第107話 迫り来る火砕流


 大きな揺れがあってから、火砕流が発生するまではほんの一瞬だった。

 しかし、その一瞬をとてつもなく長いもののようにタケトは感じていた。


 膨らみ続け、滑るように迫ってくる火砕流。

 何もできず唖然としていたタケトの身体が、ふいにふわっと空中に浮く。

 カロンに抱え上げられていた。

 タケトが自分の足で走るよりもはるかに早く、周りの景色が過ぎ去っていく。


 全速力で山を駆け下りるカロンの肩に荷物のように抱え上げられたまま、タケトは後ろを振り返った。

 膨らむ火砕流は、すでに頂上付近をすっかり飲み込んでしまっていた。さらに壁のような巨大さでこちらに迫ってくる。


 カロンから遅れて、後ろでは密猟者の男たちも必死な形相で走っていた。しかし、きっと突然のことに頭がパニックになっているのだろう。一人はサラマンダー捕獲用の壺を担いでいる。あんなもの、置いてくればいいのに。


 それをいうなら、カロンだってそうだ。自分を置いて逃げれば、もっと早く走って逃げられるだろうに。

 そんなことをぼんやり考えていたタケトの頭を、ぽかぽかと叩くモノがある。


「ご主人! ご主人!」


 トン吉だ。


「まずいです。あと少しであのでっかい噴煙の塊に追いつかれてしまうです」

「それは、わかってるけど」

「ご主人、逃げるのは無理であります。こっちの方がずっと遅いであります!」


 再びポカポカ頭を叩かれた。いや、これは蹴られているな。


「いてて」

「だから! ここで一か八か、あれを避けるであります!!!」

「え……」


 そのあとトン吉が告げた言葉に、タケトは目を丸くした。


「そんなことって、できるのか……」

「できるかどうかわからないですが、やってみるしかないであります! できなかったら、全員死ぬですから!」

「……そうだな」


 タケトの目にしっかりとした光が戻る。

 どうせ追いつかれるなら、一か八かやってみる方に賭けるしかない。


「カロン! 下ろしてくれ! 逃げるのは無理だ!」


 そう言うと、タケトは両足でカロンの背中を蹴った。咄嗟にカロンが手を放した隙にその背から離れると、


「よっ、と」


 タケトは後ろの地面に着地した。勢いで転びそうになったが、なんとか体勢を保つ。


「何をっ!」


 驚いたカロンが足を止めて振り返った。そのカロンに口だけで苦笑して見せる。


「逃げるのは無理だ。じゃあ、やってみるしかないじゃん」


 もう火砕流はあと数十メートル後ろまで迫っていた。灰色の壁が天まで覆い尽くしているかのように巨大に見える。

 タケトは、こちらに向かって走ってきている密猟者たちに声を張り上げた。


「急げ! 俺の周りに集まってくれ! カロンもできるだけ近くに来て」


 そして、精霊銃のシリンダーを横に出して中の弾を確認する。


(よし。一つも空になってない。まだ今日は一回も使ってないからな)


「何の魔石か覚えてないけど、それでもいいか?」


 タケトは銃口を迫り来る火砕流に向けた。その腕の上に、ぴょんとトン吉が乗る。


「選別している暇はないであります。いいですから、精霊がこの場に留まることをイメージして全弾放ってください!」


 そう言うと、トン吉の姿がふっとかき消えた。精霊銃の中に戻ったのだ。


「了解」


 銃の中に居るトン吉にそう応えると、タケトは緊張のあまり唇を嘗める。

 密猟者の男たちは今にも火砕流に飲まれそうだ。それでも、自分にだいぶ近づいた。これ以上はもう待てない。


「行くぞっ!!!」


 タケトは火砕流に向けて精霊銃の引き金を引いた。

 反動とともに何かの精霊が銃口から放たれる。

 何の精霊だったのか、確認している余裕は無い。


 タケトは、トン吉に言われたように『この場に精霊が留まる』イメージを浮べながら、次々に引き金を引いていて全弾を撃ち尽くした。


 放たれた精霊は一旦前方に放たれるが、タケトの指示通りすぐに弧を描き戻ってくる。そして、タケトを中心として直径五メートルほどの範囲で高速の円を描くように渦を巻いた。


 つむじ風の真っ只中にいるようだ。

 立っているのも難しいほどの激しい風に身体を煽られる。


 熱さと冷たさが一緒くたに襲ってきた。普段は精霊の気配など感じ取れないタケトでも、このときばかりは圧倒されそうなほどの濃く強い精霊の気配で肌がチリチリとした。


 これはおそらく、トン吉が放たれた全ての精霊を混ぜ、極限までその力を高めているからだろう。


「くっ……」


 細かな砂塵や小石が舞い上がり、目を開けていられなくてタケトは目を細めた。

 そのとき、急に辺りが暗くなる。大きな灰色の津波のようなモノが周囲を覆い尽くした。


 ついに、火砕流に飲み込まれたのだ。

 熱風が肌を焼く。

 酷い風切り音で、他の音は何も聞こえない。カロンや密猟者たちは無事なんだろうか。確認したいが、足を踏ん張っているこの場から動くこともできなかった。

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