落とした。

 私も地面に降りて点検を済ませる。被弾はない。ただ足首の辺りのフレームがちょっと曲がっているような気がした。台車の上では正座のような具合に腿と脛がぴったり重なるようになっているから、歪んでいると結構わかりやすい。関節を固定しておくピンを挿して回る。

 それから檜佐機の状態を確認しに行く。胴体後部に大きな被弾痕があった。そこから上下に亀裂が走っている。けれどそれ以外の機体各部は綺麗だった。私の機体よりもしっかりしているだろう。まるで何事もなく帰ってきたかのように正しい姿勢で台車の上に乗っていた。

 私は妙な気分になった。それはおかしなことかもしれない。一体誰がそんな綺麗な姿勢にしたんだろう。

 中隊長の西さいは指揮車のキャビンでどこかと電話を繋いでいた。それが終わるのを見計らって指揮車の後ろのハッチに顔を出した。

「檜佐は?」私は訊いた。

「もう国へ送り返してるところだよ」賀西はそう答えると目を大きくして私を見つめた。それは何かの意思表示のために見開いているのではなくて、暗いところで物をじっと見つめる時に自然と瞼が開いていくのと似ていた。でもその目は私の顔をよく見ようとしているようには見えなかった。私という半透明なフィルターを通してその向こうにあるものを凝視しているようだった。私という存在は彼の意識の対象からちょっとずれたところにあった。しかもそれは角度的なずれではなくて距離的なずれだった。

「平気?」私は車の後部ハッチのピラーを掴んで体を斜めにしたままの姿勢で訊いた。

「君がそれを訊くのか」賀西は瞬きした。それはどこか別の世界からこちら側の世界に戻ってきた合図みたいに見えた。「それは指揮官に訊くことじゃないよ。あと五分待って全員集める。そこで話そう」

「了解。檜佐の機体を回収した時の様子を知りたいんだけど、それもみんなの前で話しますか」

「どうかな。回収というか、勝手に帰ってきたんだ」

「勝手に?」

「あの機体はここまで歩いてきて、自分で座った。腕でコクピットがもげないように押さえていた」

「コクピットを開けたら?」

「彼女は気絶していたよ。その瞬間に気を失ったとしか思えないんだけど、無線にも答えなかったから、撃たれた時に気絶してから回復していなかったんだと思う」

 私は頷いた。「撃たれた直後に私も呼びかけたけど返事をしなかった。意識がなかったはずだ。無線が壊れていたわけじゃないと思いますね」

「不可解?」

「まあ」

「僕もきちんと仕様書を読んでいないところはあるんだけど、カーベラの自動操縦機能はそこまで高度なものなんだろうか」

「いや、違うと思います」

「うん」賀西は上目に私を見た。調べてみろ、と言っているようだった。

 私は檜佐機の下に戻ってもう一度その脚の形を確かめた。膝や踵の位置は左右でぴったりと水平だった。操縦室側壁の亀裂を覗き込む。三系統ある投影器の配線は全部断裂していた。檜佐がどんな状態であれ操縦系が切れているのだから操作を受け付けるはずはない。他の誰かが代わりに、別のインターフェースを使って操作することもできない。外部から機体の状態をモニタすることはできても操作は完全に遮断されている。関節の一つ一つは一応クランクを挿して手動で角度を変えることもできる。しかしかといってその方法でここまで綺麗な着座姿勢になるとは思えない。機体コンピュータの姿勢制御システムにも自動走行機能はあるが、着座まではできない。それは結構複雑な動作なのだ。あるいは檜佐は自分でそのプログラムを書いていたのだろうか。

 携帯投影器を首の後ろに挿す。尾部側面のアクセスパネルは無事だった。電源や通信ケーブルの端子が中に詰まっている。その一つに接続。

 電子系は正常にシャットダウンしていた。火器管制システムや姿勢制御システムもきちんと閉じられている。それはとても不可解なことだった。思わず声が出たくらいだ。あんなふうに突然攻撃されてコンピュータの終了なんかかけている暇があるのだろうか。

 起動中に投影器の接続が突然切断された場合、テストや訓練のレベルに限って言えばそういう前例もあるわけだが、普通は機体を動かすためのシステム全般は生きたままになっている。ひたすら操作を要求し続ける。勝手に終了することはない。そして軍用機の場合は外部からのアクセスによってそれを閉じることはできない。そういった操作の一切が遮断されている。従って起動したまま操縦者が接続を回復して正しくシャットダウンの操作を行わなければならない。つまり檜佐機の現状は誰かの操縦によってそこまで一連の操作が行われたことを示していた。

 集合の合図が聞こえる。ブリーフィングの時間だ。もう戻らなければ。

 最後に機体の状態を確かめる。モジュール破損の警告と操縦室ハッチ密閉不全の警告が出たままになっていた。それは暗闇の中で光る赤い常夜灯を思わせた。早くハッチを閉じて。私の頭の中で彼女の声が言った。

 檜佐、おまえは今どこにいるんだ?

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