第九章 レイキ&サラマンダー

第96話 元気で


 たけの低い草が覆い繁る原っぱを、ウルと荷馬車が併走していた。


「このあたり、だったっけ?」


 ウルの背に乗っていたタケトが、荷馬車に声をかける。


「そうですね。前にヒポグリフを保護したのは、ちょうどこの辺りだったと思います」


 御者台に乗るカロンが手綱を引いて馬車を止める。それにあわせてウルもスピードを落とし、ぐるっと荷馬車の周りを一周して脚をとめた。


「それと。タケトを拾ったのも、この辺りでしたわね」


 カロンの横に座っているブリジッタが、どこか懐かしそうな響きで言う。

 ここは、西部カーリタス保護区。タケトが海外出張の途中に飛行機から落っこちてたどり着いた、あの草原だ。

 気持ちのいい風が山から吹き付けてきて、草原の上にさざ波のような波紋を描きながらタケトたちの間を通り過ぎて行く。


「タケト、なんでこんなとこにいたんだろうね」


 いつものようにタケトの前に乗っているシャンテが、風に持っていかれそうになる帽子を手で押えて不思議そうに呟いた。


「さぁ。なんでだろうねぇ」


 自分でもよくわからない。飛行機から落っこちて、気がついたらここにいたんだから。なぜこの世界に来てしまったのか、理由も原因も今もって何一つわかっていなかった。考えられるのは、たまたま次元の隙間か何かに落っこちたのかなぐらいなものだ。


「シャンテたちが密猟者を追ってここに来ていなかったら、野垂れ死んでいたかもしれませんね」

「ぐっ……」


 カロンに痛いところを突っ込まれる。

 もしあの時、仕事でシャンテたちがこの草原に来ていなかったら。

 あの時、密猟者のターゲットになっていたヒポグリフがタケトの方に走ってこなかったら。

 果たして自分はどうなっていたんだろう。

 見ず知らずの場所で彷徨さまよって、そのまま誰とも出会うこともないまま、カロンの言うように行き倒れていたかもしれない。


 今回タケトたちがここに来たのは、怪我の治ったヒポグリフを自然に返すためだった。この保護区に来るのは数ヶ月ぶりだったが、保護区内に入ってすでに数時間が経っている。改めてここの広さを実感していた。


 こんな広大な場所で偶然に誰かと出会うなんて、奇跡的な確率なのは間違いない。もしかしたら、それでもう人生の運はすべて使い切ってしまったかも? それでも命が助かったうえに、こうして仲間と仕事に恵まれたんだから幸運の女神は大盤振る舞いだろう。伏せの姿勢を取ったウルの身体を滑って草原へと下りながら、タケトはそんなことを思う。


 一方、カロンは馬車の荷台に移ると、そこでぐったりと横になっているクリンストンを手で揺り動かした。


「ほら。着いたぞ」

「うぅ……やっと着いたっすか?」


 のっそりと起き上がるクリンストン。保護区に入ってからは整備されていない道なき道を走ってきたため、あまりの揺れにすっかり馬車酔いしてしまったようだ。

 顔面も蒼白……になっているんだろうけど、クリンストンはいつも獣化しているのでそこまでは分からない。


「……酔い止めの薬草飲んで来るの忘れたこと、さんっざん後悔したっす」


 シャンテもウルから下りると、すぐにクリンストンのところへと駆け寄る。


「クリンストン、大丈夫? お水、飲む?」

「そ、そうっすね……でも、今飲むとまた吐きそうっすから、少し落ちついてからにするっす」


 クリンストンはなんとか上体を起こすものの、荷台の縁にぐったりともたれかかったままうめいた。


 そんな仲間たちの様子を横目で眺めながら、タケトは荷馬車の後ろへと回る。荷馬車の後部には、車輪のついた檻が牽引されている。その檻の中では、ヒポグリフが大人しくしていた。

 タケトが初めてこの地に来たときに密猟者たちに追われていた、あのヒポグリフだ。


 ヒポグリフはタケトの姿を見ると、檻の中で脚をバタバタさせながら嬉しそうな声で「キュイ!」と鳴いた。良かった、こっちは馬車の揺れにやられることもなく、体調を崩したりはしていなさそうだ。

 カバンから鍵を取り出して、まだ介抱されているクリンストンに声をかける。


「もう開けちゃってもいい?」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっす。ヒポグリフの天敵になるような動物が、周りにいないか確認を……」

「それならもうやってますわよ」


 弱々しいクリンストンの声に、さっきから御者台の上に立って双眼鏡で辺りを見回していたブリジッタの声がかぶさる。


「見たところ、それらしき生き物の姿は見えませんわ。キツネや山猫の類いなら草の陰に潜んでいるかもしれませんけど、ヒポグリフには何の障害にもならないでしょう?」


 ブリジッタの言葉に、「そうだ」と言うようにヒポグリフが「キュイ!」と一声鋭く鳴いた。


「それと。あそこに何頭かヒポグリフのような群れが見えるのですけれど」

「あ、それなら俺も気付いてた。ちょっと前からずっと俺たちについてきてたよな」


 タケトは双眼鏡がないので、手で日差しを遮りながら遠くに目をすがめた。

 裸眼だと遠すぎてはっきりとは見えないけれど、黒い小さな点がいくつかちょこちょこ動いているのが見える。


「ちょ、ちょっと見せてください……」


 ふらふらと手を伸ばしてくるクリンストンに、ブリジッタは双眼鏡を渡す。

 クリンストンは荷台の縁にぐったりと凭れたまま、双眼鏡を目に当てた。


「どこだっけ……ええと、ええ、と……ああ、いたいた。間違いないっす。あれは、

ヒポグリフの群れっすね。このヒポグリフが元々いた群れなのかどうかまでは、わからないっすけど。匂いを嗅ぎつけて、様子を見に来たんじゃないっすかね」

「ここで離しちゃっても、問題ない?」


 タケトの質問に、クリンストンは頷いた。


「はい。ヒポグリフは縄張り意識もさほど強くなく温厚な魔獣なので、攻撃してくるということはないと思います。向こうが興味を持っているのなら、元の群れじゃなくても入れてくれる可能性もありますし。なければ勝手に離れていくでしょう。もし元いた群れだったとしたら、これ以上ない幸運っす」

