第108話 どうか無事で



 タウロス山の山頂でマグマドームが崩壊したことにより発生した火砕流は、瞬く間に山肌を駆け下りて島の半分を覆い尽くす。

 間一髪で人と生き物たちの乗り込みを終わらせた王立水軍の船は、洋上に避難していて無事だった。


 水軍船に牽かれたイカダの上で、シャンテは祈るように胸の前で両手を握りこみ、様変わりしたタウロス島を見つめていた。

 その色白の肌は蒼白と言えるほどに血の気を失い、双眸には哀しみと不安が色濃く浮かんでいた。


 火砕流が駆け抜けた島の半分は、灰色に塗り尽くされてしまっている。近年まれに見る大災害だった。

 木々も、港もみな火砕流により焼き尽くされ、今は積もった灰の下だ。


 そのシャンテの背を、隣で同じように島を見つめていたブリジッタが撫でる。

 何か声をかけてあげたいが、何もかける言葉がみつからない。


 依然として、タケトとカロンの無事は確認できていなかった。

 火砕流が発生したとき運良く島の反対側に避難できていればいいのだが、彼らはサラマンダー保護のために山頂へと向かっていたのだ。頂上で発生した火砕流が島の沿岸に達するまでほんの数分しかなかった。状況を考えれば、彼らの生存の可能性は限りなく低いように思えた。


 イカダの上は、人とクマやシカをはじめ様々な生き物たちで溢れている。しかし、どの動物たちも大人しくイカダの上でじっとしていた。傍まで人がひしめいているが、威嚇したり攻撃するような素振りは一切見せない。


 その間を縫って、一人の男がブリジッタたちのもとに近寄ってきた。

 この水軍船の船長、グラッパだ。


「本船はこれから、ここから一番近い島へ向かう。そこで一旦、動物たちを下ろそう」


 これだけ沢山のモノを乗せていれば、そう長い間航行できない。それが最善だろうとブリジッタも思った。

 しかし返事をしようとしたそのとき、それまで石化して固まったかのように島を見つめていたシャンテが反応した。

 シャンテは、震える声でグラッパに言い募る。


「もう少し。もう少しだけ、待ってください。まだ、戻っていない者がいるんです。お願いです。もう少しだけ」


 グラッパもそれは承知してはいたのだろう。困ったように眉を下げる。


「でもな。お嬢さん。あの惨状だ……待ったところで」

「お願いです。あと、少しで良いですから!」


 必死にそう懇願するシャンテを扱いかねて、グラッパは助けを求めるようにブリジッタに視線を向けてくる。

 グラッパの言いたいことは、よくわかる。

 少しでも早く、船に乗せた人々を安全な場所に運ぶ必要があった。水や食料も、一人でも多く載せるために大部分を島に置いてきてしまっていた。このままイカダでの滞在時間が長くなればなるほど、どんどんと体力が奪われてしまう。


 しかし、シャンテの気持ちもまた、痛いほどわかっていた。

 この船が島に残る最後の船だ。この船が島を離れれば、まだ今も噴火を続けているタウロス島から避難する手段がなくなってしまう。もし万が一タケトたちが生きていた場合、それは彼らを見捨てることを意味する。


「ワラワからも、お願いしますわ」


 ブリジッタの言葉に、グラッパはやれやれと頭を掻いた。


「俺だって待ってやりたいが、そうもいかないってのもわかってくれ。でも……そうだな。水平線に太陽が沈むまでなら待とう。星が見えた方が方角を取りやすいからな。でも、それが限度だ」

「ありがとうございます」


 シャンテは深く頭を下げる。ブリジッタもそれに続いた。

 それから、しばらく。船は島が見える位置で停泊していた。

 しかし、約束の時間が来ても島は以前として不気味に噴煙をあげつづけるだけで、何も変わりはなかった。


 もう一度グラッパがシャンテたちの元に戻ってきて、「出航する」とだけ伝える。

 もうこれ以上、引き留めることはシャンテにもブリジッタにもできなかった。

 水軍船がゆっくりと動き始める。


 その揺れに足を取られるようにシャンテがその場に座り込んだ。呆然と、何も映していないような曇った彼女の瞳。ブリジッタはいたたまれなくて、彼女の細い身体を抱きしめた。ブリジッタの小さな肩にシャンテが顔を押しつける。

 船は速度をあげ、島から離れていった。


 そのとき。

 水軍船の一番高いマストの上に作られた見張り台から、声が響いた。


「船を止めろ!」


 見張り台にいた水軍兵が双眼鏡を片手に、甲板に向かって叫んでいる。


「いたぞ! すぐに船を止めろ!」


 その声に、シャンテがハッと顔をあげた。

 すぐに島の方に視線を向ける。


 見張りが指さす方向。そちらに目を凝らすと、夕日に赤く染まった波間に何か小さなものが見えた。

 それはこちらに向かってくる、小舟だった。


 水軍船のあちこちから、歓声があがる。


 オールを漕いで近づいてくる小舟の上にいくつかの人影が見えた。

 一番前で大きく両手を振っている、その人物の姿を確認してシャンテははじかれたように立ちあがる。


「タケト!!!」


 その後ろにカロンの姿も見える。

 二人とも煤けてはいるが、元気そうだ。

 その二人の無事な姿を目に留めて、ブリジッタも安堵のため息を漏らした。


「ったく。心配させて。散々、文句言ってやらなきゃ、気が済みませんわ」


 そう憎まれ口を叩くものの、視界が滲むのをそっと指で拭った。




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