第117話 新しい生活


 その後は、慌ただしかった。

 近くの街の病院で治療を受けさせられたかと思うと、しばらくして騎士団の服を着た人がカロンとクリンストンを迎えに来た。

 訳も分からないまま馬車に乗せられ、連れてこられたのは王都だった。


 そして森の奥にある石造りの建物に入れられて、魔獣狩猟場のことや『ジズ』と名乗った魔獣のことについて根掘り葉掘り質問された。

 さらに、このことは絶対に口外してはいけないときつく言われて、誓約書にサインまでさせられた。

 クリンストンは字の読み書きができなかったので、手にインクをつけてペタッとスタンプしていた。


 どうやら、あの『ジズ』のことは世間に知られてはいけないようだった。王国の国家機密に関わることだと、誰かに話せばお前たちを牢屋にいれなければならなくなる、とそう脅された。


 そして最後にカロンたちが連れてこられたのは、郊外にある大きな屋敷だった。

 通されたのは上質な応接セットが置かれた広い客間。殺風景というよりは、ここの家主のあまりモノを置かない主義が感じられる部屋だった。


 ソファに座らされると、メイドさんがテーブルに紅茶とパウンドケーキのようなものを置いていった。焼きたての良い香りが漂ってくる。


(昔、誕生日に母さんがこういうの作ってくれたよな……)


 目の前にあるパウンドケーキは、中にたっぷりとドライフルーツやナッツが練り込まれていて、ふわふわのクリームまで添えてある。

 母が作ってくれたものに似ているけれど、それよりもっとずっと高級そうだった。


 恐れ多くて手を出せないでいたが、クリンストンは「なにこれ、すげーうまい!」とかなんとかいいながらあっという間にたいらげていた。そういう神経図太いところは正直ちょっと羨ましい。


 開けられた窓からは柔らかくなりつつある春の風が吹き込んで、ふわりとレースのカーテンを揺らしていく。気後れするくらい、穏やかな雰囲気が漂っていた。


 しばらくそこで待っていると、一人のパンツスタイルの女性が入ってきて、向かいのソファに荒っぽく腰を下ろした。

 その人物には見覚えがあった。

 あのとき助けてくれた、赤髪の女の人だ。


 しかし彼女の顔には、あのときにはなかった大きな傷が刻まれていて、カロンは思わずぎょっとしてしまう。

 斜めに大きな鉤爪で引っかかれたような醜い傷跡。まだ生々しいその傷をなんら気にしていないかのように、彼女はにっこりと二人に微笑みかけてくる。


「良く来たな。カロンに、クリンストンだったか。私のことはヴァルヴァラとでも呼んでくれ」


 二人は彼女の威圧感というか雰囲気に圧倒されながらも、借りてきた猫のように大人しく座っていた。

 こんな上質の椅子に座ったことなんていままで一度もなかったので、座面が柔らかすぎてちょっと落ち着かない。


 しかも、いきなりこんな年上で身分の高そうな人に呼び捨てしてくれと言われても、おいそれとできるわけもない。でも、できないと言うこともまたはばかられる気がして、カロンは恐る恐る違うことを尋ねた。


「あの……ヴァルヴァラ……様。なんで僕たちだけ、ここに連れてこられたんですか? 他の子たちはどこに……」


 その質問に、彼女がわずかに表情を固くしたのが見て取れた。聞いてはいけなかったことなのだろうかと少し心配になる。

 けれど、咎められるようなことはなく、ヴァルヴァラは穏やかだが静かな声で答えてくれた。


「……気の毒だが、あそこから生き延びられて現在確認が取れているのはキミたち二人だけなんだ。あそこにいた無法者の中には上手く逃げ出したものもいたかもしれんが、大部分は喰われてしまった。私も部下の多くを亡くして、私自身もこのざまさ。私たちはあの魔獣狩猟場を摘発するために内偵を続けていたんだ。そして、数時間後に一斉摘発を控え準備を整えていたあのとき、アレが起きた」


 今度はクリンストンが質問する。


「あの魔獣は? 倒したんっすか?」


 クリンストンは、なぜか敬語になると妙な癖で話す。たぶん、ならず者が多いところで育ったから、そういう喋り方が身についてしまったのだろう。


「ああ……君たちの調書は読んだ。『ジズ』とか名乗ったらしいな、アレは。散々攻撃を加えたが、まだ身体が本調子ではないから分が悪いだかなんだか言って飛び去って行ったよ。逃げられた、ともいうが実際の所、我々だけで手に負えるようなものじゃなかったのかもしれん」


 重苦しい沈黙が漂う。

 逃げた、ということは、あの魔獣はいまもどこかにいるのだ。

 人に悪意を持ち、人を食い、圧倒的な力を持つ巨大な鳥。


「今、古い文献も調べさせているが、実は同じ名前が神話の中にも出てくるんだ。まさか実在したとは思ってもみなかったが……もしあれが神話に出てくる『ジズ』と同一だとすると、国家を越えた人類共通の脅威になりうる。実在が知られれば、大変な混乱を招きかねない。そこでだ。我々はキミたちの監視も兼ねて、キミたちに縄をつけることにした」