「だってさ。じゃあ、お前とはここでお別れだな」


 檻の間から手を伸ばしてヒポグリフの顔を撫でると、ヒポグリフは「キュキュキュ」と甘えた声を出した。ひとしきり首を掻いてやってから、鍵を開けて檻の扉を開いた。


「ほら。もう出てもいいよ」


 タケトが檻の前からどいて場所をあけると、ヒポグリフは少し警戒しながらものっそりと外に出て来る。そのまましばらく止まって辺りの様子を眺めていたが、遠くから「キュイ!」と短く鋭い声が飛んできた。

 あの群れの方から聞こえた。


 呼ぶようなその声に、ヒポグリフは反応して遠くの群れをじっと見つめる。

 まだ少し警戒している様子だったが、檻から草原へとトンと降り立った。


「ちょっと最後のチェック、させてください」


 クリンストンはのろのろと荷台から出て来てヒポグリフに近寄ると、全身を目視で観察する。


「うん。健康そうっすね。長い馬車の旅にも、疲れた様子はないっす」


 馬車の長旅で一番疲れてそうなのはクリンストンの方だったが、そんな彼でさえ、これからヒポグリフを野生に返そうとするその目は生き生きと輝いていた。

 この仕事をしていて一番嬉しい瞬間は、保護した魔獣を元住んでいたところに返すときだとタケトも思う。


 もう一度、「キュイ!」と群れの方から声が飛んでくる。やっぱり、呼んでいるような声だ。

 その声に誘われてヒポグリフがトットットと草を蹴って群れの方に向かうものの、数歩行ったところで足を止めてこちらを振り向いた。


「じゃあな。今度はもう、捕まるなよ!」


 タケトがそう声をかけると、ヒポグリフはタタタッとタケトの方に戻ってきてしまう。そして、タケトの髪をガシガシとクチバシで甘噛みするように噛みはじめた。


「いててっ。お前が帰ってくるのは、こっちじゃないだろ?」

「キュイ!」


 甲高く元気な声。タケトに顔をすり寄せて甘えるような仕草をしたあと、再びタタタッと草原を走って去って行く。そして、途中で立ち止まっては振り返り、立ち止まっては振り返りしていたが、やがて群れの方へと走って行ってしまった。


「うん。ちゃんと群れに迎え入れられたみたいっすよ」


 荷馬車の荷台の上から双眼鏡で見ていたクリンストンがそう教えてくれた。もうタケトの目には、草原の地平すれすれに見える黒い粒のようにしか見えない。


「よかったね、ヒポちゃん」


 シャンテの言葉に、タケトも頷く。

 無事に元いた場所に戻れて、ほんとうに良かった。

 いくら魔生物保護園で大切に世話されているといっても、やっぱり本来の生息場所ほど彼らにとって住みよい場所はない。


 ヒポグリフたちが行ってしまった草原を眺めながらそんな感慨にふけっていたら、タケトたちの上を小さく黒い物がピュッと通り過ぎて行った。


「おや? 王都からの連絡ですかね?」


 カロンが左腕を掲げると、その小さな物は鋭角に飛ぶ角度を変えてカロンの方に飛んできた。そして、ひらりと下りてくるとカロンの腕に逆さまになってぶら下がる。

 カロンの伝令コウモリだった。

 カロンはコウモリが脚につけている小さな筒から中の手紙を取り出し目を通す。


「緊急の連絡ですの?」


 ブリジッタに聞かれるが、カロンは読み終わった手紙を黙って彼女に手渡した。そして顎に手を当てて少し考え込んだあと、クリンストンの名前を呼んだ。


「ん? 何っすか?」

「悪いけど、この荷馬車を王都まで戻しておいてもらえないかな」

「え、別に構わないっすけど」

「あと、シャンテ。急ぐ必要があるようなので、クリンストンにウルを王都まで連れ帰ってもらいたいんですが、構いませんか?」


 カロンのシャープな口調に、シャンテは目をぱちくりさせる。


「う、うん。クリンストンだったら、慣れてるから大丈夫だと思うけど……」

「カロンたちはどうするんっすか?」


 クリンストンに聞かれ、カロンは眼鏡をくいっと指の腹であげた。そしてぐるっとタケトたちを見渡す。


「官長からの指示で、僕たちはフィリシアの港街に直接向かうようにとのことです。そこで船を用意してくれているそうですので」

「船?」


 事態が掴めず聞き返したタケトにカロンは「はい」と続ける。


「タウロス島にあるタウロス山が噴火したようです。溶岩が島を覆い尽くしてしまう前に、そこに生息する希少魔獣、レイキを救出するのが次の任務だそうです」


 なんだか、また大変そうな仕事だった。




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