第97話 水軍船
「うっわー。水、綺麗っー」
思わずはしゃいだ声をあげて、タケトは
コバルトブルーの水面を覗き込むと、水は限りなく澄んでいて底の方までよく見わたせた。フィリシアの大きな港の中だというのに、桟橋の下を色とりどりな小魚の群れが悠々と行き交っている。
「タケト。落ちちゃうよ?」
シャンテも隣で柵から身を乗り出し、タケトと同じように海を覗き込んだ。
二人の顔が水面に映り込んでいたが、大きな魚がぴしゃりと跳ねると水面が乱れて消えてしまった。
「だって、こんなに水、綺麗なんだよ!? 見てるだけで、なんかうきうきしてくんじゃん?」
タケトは桟橋を遅れて歩いてきたカロンとブリジッタに同意を求める目をむけたが、二人から帰ってきたのは「何言ってんだ? お前」という冷めた視線だけだった。
「海を初めて見る人はその広さに驚いたり、まれに怖がったりする人はいますが。桟橋の下を見て喜んでいる人は初めてみました。晴れた日に水が澄んで、底までよく見えるのはさほど珍しい現象ではないと思いますが」
珍しい物を見るような目をしてくるカロンに、タケトはむすっと返す。
「どうせ。俺は変わってますよ」
そんなタケトを、シャンテはクスクス笑って楽しそうに眺めていた。
シャンテの笑顔で、タケトもすぐに機嫌を直す。
しかし心の中では、ちょっぴり寂しい気もしていた。カロンらに言ったところで共感はしてもらえないだろう。タケトがかつて住んでいた実家から電車でいける距離の海は透明度なんてないに等しかった。それは単純に地質的なせいもあるが、生活排水や工業排水で汚れていたためでもある。そんなこともあって、澄んだ池や海を見ると、なんだかワクワクと心沸き立ってしまうのだ。
大学生のころペットショップのバイトで溜めたなけなしの金をもって、バックパッカーとして他の国をあちこち歩き回ったときも、綺麗な水辺に立ち寄るときはいつもテンションあがってたっけな。
この世界の人たちには、どうか、いまある自然をそのまま守って欲しい。そんなことを密かに願ったりもする。壊すのは簡単だ。でも、なくしてしまったあとでは、取り戻すのはとても難しく、とてつもない努力を必要とするのだから。
いつまでも眺めていたかったけれど、急ぎの任務でこの港に来たのだからぼんやり見続けているわけにもいかない。
先に行ってしまったカロンたちを追って、タケトとシャンテも船に乗り込んだ。
タケトたちが乗るのは、ガレオン船と呼ばれる大きな帆船だ。外洋を渡り、海の向こうにある国々との要人派遣などにも使われている王宮所有の船。大砲もちゃんと備え付けてあるので、軍事的に利用されることもあるようだ。船の横にはでかでかと王宮の紋章が描かれていて、王宮所有であることをこれでもかと主張している。
さらに、この船には変わったものも取り付けられている。
船の後方に、数本の太いロープで繋がれた大きなイカダが牽引されていた。イカダは並べた
「これ、動けるのかな」
帆に受けた風の力で動く帆船で、こんな大きなイカダ引っ張ることはできるのか?
