第十二章 ペガサス

第128話 特別手当

 その日、タケトは魔獣密猟取締官事務所のソファに座って朝からずっと書類を書き続けていた。ソファセットのローテーブルには既に書き終わった書類と、まだこれから整理しなければいけない書類がそれぞれ山のように積まれている。


 トン吉は、タケトの隣で丸まって昼寝をしていた。まったくもって羨ましいが、手伝ってもらったところで余計な手間が増えるだけなので、寝ててくれた方がまだマシだ。


 ローテーブルは書き物をするには低く、身を屈めがちになるため、すっかり腰が痛くなってしまった。ついでに、いちいち羽根ペンにインクをつけて書かないとならないので腕もとっくに悲鳴をあげている。


「あー、もう嫌だー!」


 タケトは羽根ペンを投げ出したい気分になりながら、両腕をあげて大きく伸びをした。

 それを、奥のデスクでキセル片手に報告書を読んでいたヴァルヴァラ官長が、気の毒そうに苦笑いを浮べながら声をかけてきた。


「それ、王に頼まれた仕事だろ?」


 官長の言葉にタケトは大きく頷く。


「……そうなんです。お前、書類仕事得意みたいだから、手伝え、って」


 疲れた表情で嘆くタケトに、官長はさらに苦笑を深くした。


「王はお前のこと、気に入ってるみたいだしな。なんだったら、私の方からもひと言言っておこうか?」


「いえ、今んとこは大丈夫です。その分、手当くれるっていうし」


 ことの発端は、タケトが書いた密猟者に関する報告書を、王が気に入ってしまったことにはじまる。


 彼女はタケトの報告書をとても読みやすくて分かりやすいと絶賛してくれた。そこまでなら評価されて嬉しいだけで済むのだが、さらに「お前は書類仕事が得意そうだから、私の手伝いをしてくれないか」と言いだした頃から妙な流れになってしまった。


 それからちょくちょく王に直接頼まれて、部下たちが提出してきた書類の整理や書き直しなどを頼まれるようになったのだ。そしていつのまにか任される書類の数は増えていき、今に至る。


 といっても、タケト自身は自分が書類仕事が得意だなんてちっとも思ってはいなかった。むしろ昔から億劫に感じていたし、上手く書けたなんて思った試しがない。


 しかし、あちらの世界で刑事をしていたころに大量の書類を散々書かされたことで、ある程度のノウハウが身についてしまっていた。

 刑事の仕事は案外デスクワークが多いのだ。


 そのため、タケトの作る書類はとても整理され読みやすいと王にいたく気に入られてしまったらしい。


(俺が上手いっていうよりも、他の人たちの作る書類が読みづらすぎるんだよな)


 こちらの公文書は無駄な装飾や、読みやすさを無視した慣習など妙な決まり事が沢山あってとにかく読みにくい。パッと見、美術品か?と思うほどの美しさだが、読んでみるとさっぱり意味がわからないといったようなものも多かった。


 効率を重んじる我がジェン王は、そういうものを廃してもっと実務に即した形にしたいと考えているらしく、そういう意味ではタケトの持っているノウハウはとても貴重なのだそうだ。


