第143話 寝室

「なんで、そんなになってんですか」


 王の執務室を訪れた途端、ジェンに抱きつかれて立ち尽くしたタケトだったが、間近にある彼女の顔から酒臭いニオイが漂ってくるのに気付いて大きく嘆息した。


 ジェンは、顔を赤くしてすっかり酔っ払っていたのだ。できあがっているといってもいい。


「なんでって。お前を待ってたに決まってるだろう」


「……ああ、もう。一緒に飲むのは構わないですけど、明らかに飲み過ぎです。また、マンドラゴラのワインですか?」


「そう。もう夜だからいいじゃないか」


「これから、夜になるところです」


 既に自分では満足に立てないほど酔っ払っているジェンをタケトは抱きかかえると、お姫様だっこするようにして部屋の奥に連れて行った。ソファに寝かそうかと思ったが生憎ソファの上は本でいっぱいだ。とりあえず一旦床にジェンを置いてソファの上の本をどけてから、彼女をその上に寝かせた。


「まったく。世話のかかる王様だよな」


 それでも、彼女がこんな醜態をさらせられる相手が自分くらいしかいないことはタケトも気付いていたので、別に文句を言うつもりもない。


 タケトは開けたままになっていた部屋の扉を閉めようと、扉の前に戻る。扉の取っ手に手をかけて、その向こうの『王の間』に目をむけたとき、数メートル先に何かが落ちていることに気付いた。


「あれ?」


 自分が落としたのかなと思って、その落ちているものに近づき手に取る。

 それは、違法オークションの出品者リストだった。


 そういえば、シャンテが持っていたものを借りて報告書につけようと思っていたのに、シャンテから受け取るのを忘れていたことを今さらながら思い出す。

 それが、なぜここに落ちているのだろう。


「シャンテ……?」


 もしかして近くにシャンテがいるのかと思って辺りを見回すが、日が落ちかけた『王の間』はしんと静まりかえりシャンテらしき姿はなかった。


 タケトはそのリストを手に頭をかくと、執務室へ戻って扉を閉める。


 さてと。問題は、この酔っ払い王だ。

 報告書を渡してすぐに自宅へ帰るつもりだったのに、こんな泥酔一歩手前の王をこのまま放っておくわけにもいかない。


「タケト……なんか、気持ち悪い……」


 案の定、ソファに横たわったジェンは口に手をあててえづいている。


「ああ、もう……飲み過ぎですって。ちょっと待っててください。いま、水もらってくるんで」


 ジェンはいつものごとく人払いをしていたため、部屋の外には警備のために数人の騎士がいるのみ。


 仕方なくタケトは走って女中や侍従たちの詰める部屋に助けを求めに行った。驚いた侍従長はすぐに典医てんいを呼びに人をやる。ちょっと水をもらうだけだったのに、すっかり大騒ぎになってしまった。


 侍従長たちについて執務室に戻ると、彼らはジェンをさらに奥の部屋へと運び込む。

 執務室の奥の扉を開けると廊下があり、そのさらに奥には広い客間や寝室が一通り揃っていた。


 このあたりの区域は本来、王族が暮らすためのプライベートな場所なのだそうだ。

 タケトのような一介の官吏かんりが入れる場所ではない。タケトもそこまで同行するつもりはなく、侍従たちにジェンを任せたらとっとと帰宅するつもりだった。


 しかし、酔いすぎて吐き戻すジェンが息も絶え絶えにタケトに傍にいろと言うので帰るに帰れず、仕方なく寝室まで付き添う嵌めになってしまった。


 しかも吐くだけ吐いて気分が落ち着いてきたジェンが再び人払いをしてしまったため、タケトはだだっ広い寝室にジェンと二人でポツンと取り残される。


 ジェンは寝室に置かれた天蓋付きの大きなベッドに横になっていた。

 その脇に置かれた猫足の椅子に腰掛けて、タケトは所在なげに辺りを見回す。


 室内は掃除が行き届いていたが、あまり使用している気配が感じられない。どうやらジェンは普段からあの執務室のソファで寝起きしているようで、こちらの寝室は滅多に使っていないようだった。


「うん……タケト?」


 いつになくか細い声でジェンがタケトの名前を呼ぶ。そういえば、トン吉も夜中に起きたときに闇を怖がってタケトを呼ぶことがあるが、それと似ているななんてつい重ねてしまって少し可笑しくなる。


「はい。ここにいますよ」


「すまないな。酷いところを見せて」


 ぐったりとベッドに仰向けになったままのジェンの顔に、月が優しく光を落としていた。長く豊かな金色の髪を広げ、その上に横たわる彼女はまるで精巧につくられた人形のよう。完璧な美しさだった。酒臭さの一点を除けば、だが。


「いえ。それは別にいいんですが……どんだけ飲んだんですか?」


「うん……そんなには、三本くらいかな」


「……充分多いですから、それ」


「おかしいなぁ。いつもはそれくらいじゃ酔わないんだが、疲れが溜まっていたのかもしれんな。いつもはあのワインを飲むと身体が軽くなるんだ」


「体調考えて、飲んでください」


 嘆息するタケトに、ジェンは右手を伸ばしてくる。


「タケト。もっとこっちにきてくれ。そうしないと、お前の顔が見えない」


 そういえば今ジェンは眼鏡をしていない。いつも胸元に適当にひっかけてある眼鏡も見当たらないところをみると、ここへ彼女を運んでくる途中にどこかに落としてきてしまったのかもしれない。


 タケトは椅子から立ちあがると、ベッドに腰掛けて手をつき身を乗り出した。


「この位置でもまだ見えてないんじゃないんですか?」


「そうなんだよ。せっかくのお前の男前の顔が見れないなんて残念じゃないか」


 そしてジェンはクスリと笑った。


「でも、これ以上近づけたら、お前の奥さんにはり倒されてしまうしな」


「え?」


 キョトンとするタケトに、ジェンは不思議そうに言う。


「シャンテ嬢とずっと一緒に住んでるだろう。なんだ、夫婦じゃなかったのか?」


「え……あ、いや……」


 貴族や王族は婚姻するとどちらかの苗字を夫婦で名乗る決まりらしいが、庶民にはそこまで厳格なルールは無い。結婚していても苗字を変えない場合もあるし、そもそも苗字のない人も多い。したがって、一緒に暮らしているとそれだけで夫婦だと見られる事も多いようだ。


「じゃあ、僕がお前をめとっても問題ないわけか?」


「……え?」


 一瞬言われたことの意味がわからず、タケトは石化したようにかたまった。

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