第十章 ジズ

第110話 クリンストンのトラウマ


『王の森』の奥深く、王宮から森の中を小一時間ほどいった場所に魔生物保護園はある。

 森の中にぽっかりと現れるその敷地のほぼ中央に管理棟が建てられており、餌の貯蔵庫や作業員たちの休憩スペース、それに事務作業をするための執務室などが入っている。


 この魔生物保護園の実質的な園長であるクリンストンは、その日も執務室で日報をつけていた。慣れた手付きで現在保護している魔獣たちの様子や健康状況、餌の内容と食べた分量などを事細かに記録していく。


 そんなときだった。外から何やら騒がしい音が聞こえてきて、クリンストンは顔をあげる。

 馬の蹄の音だ。


 あれ? 今日はもう誰も来る予定なんてなかったけれど。

 何事かと思って管理棟の外に出てみると、目の前に荷馬車が一台とまっていた。

 御者席にいるのはカロン。荷台には、タケトの姿もある。


 馬が息を荒くさせている。よほど急いできたらしい。

 ただならぬものを感じて、クリンストンは荷馬車に歩み寄った。


「どうしたんっすか?」


 荷台を見ると、タケトの他に大きな箱のようなモノがのっていた。しかも、荷馬車の揺れで倒れないようにだろうか。箱はロープで荷台にしっかり固定されていた。


「ああ。クリンストン。ちょっと診てほしいのがいるんだ」


 その固定ロープをナイフで切りながら、タケトが言う。

 ここに持ち込んでくるということは、あの箱の中には彼らが保護してきた魔獣が入っているのだろう。


 三人でその箱を荷台から下ろす。かなり重かった。そして、なぜか木箱自体がとても熱くなっていた。

 木箱の蓋を開けると、もわっとした熱気が立ちあがる。


「なんっすか、これ」


 木箱の中には大きな壺のようなものが入っていた。壺は同じ素材の蓋がされ、さらに木箱と壺の間には固定のためか、それとも断熱のためか綿が詰められている。


みたいなもの、ありませんか」

「ああ、うん。あるっすよ」


 カロンに言われ、クリンストンは執務室の暖炉の上から鍋つかみを取ってくる。ここには人間用のキッチンはないので、夜勤のときなど煮炊きするのに暖炉を使う。その際、暖炉にかけた鍋やヤカンを火から降ろすために使うのだ。


 をカロンに手渡すと、彼はそれを手に嵌めて慎重に壺の蓋をあけた。

 焚き火に顔を近づけたときのような、ひりひりとした熱気が湧き上がる。刺すような熱さに皮膚が焼かれるようだった。


 壺の中は高温のあまり赤く発光していた。しかしよく見ると、中に赤いモノがいて一つ一つがトカゲの形をしている。

 その、希少な魔獣の姿にクリンストンは目が釘付けになった。


「……サラマンダー」


 見て、すぐにわかった。間違いなくサラマンダーだ。

 火山の火口に溜まる溶岩の中に住むという魔獣、サラマンダー。


 その変わった生息場所のために滅多にお目にかかれるものではない、とても珍しい魔獣だ。しかし、クリンストンは以前一度だけソレを見たことがあった。


 そのときの記憶が、鮮明に思い浮かぶ。

 そのときの気持ちも、一緒に蘇ってきた。


 思わずクリンストンは顔を上げて、目の前のカロンを見た。

 自分がどんな顔をしていたのか、それはわからないが、きっと情けない顔をしていたんだろう。


 カロンはクリンストンから視線を外すと、どこか申し訳なさそうに耳をペタッとさげ伏し目がちに壺の中のサラマンダーを見つめた。


「今回のタウロス山の噴火でサラマンダーを保護してきました。噴火が落ち着けば、またタウロス山に戻すつもりです。それまで、このサラマンダーたちを無事に保護しておきたいんです。それから」


 カロンは淡々とした口調で、壺の中の一角を指さす。


「そこに、いる一匹。それだけが海水をかぶって身体が冷えてしまったようなんです」

 サラマンダーたちは溶岩そのもののような鮮やかな赤黄色をしているが、ただ一匹。壺の隅にいる一匹だけは、他のモノとは違って鈍く黒っぽい色をしていた。

 明らかに体表温度が低い個体なのが見て取れる。


 ほかの個体はわしゃわしゃとお互いの身体の上に上ったり、長い舌を出して自分の顔を舐めたり活発に動いていた。


 なのに、その黒くなった個体だけはぎゅっと目を閉じたまま、ジッと縮こまってまったく動く気配がない。

 どくん、と心臓が大きく鼓動した。


『動かなくなっちゃった。ピット、動かなくなっちゃった』


 どんどん冷たくなっていく体温。かたくなった身体。最後は、粉々に砕け散って手の平から崩れ落ちた、はじめての友達。


 最近は忘れている事も多くなっていた。

 色あせたものになったはずだったかつての記憶がどんどん鮮明に思い出されて、目の前の情景と重なる。


「クリンストン。おい、クリンストンっ!」


 気がつくと、すぐ間近にカロンの顔があった。彼に、肩を掴まれ揺さぶられる。


「……クリンストン。大丈夫か?」


 彼の金色の瞳が、心配そうにこちらを見ていた。

 クリンストンは、なんとか頷く。


「う、うん。大丈夫……」


 いつのまにか喉がカラカラになっていた。

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