 ちょっと休んだら腕の疲労もマシになってきたので、そろそろ続きを再開しようとしたとき、事務所の入り口から複数の足音とともに聞き慣れた声が飛び込んできた。


「あ、タケト。ここにいたんだ?」


 振り向くと、シャンテがこちらに歩いてきていた。その後ろにはブリジッタの姿もある。


「ああ、うん。しなきゃいけない仕事が溜まってたから」


 シャンテは、ローテーブルの上の書類の山を見て目を大きく見開いた。


「うわぁ、すごいね。こんなに沢山書いたの?」


「……まだ、半分以上あるけどね」


 うんざりした声で言うと、シャンテが心配そうに眉を寄せる。


「あとで薬屋さんに湿布もらいにいってこようか?」


「うん。腕があがらなくなったら行ってみるよ」


 なんて話していたら、横からブリジッタが「そうですわ」と言ってポンと手を叩く。


「それだったら、いい治療院がありますわよ。青い屋根の教会、知ってますわよね」


「え? 王都の? ああ、うん知ってる」


 そこで奉仕活動をしているジャニスに頼まれて、鶏小屋の修理をしたことがあった。お礼に卵を貰えるので、暇なときに時々手伝いに行ったりしているのだ。


「あの教会の向かいにある治療院は、良く効くと評判なんですのよ?」


「へぇ……」


 治療院というからマッサージでもしてくれるのかなとも思ったが、ブリジッタの口から出た話は予想の斜め上をいっていた。


「あそこで一番評判がいいのは、ヒルに患部の血を吸わせる治療法ですの。ワラワの手の平くらいある大きなヒルが、グングン吸って悪い血を出してくれますのよ」


「…………ひえっ」


 いくらブリジッタのお薦めでも、そんな巨大なヒルに血を吸われるのは少し気持ち悪い。いや、でも一度見てみたい気もするな、どんなヒルなんだろう。帰りにちょっと覗いてみようかな……とか悩んでいたら官長が笑いをかみ殺しながら言ってくる。


「ほら、捕まえて飼おうとか思ってるぞ、こいつ」


「自分の血で飼えて、肩こりも治るのなら得かもしれませんわね」


 ブリジッタまで変なことを言い出すので、シャンテがおろおろとタケトを見た。


「た、タケト…………おウチでヒル飼うのは止めてほしいの……」


「…………飼わないから、そこは安心して、シャンテ。二人ともからかわないでくださいよ」


 ムスッとして言うと、官長は「こと生き物へのお前の好奇心は度が過ぎているからな。クリンストンと良い勝負だ」なんていって笑うのだった。


 喋っているといつまでも仕事が終わらないので、羽根ペンにインクをつけて再び書類に向かいだしたところで、


「ああ、そうだ。タケト」


 官長が何かを思い出したように声を上げた。書こうとしていたところで手を止めてしまったため、ポタッとインクが紙に落ちる。やっちまった。


 紙を無駄にしてしまって焦るタケトを余所に、官長は話し続ける。


「さっき、王が呼んでいたぞ。手が空いたときでいいから『王の間』の奥の自室に来てくれだそうだ」


「え? 自室に、ですか?」


 書き終えた書類を持ってこいということかな。そう判断して、タケトは立ちあがると書き終えた書類の束をテーブルの上でまとめた。


「ちょうどキリがいいとこまで終わってたんで、これ届けに行ってきます」


「ああ、お疲れ様」


 束をくるくるっと丸めて紐で結びながら、そうだ、とタケトはシャンテに明るく笑いかけた。


「王様にさ。特別手当貰えたら、なんか美味いモノでも食べに行こう?」


 タケトが書類作成を頑張っていたのは、実はそんな狙いがあったのだ。


 普段に生活する分には、大飯食らいの魔獣たちの食費が厳しいものの、タケトとシャンテが王宮からもらう給金だけでも贅沢しなければやっていける。


 しかし、生活以外に金を使う余裕はないので、こういう臨時収入があると非常に有り難いのだ。


「うんっ」


 シャンテの顔に嬉しそうな笑顔が浮かぶのを見てタケトも微笑み返すと、事務所を後にした。






「でも、あの警戒心のやたら強い王様が自室に呼ぶなんて…………異様な気に入られ方よね。タケト」


 タケトが去って行ったドアを見ながらポツリと呟くブリジッタの言葉に、シャンテは表情を曇らせた。手を胸の前で祈るようにぎゅっと握る。


 タケトが食事に誘ってくれたことは純粋に嬉しい。


 でも、心のどこかで言い知れぬ不安が、泡のようにふつふつと浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返していた。焦りのような落ち着かなさが胸を燻す。


 その不安の正体を、このときはまだシャンテ自身も自覚してはいなかった。

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