ちょっと不安にもなったが、桟橋に繋いであったロープを外すとすぐに船はゆっくりと港を離れて外洋へと向かいだした。見る見る、港が小さく遠くなっていく。
「さあ。船室に行きませんこと? 現地に着いたら忙しくなるでしょうから、それまでゆっくりしていましょうよ。ずっと甲板にいたら潮風で髪がべとべとになってしまいますわ」
そう言うと、ブリジッタはスタスタと船室の方へと歩いて行く。
「タケトは、まだここにいるの?」
シャンテに聞かれ、タケトは「うーん」と少し迷った。ずっと移動しっぱなしで休みたいのはやまやまだったが、まだしばらくここで海を眺めていたい気もする。
「うん、そうする。先に行ってて」
「そう。トンちゃんは、どうする?」
シャンテがタケトのカバンの蓋をあけると、トン吉は寝ぼけた顔で眩しそうに目をしょぼしょぼさせた。
「吾輩、泥あびしたいであります」
「悪いけどここには泥なんてないよ。今回の仕事が終わるまで、泥浴びはお預けな」
「なんで船には泥をのせないんでありますか?」
「そりゃ、人間は泥浴びしないからな。シャンテ、トン吉もあとで一緒につれてくよ」
そう伝えると、シャンテは「わかった」とブリジッタの後を追って船室へ行ってしまった。
トン吉がのそのそとカバンから出ようとしていたので、脇に手を入れて抱き上げる。
景色が見やすいように甲板の柵の上にのせてやろうかとも考えたが、海に落っこちたら困るとすぐに考え直して、自分の頭の上にトン吉をのせた。
「うわぁ。遠くまでよく見えるです。でも、どこ見てもぜーんぶ海でありますね」
「お前、鼻いいから潮の匂いきつくないのか?」
そうタケトに言われて、トン吉はクンクンと空気の匂いを嗅ぐ。
「たしかに強い匂いはするでありますが、嫌な臭いじゃないですよ。むしろ、ちょっと懐かしい感じもするです」
「へぇ。お前、前にも海に来たことあるんだ?」
タケトに問われ、トン吉ははたと小首を傾げた。
「覚えてはいないであります。でも、昔、どこかこんな匂いのする場所で、誰かと話していたような気もするであります」
「誰か?」
「よく知った友達だったような。でも……思い出そうとすると、かえって記憶が不鮮明になるようで……よくわからないです」
「そっか」
潮の香りがキッカケになって、なにか思い出せれば良かったのにな。そんなことを思っていたら、トン吉がタケトの肩へと下りてそこから甲板へと飛び降りた。
「ちょっと散歩してみたいです。あっちの方も、海ばっかでありますか?」
波に煽られゆっくりと傾く甲板の上を、ちっちゃな毛玉が転がるようにトン吉は船尾の方へと走って行ってしまう。
「あ、ちょっと待てよ」
慌ててタケトも追いかけた。トン吉は物珍しいものがあると、勝手に突っ走って行ってしまうことがある。追いかける身にもなってほしい。
しかしトン吉はタケトの制止も聞かず、船尾へと続く階段を駆け上って行ってしまった。タケトがトン吉を追ってその階段を上っていくと、トン吉は船尾の柵の上にちょこんとお座りして船の後方を眺めていた。
タケトが近づいていくと、トン吉は振り返って船の後方を前脚で指し示す。
「ご主人。あれはなんでありますか?」
このガレオン船の後方に、牽引されている大きなイカダが見える。
「あそこに保護する魔獣を乗せるんだってさ」
「あんなに大きな魔獣なんでありますか?」
こくんとタケトは頷く。
「レイキっていう、でーっかい亀の魔獣なんだって」
「レイキ、でありますか」
と、そこへ後ろから声をかける者があった。
「島民救出用の船は先に出ちまったよ。この船が一番最後だ。そろそろ速度をあげるぞ」
こちらに歩いてくるのは、髭面の中年男だった。ラフに着崩しているが、服装は王立水軍のものだ。しかも他の水軍兵たちよりも若干、装飾に煌びやかさが増している。
この船に乗り込むときにも挨拶したから顔は覚えている。この船の船長だ。たしか、グラッパとかいう名前だった。
グラッパ船長は、ひょいっと船尾の柵を乗り越えると、器用にロープを渡って後ろに牽引されているイカダの方へ行く。
そしてイカダにたどり着くと、その端まで行ってしゃがみ込んだ。イカダの側面に手を伸ばして何かの作業をしているようだった。
しばらくすると、そこから激しく水しぶきが上がりだす。
船長はぐるっとイカダの四方を回って同じ作業を繰り返したあと、再び船に戻ってきた。一部始終を眺めていたタケトは、船尾の柵を乗り越えていた船長に尋ねてみる。
「何やってたんですか?」
「ん? ああ、あのイカダの周りに水の精霊の魔石が埋め込んであるのさ。でかいやつな。それを作動させて、水流を起こさせたんだ。これで少しはスピードがあがるだろ」
船長がいうとおり、ぐんと船は速度を増したようだった。
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