 彼女の言わんとしていることの意味が分からず、きょとんとした視線を返す二人。その二人に、にっこりとヴァルヴァラは笑いかけた。


「キミたちにはここで暮らして貰う。まぁ、養子みたいなもんだと思って貰っていい。今日から、ここがキミたちの家だ。拒否権はない。いいね?」


 拒否権はないというが、その言葉が与えるインパクトとは裏腹に、その瞳はとても優しかった。

 後で知ったのだが、あのジズとの戦いで彼女は部下でもあった夫を亡くしていた。


 それから、カロンとクリンストンは騎士団で要職につくヴァルヴァラの実質的な養子として暮らすようになった。

 とはいえ、ヴァルヴァラは王都に行ってしまっていることも多かったので、メイドたちや執事に世話されながら、家庭教師までつけられて基本的な読み書きや社会のルールを教えられた。


 クリンストンはいままでまったく読み書きの練習を受けたことがなかったようで、最初は自分の名前すら書けなかった。それでも、なんだか執念のように寝る間も惜しんで読み書きの練習に明け暮れていた。


 彼がいつ生まれたのかも定かではないようだったが、聞く話を総合するにどうやらカロンと同い年か、もしくは一つ上くらいのようだった。

 それでもカロンが1の時間できるものを、クリンストンは5や10の時間をかけてもカロンほどには上手くできないことも多かった。


 それは、二人が寄宿制の学校に通うようになっても同様で、学業が進めば進むほどその差はどんどん広がっていった。

 それでも、クリンストンは諦めようとはしなかった。人の十倍の時間がかかるんなら、十倍やればいいやとあっけらかんとしていた。


 数年後、十八歳になって寄宿学校を卒業するときにカロンは騎士団の入団試験に受かり、団の寮で生活することが決まった。


「すごいよなぁ。あんな高倍率の試験受かるなんて。やっぱ、カロンはすごいよなぁ。勉強も剣技もずっと学校一だったもんな」


 クリンストンはそう言って、自分のことのように喜んでくれた。

 いままでなんでも一緒にやってきたけど、ここで二人の道は分かれてしまう。そのことに、少し寂しさを感じながらもカロンは尋ねた。


「お前は、どうすんの? このあと」


 その言葉に、クリンストンは目をキランとさせて声を弾ませた。


「リージャンの街に、魔獣とか動物の治療をしている人がいるんだって。そこに修行に行きたいなって思ってるんだ。ヴァルヴァラさんに相談したら、なんとか手を回してくれるって」

「治療?」


 こくんとクリンストンは頷く。


「俺、もっともっと魔獣たちのこと知りたいんだ。魔獣の生態って、まだ知られていないことが沢山あるんだよ。だからいっぱい勉強して、いっぱい経験積んで。誰よりも詳しくなりたいんだ」


 そして両手を胸の前に掲げる。まるで、両手の上に何かを抱きかかえるような仕草をした。


「だって……助けられないのは、もう嫌だから」


 それで、カロンは初めて気付いた。

 彼が何のために苦手な勉強を諦めなかったのか。

 今は何も掴んでいない、その両手が何を掴みたかったのか。


「そっか……」


 きっと、クリンストンの目には今も、布にくるまったピットの亡骸が見えているのだろう。

 ピットのような、不幸な魔獣が出ないように。

 もし、傷を負い、死にそうな魔獣を見つけても助けられるように、そのための力がほしい。そう彼の目は言っていた。


 ピットはおそらくクリンストンにとって最初の家族であり、友人だったのだ。

 にもかかわらず、クリンストンとカロンを助けた代わりに死んでしまった。

 その重みを、彼はいまも抱き続けていた。


「できるよ。お前なら」

「うんっ。自分でもそう思ってる」


 そう言って、クリンストンは屈託なく笑った。






 ヴァルヴァラが王の命を受けて『魔獣密猟取締官事務所』を発足させたのは、それから数年後のことだった。

 その頃には騎士団の正式な団員となっていたカロンも、希望して兼務となる。


 数人ではじまった事務所だったが、当初は保護してきた魔獣を受け入れる決まった施設はなく、協力してくれる牧場に預けたりしていた。


 しかし、それでは傷ついた魔獣たちの治療や世話が充分にできないとクリンストンが主張し、彼の尽力とヴァルヴァラの協力もあって翌年、王の森の一角に魔獣専門の保護施設『魔生物保護園』がつくられる。


 クリンストンが実質的な園長として魔生物保護園を取り仕切ることになったが、その頃にはもう魔獣の生態に関する知識で彼に適うものはこの王国にはいなくなっていた。


 ちなみに、子どものころはほとんど獣化していなかったクリンストンが大人になってから頻繁に獣化するようになったのは、どうやら奥さんに「獣化した姿もモフモフしてて可愛い」と言われたのが大きいらしい。

 コレに関しては、毛を抜いてやろうかなと思うこともないではないカロンだった。

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