第151話 告白

 タケトはマンドラゴラのワイン沐浴を済ませたあと、徒歩で自宅へと戻ってきた。


 もしまだ鍵を閉められたままだったらどうしようと、ドキドキしながら自宅のドアを押してみるが、ドアは拍子抜けするほどあっさりと開いた。

 とりあえず、鍵はかけられていないことにホッとしつつ母屋の方を覗いてみる。しかし、どこにもシャンテの姿は見当たらない。


 納屋にはウルの姿もなかった。

 裏には、干された洗濯物が風にたなびいているだけだった。


(どこに行ったんだろう。シャンテ)


 一通り自宅を探して、ふと気付く。そうだ、この時間なら王宮の魔獣密猟取締官事務所にいっているはずだ。


 そもそも、タケトにしたって王に呼ばれて王立図書館に行っていただけで今日は普通に出勤日だった。


 すぐに王宮に向かうと、事務所にはヴァルヴァラ官長とブリジッタの姿があった。

 デスクで書き物をしている官長に、王の用事で登宮前に図書館に行っていたためこちらに来るのが遅くなった旨を告げ、ソファで優雅に紅茶を飲んでいたブリジッタにシャンテを見なかったか聞いてみる。


「シャンテでしたら、さっきまでここにいましたけれど。ウルのところに行ったんではないかしら?」


「そっか。ありがと。行ってみる」


 早速事務所を出ようとしたタケトだったが、ふと思い立って足を止める。「そういえば」とつぶやきながら、ブリジッタを振り返った。彼女にも言わなきゃいけないことがあったんだった。ずっと言わなきゃとおもいつつ、言えなかったこと。

 そっちも、いつまでも逃げてるわけにもいかない。タケトは覚悟を決めて口にする。


「ブリジッタ。前に、気に入ってたティーカップが割れちゃってたことあっただろ」


 ブリジッタはカップから口を離し、静かにタケトを見上げた。


「ああ、あのカップのことですのね」


「…………あれ、俺が割ったんだ。掃除してたら、うっかり落としちゃって。ごめんっ」


 タケトはブリジッタに頭を下げる。てっきり、ブリジッタは怒ると思っていた。怒って、石化させられるんじゃないかってずっと怖かった。

 でも、頭を下げたタケトに聞こえて来たのは「ふふふ」という笑い声だった。


「え?」


 頭を上げてキョトンとするタケト。ブリジッタはティーカップを膝の上に置くと、口元に手を当てて朗らかに笑っていた。


「ようやく、白状しましたわね」


「え……じゃあ、もしかして気づいて……」


「当たり前ですわ。ティーカップの話をするたびに気まずそうな顔はするわ、目はそらすわ。バレバレですわよ」


「そうだったのかぁ……」


 急に肩の力が抜けて、タケトは情けない声を出す。


「ふふふ。あんまり反応が面白いから、ちょくちょくおちょくってしまいましたわ。でもまあ、いつまでも白状しないようならそろそろお仕置きが必要かしら?とも思っていましたけれど」


 やっぱりいま言って良かった。ブリジッタの気まぐれで突然石化されたんじゃたまらない。


「いつか埋め合わせはするから。本当にごめん」


「わざとでないなら、仕方がないですわ。形あるものはいつかは壊れるんですから」


 そう語るブリジッタの瞳には、言葉とは裏腹に一瞬悲しみの色が過ぎったように思えた。凄く大切な思い出の品だったのかもしれない。その瞳を見ていると、ちくちくと罪悪感に苛まれる。石化させられる方がまだずっとましかもしれない。

 しかしブリジッタが視線をあげてタケトを見た時には、彼女の瞳からはすっかり哀しみの色は消えていた。


「ほら。シャンテのところに行くんでしょう?  早く行ったらいかがかしら?」


「うん。ブリジッタ、……ありがとう」


「ふふふ。そのかわり、今度、お茶会に付き合いなさいね」


 そういうと、彼女は香りを楽しむように再びティーカップを口元に運ぶ。


「ああ」


 タケトは事務所を抜けて廊下を歩きながら、今度どこかで良い茶葉を見つけたらブ

リジッタに贈ろうかななんて考えていた。





 王宮を出て裏庭に回ると、ウルの黒く大きな身体が見えた。

 ちょうど食事を終えたところのようだ。その傍に、シャンテの姿も見つけてタケトは彼女たちのもとへと駆けて行った。トン吉も、後ろから小さな脚でちょこまか走ってついてくる。


「シャンテ!」


 タケトの呼びかけに、彼女が振り返った。


「タケト」


 無視されたらどうしようかと思ったけれど、彼女はいつもと変わらない様子で返事をしてくれた。


 でも、さっき話の途中で家を出ざるを得なかったことを思いだし、ぎゅっと胃を掴まれるような心地になる。シャンテにされたままの誤解を解かなければ。タケトはゴクリと唾を飲み込むと話し始めた。口の中がカラカラだった。


