第129話 王の自室

 書き終えた書類の束を持ったまま、タケトは王の自室へと向かった。


 王のプライベートな部屋は、『王の間』の奥にある。普段は騎士団の上層部や専属の世話係以外は立ち入ることを禁じられている部屋だったが、王が自ら招き入れるときは別だった。


 部屋の扉の前では、甲冑を着た騎士団の人たちが物々しい様子で警備をしている。内心ビクビクしながら王に呼ばれている旨を彼らに告げると、既に話が通っていたのかあっさりと通してくれた。


 一枚板でできた大きな両開き扉をノックすると、すぐに中から聞き慣れた声が返ってくる。


「どうぞー」

「失礼します」


 静かに扉を押して、室内に足を踏み入れた。

 扉の大きさに比べると、室内はさほど広くはなかった。


 しかし、壁一杯の棚には本が溢れ、収まりきらない書物が床に積み上がっていた。巻物もごろごろと転がっている。うっかり踏んでしまいそうだ。


 さらに棚にはよくわからない鉱石や標本、剥製なども並んでいる。お世辞にも綺麗とは言いがたい部屋だった。


 王様の部屋というよりは、博物館の倉庫のような印象だ。


 扉近くに置かれた木製スタンドの上には、七色に輝く美しい羽根をもったオウムのような鳥が止まっていた。鳥はタケトを見ると、「ぴー?」と鳴いて首を傾げる。


 つい、その鳥に吸い寄せられるように近づくと手を伸ばした。首の辺りを撫でてやっていたら、部屋の奥から声がかかる。


「よく慣れてるだろ。その子は、ある国から友好の印に送られたモノなんだ」


 部屋の一番奥に置かれた大きなデスク。その向こうに、見知った女性を見つけた。

 ジーニア王国の現国王。ジェングレイ・フォンジーニア、その人だ。


 公に顔を見せるときの神々しい女王の姿とは打って変わって、プライベートでは相変わらずのボサボサ髪に、洗いざらしのシャツと作業ズボンといった残念な格好をしている。牛乳瓶の底のような度のきつい眼鏡は、いまは畳まれてシャツの胸元に引っ掛けられていた。


「見たことない鳥だと思いました。用事って何……うわぁ。でか」


 部屋の奥だけが吹き抜けになっていて天井が高い。その高い天井に、何かの巨大な骨格標本が吊されていた。骨の感じからして、小振りなクジラのような骨格だ。ただ違うのは、頭にユニコーンのようなまっすぐな長い角があること。


 吹き抜けの壁には大きなガラスが何枚もはめ込まれ、気持ちの良い午後の光が降り注いでいた。


「イッカク……?」


 タケトの呟きに、ジェンは「お!」という顔をする。


「さすがよく知ってるね。これは、昔に絶滅したとされてる海洋性の一角獣さ。ボクも生きてるところを見たかったけどね。さて、キミを呼んだのはこれを見せるためじゃないんだ。とりあえず、適当にその辺に座って」


 そう言われても、ソファの上も椅子の上も山積みの本で埋もれている。それをどけるのはなんだか悪い気がしたので、タケトはデスクの脇にある小さな螺旋階段に腰を下ろした。その螺旋階段は上階につづいているものの、吹き抜けから見上げると上階も本の詰まった棚でいっぱいのようだった。


 ジェンはワゴンに置かれたボトルを手に取ると、二つのガラスコップに赤紫の液体をとぷとぷと注ぐ。赤ワインのようだ。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 渡されたグラスを受け取り、コクリと飲んだ。ワインの味にはあまり詳しくないが、質の良さそうなワインだなと口に入れた瞬間感じる。街の酒場で飲むような薄められたものではない、濃厚で芳醇な香りが口の中に広がった。


 ジェンもデスクに浅く腰をかけると、ゆっくりとグラスを揺らしながらワインを楽しんでいた。


「あ、頼まれてた書類。出来上がったんで持ってきましたよ」


 タケトは手に持っていた丸めた書類を渡す。


「ありがとう。助かるよ」


「まだ、半分くらいしかできてませんが。残りはまた、できたら持って来ます」


 ジェンは受け取った書類を紐解いて、胸元に引っ掛けてあったメガネをかけ、ざっと中身を確認する。


「うん、やっぱりいいできだ。キミがいてくれて本当に助かるよ。こうして手伝ってくれる部下が、前々から欲しいとは思ってたんだ」


 ジェンはメガネを外して再びシャツの胸元にひっかけると、モスグリーンの瞳で柔らかく笑んだ。


「でも、ボクが扱うのは機密文書も多いからさ。この仕事を任せられる人材がなかなかいなかったんだ。文書事務の知識も必要だけど、それよりも利権が絡む人間かどうかが重要なのさ。その点、キミはどこの派閥にも、どこの家系にも属していないから安心して任せられる」


「……ありがとうございます」


 いいように使われている気もしないではないが、仕事を任せられるのは悪い気はしない。

 ついでに小遣い稼ぎにもなれば、タケトとしても嬉しい。


 ジェンは再びワインのグラスを傾けて、ふうと一息ついた。


「……あまりおおやけにはしていないが、ボクはかなり目が悪いんだ。実はこの距離からでも、キミの顔は殆ど見えていない。声と仕草でキミだということはわかるけど、目ではぼんやりとしたシルエットがわかる程度なんだよ。本もかなり近づけないと読めないしね」


「え……」


 ジェンはプライベートではよくメガネをかけているので、目が悪いんだろうなとは予想していたが、そんなに悪いとは思わなかった。


 驚きが顔に出ていたのだろう。ジェンは困ったように苦笑する。


「あまり公言はしないでくれな。弱みは極力周りに知られたくないんだ。ああ、ヴァルヴァラは知ってるよ。……だからね。目を使う仕事はとても疲れるんだよ。このワインも滋養強壮のために飲んでるんだ。あ、言い忘れたけどこれ、マンドラゴラの沐浴用に使ったワインだよ」


「ブハッ……」


 最後の衝撃的な言葉に、思わず口に含んだワインを吹き出しそうになった。いや、吹きだした。ジェンにかからなくて本当に良かった。下手したら不敬罪になるところだ。


 慌てるタケトを、ジェンはカラカラと楽しそうに笑って眺めていた。

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