第145話 捨てられた日
それは、ジェンが十三歳になったばかりの頃のことだったという。
病の床に長く伏せていた母親が死んで、その遺体を街の外れにある共同墓地に埋葬した数日後。
狭く小さな家に突然、その街にはふさわしくない上質な服をきた男がやってきた。その男は王宮からの使者だと名乗り、ジェンを迎えにきたと言った。
この裏町にくる上等な服を着た連中にはろくな奴がいないことは、ジェンも経験から知っていた。そのため男を酷く警戒したし、逃げ出そうとする。
しかし、男がばらまいた金に目がくらんだ近隣の者たちにあっさりつかまり、無理やり馬車に乗せられてしまう。
何日も馬車で揺られ連れてこられたところは、見たこともない深い森の中だった。道中、ジェンが何を聞いても黙ったままだった使者の男は、馬車から降りるようにジェンを促した。訳が分からず戸惑うジェンの細い腕を彼は無理矢理掴んで馬車の外に引きづり降ろす。
地面に放り出され倒れこんだジェンは、上半身を起こしてあたりを見回した。
ひんやりとした肌寒い空気。周りには背の高い木々しか見えない。
そこは霧深い森の中だった。
ズボンごしにも、地面のじっとりとした底冷えするような冷たさが伝わってきた。
当時のジェンは髪が短く、服装も男と同じ格好をしていた。古着の長いシャツに、つぎはぎだらけのズボン。娼婦をしていた母が、自分と同じ人生を歩まないようにとジェンには普段から男の格好をさせていたのだ。
服装だけでなく、髪を短くし、普段の言葉遣いも仕草も男としてふるまうように育てられた。
もう十三歳になっていたが、栄養状態が悪くガリガリに痩せていたので、女性らしいふくよかな体型とも無縁。その使者もジェンのことを男だと思い込んでいるようだった。女だとわかっていたら、どこかの娼館にでも売られていたかもしれない。
男は倒れ込んだジェンに一つの小瓶を渡してきた。そして、
「飲め」
と鋭く低い声でひと言命令する。瓶を受け取ったものの、これが良い物であるはずがない。飲む前からもう、ああこれは毒だなとジェンにはわかっていた。
貧民街にいたときにも見たことがある。
絵本に描かれているような上等な服を着た連中が数人でやってきて、貧しい人たちに毒餌を配った。苦しみにのたうち回って死ぬ人々を、彼らはさも楽しそうに笑いながら見ていたのを思い出す。
きっと、これもそれと同じようなものだろう。だから怖くて飲めなかった。手が震えて、瓶が手から落ちる。
使者の男は舌打ちをすると、ジェンの胸を思い切り足蹴にした。
「げほっ……げほっ……」
倒れて咳き込むジェンに馬乗りになると、ジェンの顎を手で掴んで瓶の中身を口の中に無理矢理に流し込んだ。すぐに鼻をつままれ、思わずジェンはそれを飲み込む。
その途端、胸を内側から焼かれるかのような苦しみに襲われジェンは蹲った。吐こうとするが、吐けない。息も出来ない。身体の中から何か得体のしれない化け物に抉られているかのようで、ジェンは胸や喉を爪でかきむしる。
涙ににじむ目で助けを求めるが、使者の男はジェンが瓶の中身を飲み干したことを確認すると、そそくさと馬車に乗り込みジェンをその場において去っていってしまった。
霧の中。馬車の後ろ姿がすぐに見えなくなる。
辺りには誰もいない。苦しさにのたうち回るジェンは、森にうち捨てられたのだった。
地面に突っ伏し苦しみの中で次第に意識が遠のいていく。ああ、これが死というものなんだ。そう思ったのが、最後。ジェンは霧に溶けるように意識を失った。
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