第144話 昔話

 驚きのあまり言葉も出せずかたまってしまったタケトをジェンはジッと見つめたあと、急にプハッと吹きだして破顔した。


「冗談だよ。言ってみただけだ。そんな顔するな」


「……はぁ」


 ホッと深く息を吐き出すタケト。一瞬、本当に息が止まるかと思った。

 ひとしきり笑ったあとジェンは、すっと顔から笑みを消す。


「僕は目は悪いけれど、その分、相手の雰囲気で考えていることは大体わかるんだ」


 そして、そのモスグリーンの瞳で真っ直ぐにタケトを見つめた。


「いま思いっきり困惑してただろう。それに僕もちょくちょくそっちの事務所には行っているからね。お前たちの仲の良さは知ってる」


 知ってんならなんでそんなこと言うんだよと内心文句を言いたくもなったが、タケトだって刑事やら魔獣密猟取締官マトリやらを長い間やってきたのだから、表情や口調から人の本心を探るのは得意な方だ。


 だから、分かってしまうのだった。さっきのジェンの口調が、完全に冗談一色ではなかったことを。


 それでもジェンはタケトが断りの言葉を探しているうちに自分から言葉を引っ込めてくれた。身分の違いから、強制だってできたのに。断りたくても断りにくいことも全てわかったうえで、冗談だと笑い飛ばした。

 それが有り難かった。


「……すみません」


 色々な意味を込めての、すみません、だった。


「なぁ。タケト」


「はい」


「お願いがあるんだ。命令じゃなくて、お願い」


「俺にできる、ことなら……」


 ジェンは上体を起こすと、枕を背もたれのようにして寄りかかった。


 タケトはもし愛人になれとか言われたらどうしようと内心ビクビクしていたが、そんなタケトの心配すら見透かしているようにジェンの目が柔らかく笑む。


「僕の、友になってもらえないか」


「…………へ?」


 突然のお願いに、タケトはきょとんと目を丸くする。


「僕は……やってきたことが、やってきたことだから仕方ないけどね。長らく、友といえる存在がいない。誰も信じることができない。いつも裏切られるんじゃないかって怖いんだ。かろうじてヴァルヴァラや数人の人間は気を許せるが、それだって友というのとは少し違う。こんなだから、友なんてできないってずっと諦めていた。……タケト。お前と出会うまではね」


 そこでジェンはスッと息を吸い込むと、長年言いたかった言葉をやっと言えたというようにしみじみと言った。


「タケト。僕はお前と友になりたいんだ。せめて」


「ちょっとまってください。これから友になるんだったら、じゃあ、いままでは何だったんですか?」


「え? えっと……うーん。知り合い? 部下? そんで、文書作成に長けた便利な文官?」


 タケトの質問に、いつもは知己に富んで落ち着いた色を湛えているジェンの瞳が、戸惑うようにクルクルと色を変える。そんな慌てたジェンの様子がおかしくて、ついタケトは吹き出すように笑い出した。


「すみません。なんだ。友達だと思ってたのは俺の方だけだったんですね」


「え?」


 ジェンが拍子抜けしたようにポカンとタケトの顔を眺める。タケトはそんなジェンの顔を見るとまた笑い出しそうになるのをかみ殺しながら応えた。


「俺はもう、とっくにアナタのことを友達だと思ってました。だって、友達って、そんな告白みたいなことしてなるものじゃないでしょ?」


 ジェンはしばらく驚いたように呆然としていたが、ハッと我に返るとぽつりと「そうか」と呟いた。その表情は、いままで見たことが無いくらい嬉しそうにはにかんだ笑顔だった。


「じゃあ、そういうことで。これからも、よろしくお願いします」


 タケトはジェンの顔の前に右手を差し出した。ジェンも少し迷った後、タケトの右手に彼女の手を重ねる。タケトはその手を握ったまま、笑顔で軽く振った。


「これで、これからも友達ですね……って、えええええ、ちょ、どうしたんですか!?」


 握ったままの手と手。その向こうで、ジェンの双眸からハラハラと大粒の涙がこぼれ落ちていた。予想外のことにタケトは慌てて手を放そうとしたが、ジェンはぎゅっと強く握ったまま離してくれない。


「……すまない。……お前の手が、あんまり温かくて。ちょっと昔を思い出してしまって」


 そう震える唇で言うと、ジェンは涙を隠すように俯いた。


 振りほどくわけにもいかず、かといって何と声かけていいのかもわからず。タケトは手を繋いだままにして彼女が落ち着くのを待った。


 部屋の四隅に置かれた火皿で芯が燃えるジジ……というかすかな音が時折、夜の静寂しじまに聞こえるだけの寝室。


 どれくらい経っただろう。

 五分か。それとも三十分くらい経っていたのか。ずっと握っていて手と手の境界がわからなくなるくらいの時間が経ってから、ぽつりとジェンが言った。


「聞かせてもいいかな。僕のこと」


「……はい」


 タケトの返事に、ジェンは口元に小さく笑みを作ると、ぽつりぽつりと語り始めた。





 ジェンは、前王とその王に仕える女中だった母との間に生まれた、私生児なのだと話した。


 母はジェンを妊娠するとすぐに王宮を追い出されたが、彼女は頼る身よりも無かったことから、落ち着いた場所はどこかの貧民街スラムだったという。

 そこでジェンは生まれ、幼少期を過ごす。


「生活は貧しかったけれど、娼婦をしてた母と二人慎ましやかに暮らしていたよ。あのころが、僕の人生の中で一番穏やかな時間だったかもしれない」


 しかし、十三歳になった頃。彼女の母は病に伏せ、ほどなくして亡くなってしまった。その少し前、身寄りの無いジェンを案じて、母は王宮に手紙を送っていた。ジェンに職を与えて欲しいと頼むために。


「けれど、それが悲劇の始まりだったんだ」


 それと相前後して前王が急死した。原因は不明だが、ジェンの話しによると毒殺だった可能性が濃厚なようだ。そして前王の子どもたち、妃たちの間で王位継承争いが始まっていた。


「王都では、そりゃもう大騒ぎだったんだろうけど。地方の貧民街にまではまだそんな話は伝わっていなかったんだろうな。何も知らなかった病床の母が手紙を送ったのは、そんな激動の時期の真っ最中だったんだ」


 ジェンも、母の身分は低いが、王の血を引く子どもの一人。

 母の死後、途方に暮れていたジェンの元に彼女を迎えにきた使者は、王妃の手の者だった。

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