「あのさ。シャンテ」


「なあに?」


 森からの吹き抜けてくる風が彼女の長い銀糸のような髪を揺らす。それを、耳にかけながらシャンテはタケトの方に向き直る。


「昨日のことだけどさ。確かに俺、ジェンと一晩一緒にいたけど。……彼女とは何もないよ。ずっと昔話を聞いていただけ。……信じてもらえないかも、だけど。ほんとうに、それだけなんだ」


「…………」


 シャンテは何も返してはこなかった。だから、タケトはそのまま話を続ける。


「彼女には友達になってほしいって言われた。友と呼べる人間が他にいないから、って。でも、昨日みたいな紛らわしいことはもうやめる。……心配かけて、ごめん」


 少し間があってから、彼女の髪がゆるゆると揺れた。シャンテは小さく首を横に振っていた。


「……別に私のことは気にしなくて良いよ。こちらこそ、ごめんなさい。タケトが誰と何をしていたって、私がどうこう言えることじゃないのに……」


 そう言ってシャンテはわずかに口角をあげて微笑んだ。ぎこちない笑みだった。


 それを見て、タケトはさっき以上にぎゅっと胃の中を掴まれてるような気持ちになる。

 なんで、自分は彼女にこんな顔をさせているんだろう。それがとても申し訳なく、不甲斐なく感じた。


「ううん。……俺さ。シャンテに住まわせてもらっているあの家での生活が、すごく楽しくて。シャンテと一緒にいるのが、すごく心落ち着けて。だから、ずっとこのままだったらいいのにって思ってた」


 シャンテがいて。ウルがいて。トン吉がいて。賑やかな毎日。

 家の中がいつも温かくて穏やかで、笑顔に満ちていて。


 いままでのタケトの人生の中で、こんな風に楽しく暮らせる日々は初めてだった。一人っ子だったし、小学校にあがってすぐに離婚した父に引き取られてからは夜遅くに父が帰宅するまで一人で過ごすことが普通だった。そんなものだと思っていた。


 だから今の生活は、すごく心地よくて。できればずっと続いて欲しいと心の中で願っていた。

 でも、それがいつしか。


「いつのまにかそれが当たり前になっていて。何もしなくてもこのままの状態がずっ

と続く気がしちゃってた。……でも、それって甘えだったんだよな」


 すべてはシャンテがいてくれたから。彼女が受け入れ、与えてくれたから実現したものだったのに。


「俺、シャンテに何を返せてたんだろう。与えてもらうばっかで、まだ何も返せてない。それなのに、心配かけて。傷つけるようなことして」


 タケトの言葉に、シャンテは再び首を横に振る。


「ううん。私も、タケトがいてくれるのは心強かったから。お互い様だよ」


 今度はシャンテは自然に笑ってくれた。

 やわらかな冬の日差しが、彼女の髪にきらきらと光をなげかける。素直に綺麗だと思った。そして、堪らなく彼女のことが愛しかった。

 だから、自然と彼女への言葉が口をついて出ててくる。


「シャンテ。俺、これからもずっと君と一緒にいたい」


「え?」


「君とずっと一緒に、家族のように暮らしたい。でも、ずっとなら、それはもう『家族のように』じゃ駄目なんだよな」


 そこまで一気に言って、急に恥ずかしさが湧き上がってきた。でも、ここで止まってしまったら、今までと同じだ。

 タケトは意を決すると、不思議そうにこちらを見ているシャンテを見つめた。


「シャンテ。君のことが好きなんだ」


「タケト……」


「君のことが好きだ。堪らなく好きだ。だから!」


 タケトはシャンテの手を取ると、ぎゅっと握ってお願いするように頭を下げた。


「俺と結婚してくれませんか。俺、君と家族になりたい。ずっと一緒にいたい。これからもずっと」


 やっと言えた。いままで言いたくて、でも言えなかった言葉。シャンテの反応が怖くて、顔を上げられなかった。

 でも彼女が何も言わないので恐る恐る顔をあげてみると、シャンテは目をまん丸くさせてタケトを見ていた。その双眸に見る見る、涙が滲んでくる。

 ゆっくりと、涙とともに彼女の顔に笑顔が広がると、シャンテはコクリと頷いた。


「私も、タケトとそうなれたらいいなって、ずっと思ってた」


 そんな彼女の姿が愛しくて。思わずタケトはシャンテの華奢な身体を抱きしめる。


「一緒にいよう。ずっと」


 もう一度、腕の中でシャンテがコクリと頷いた。彼女の手が、タケトの背中のシャツを掴むように抱き返してくる。

 彼女のことを。シャンテのことを、何よりも大切にしたい。そう心から思った。

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