第116話 忘れられない親友


 どれだけ走ったのか、わからない。

 とにかく荒野を二人でひたすら走った。


 裸足の足は傷つき、血がにじむ。

 完全に息が上がって走れなくなったときには、もうすっかり大砲の音も聞こえなくなっていた。

 どちらからともなく足を止めて、倒れるようにその場に座り込む。


 肩で荒い息をしていたカロンだったが、ほどなくすると呼吸も落ち着いてきた。

 冷たい風が毛を揺らして通り過ぎ、吹き出した汗を冷やしていく。


(僕……生きてるのか)


 どこへ逃げれば良いのかもわからない。これから、どうなるのかもわからない。

 ただ、自分が生きていることだけは確かなようだ。

 ほっとした反面、また生き延びてしまったという罪悪感のようなものが胸を燻す。


 今朝まで一緒に寝起きしていた子どもたちも次々と喰われたのに、なぜ自分は今も生きているんだろう。

 なんで喰われたのは自分ではなく、あの子たちだったんだろう。

 そんな答えの出ない問いを自問し続けていると、ふと、か細い声が耳を掠めた。


 隣を見ると、地面にぺたんと座り込んでいたクリンストンが胸にぼろきれを抱きしめて俯いていた。

 その肩が小刻みに揺れている。少し遅れて、彼が泣いているのだと気付いた。


「……どうしたの?」


 どこか痛いのかと心配になって、カロンは声をかける。


「どっか怪我した?」


 しかし、クリンストンは首を大きく横に振ると、胸に抱きしめていたぼろ布を見せてくれた。そのぼろ布の中には、サラマンダーのピットが包まれていた。

 鮮やかな赤色をしていたはずのピットは、いまは赤黒く変わってしまってピクリとも動かない。


「動かなくなっちゃった。ピット、動かなくなっちゃった。どんどん……冷たくなっていくんだ。温めてるのに。どんどん……」


 クリンストンの双眸からハラハラと大粒の涙が零れる。


「なんで……ピット。いかないで。ダメだよ。いかないで。俺また、一人になっちゃうよ……」


 クリンストンは再びピットを大事そうに布に包みこむ。自分の体温を与えるように服の中に入れてギュッと抱きしめた。


(ああ、そうか……)


 ピットは、檻を壊された後、他の魔獣たちのように逃げたりしなかった。

 クリンストンと自分の足を凍らせていたジズの冷気を吸い取って、温めてくれた。

 おかげで二人は走って逃げることができたが、それは高温を必要とするサラマンダーには致命的な行動だったのだろう。


 ほどなくして、ピットは墨のように黒くなり、粉々に砕け散った。

 クリンストンはいつまでもピットの亡骸を抱いて泣き続ける。

 カロンはただ、見守るしかできなかった。


 それからどれくらい経っただろう。

 夜も更けて月が高く上ってくる。

 もうクリンストンの泣き声も聞こえなくなっていた。

 ピットだったものを布にくるんで抱いたままピクリとも動かないクリンストン。彼に、何か声をかけようとして、どう声をかけていいのか分からず何度も躊躇った。

 やっと出てきたのは、こんな言葉だった。


「……ごめんね。僕のことまで、助けてくれたから」


 もしかしたら、クリンストン一人を助けるだけだったらピットはここまで致命傷を負わずに済んだかもしれない。

 こんなつまらない自分を助けるために、クリンストンの大事な友達が死んでしまったのが酷く申し訳なかった。


 もし、命をあげられるのなら、自分の命をピットにあげたい。そうしたら、クリンストンはきっと喜ぶのに。そんな気持ちが、ついこんな言葉になって口をついて出てしまう。


「ごめん。僕が死ねば良かったのに」


 少しの間があって、クリンストンが顔をあげた。ついで、唸るように言う。


「くだらないこと言うなよ」


 彼から聞いたことのないような、低く、抑揚のない声だった。


「だって、僕が生き残ったって何の意味も無いのに。ピットが生きていた方が」


 まだそう言い続けるカロンの胸ぐらを、クリンストンが掴んだ。顔を近づけて、キッと鋭く睨んでくる。


「くだらないこと言うなって、言ってんだろ! 生きるのに、意味なんて要るわけない! 草だって、魚だって、鳥だって、魔獣だって、意味なんてなくても生きてるじゃないか! じゃあ、人間だって同じだろ!? ただ生きてるだけで、意味なんてもうそれだけで充分だろ!?」


 そこまで叫んだところで、クリンストンはハッとした顔をしてカロンから手を離すと俯いた。


「……だから。ピットの気持ちを無にしないで」


 カロンはただ、うなだれるしかなかった。


「……ごめん……」


 それから二人はひと言も発さずひたすら歩き続け、夜明け頃にたどり着いた集落で保護された。

 ピットの亡骸は、その集落の近くの林に埋めた。

 寒くないように、よく陽が当たりそうな場所を選んで埋めた。

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