第95話 気ままに風に乗って
地面に置いたカバンの中で、トン吉は待ちくたびれた声をあげた。
「ご主人ー。もう行くでありますー。シャンテさんも待ってるでありますよー」
もう何度も、そう言われていることは分かっていたが、
「うん。もうちょっと」
タケトは生返事を返すばかりだった。
目の前に現れた巨大ケサランパサランのフワフワさに抗えず、抱きついてしまったのが最後。いつまでもこうやってずっと抱きついていたくて、離れられない。ダメだコレ、人間をダメにするやつだ。と思いつつも、フワフワ欲求に抵抗できない。
なんだこの、想像を絶するフワフワ感。
大量の羽毛の中にポスっと飛び込んだみたいに、柔らかく温かな感触に全身を包まれる。それでいて頼りなさはなく、身体をふわっと支えてくれた。
「俺もう、一生ここにいたい」
「何を、言ってるんで、ありますか!」
「痛てっ」
背中に痛みが走って振り向くと、カバンから出て来たトン吉が、ふんっと鼻を鳴らしていた。背中を蹴られたようだ。
「なんだよ。痛いなぁ」
「なんだよじゃ、ないであります! いつまでそうやってるですか」
「いつって……どれくらい経ってたっけ」
首を傾げるタケトに、トン吉は短い前脚を空に向ける。
「もうとっくにお昼は過ぎてしまったでありますよ。吾輩、お腹空いたです」
「そうだった。シャンテ、待たせっぱなしだ。お前にも小麦粉あげなきゃな」
そうタケトがまだモフモフしながらケサランパサランに言うと、
「みゅっ!」
ケサランパサランも小麦粉の存在を思い出したのか、元気に一声鳴いた。そして、しゅるしゅるしゅると見る見る縮んで小さくなる。
ピンポン玉くらいの大きさにまで小さくなると、タケトの手の平の上でもう一度「みゅっ」と鳴いた。早く行こうよ、と言っているようだ。
「わかってるよ。……あ、そういえば、こいつのこと忘れてた」
ケサランパサランが縮んだことで、下に敷かれていた盗人のことを思い出した。盗人の男は地面に突っ伏したまま動かなくなっている。急に心配になってきた。
「お、おい。大丈夫か?」
身体を揺らしてみると、男は「ううん……」と唸るものの、すぐに動かなくなる。よく耳を澄ませるとイビキをかいていた。どうやら、踏まれた気持ちよさに寝てしまったようだ。
「踏まれるのもいいかも……」
いいなぁ。俺もそうやって踏まれてみたいな。きっと、うっかり寝入っちゃうほど気持ちいいんだろうなと羨ましく思っていたら、ケサランパサランがしびれを切らしたのかタケトの頭の上にのぼって「みゅっみゅっ」と鳴きだした。地面ではトン吉もブツブツ文句を言っているし。
「ああ、もう……わかったよ」
タケトは盗人の男を強く揺さぶって起こすと、うんしょと立ちあがった。
「さて。シャンテんとこに帰るか」
盗人の男も連れて、さっき走ってきた道を後戻りって大通りに帰ると、シャンテは道の端の通行の邪魔にならない場所にいた。
「あ、タケト!」
ニコニコと手を振ってくれたので、こちらも手を振り返す。
あの女の子と母親もまだそこにいて、ケサランパサランに小麦粉をあげていた。
「みゅっ!」
タケトの頭の上にいたケサランパサランも、僕もほしいと言うようにフワンフワンとタケトの頭上で跳ねる。そして、そのまま空中を泳ぐクラゲのようにシャンテの方へ飛んで行ってしまった。
「おかえりー。ちゃんと君の分もとってあるから、大丈夫だよ」
シャンテが小袋から小麦粉を出して、シャンテの肩にとまったケサランパサランにさらさらとかける。
すると、ケサランパサランはフルフルと小さく身体を震わせて、嬉しそうに「みゅっ」と鳴いた。不思議なことにケサランパサランが震えるごとに、身体にかけられた小麦粉が消えていく。
口もなさそうなのにどうやって小麦粉を食べるんだろうと思っていたけれど、ああやって食すらしい。小麦粉の食べ方も可愛い。突然大きな口が現れて、がぶがぶ食べ出したらどうしようかと思ったけど、そんなことはなさそうだ。
ケサランパサランたちはひとしきり小麦粉を食べてお腹いっぱいになると、ゆらんゆらんと身体を揺らしだした。
そして一匹が、ふわんと風に乗るように浮かびあがる。そのまま風に流されるようにふわふわと漂うと、周りの建物を越えて高く昇りだした。
「あ。ケサラパサラが!」
女の子が手を伸ばすが、届かない。それを合図にしたかのように、他のケサランパサランたちも、みなフワフワと風に吹かれて舞い上がった。そして、最初に飛んで行った一匹を追うように、風に流されるまま飛んでいく。まるで、手から離れた風船のようにフワフワと、空高く昇っていく。
「もう、どこかに行っちゃうみたいだね。ケサランパサランたち」
シャンテが女の子にそう言うと、女の子はぎゅっと自分のワンピースを掴んで目に涙を貯めた。今にも泣きだしそうな彼女に何と言葉をかけて慰めていいのか戸惑うシャンテとタケト。
女の子の母親が、彼女の肩にそっと手を置いて優しく言う。
「会えて、よかったね。また、会えるといいね」
母親の言葉に、彼女はさらに目に大粒の涙を貯めつつも、大きく頷いた。
そしてケサランパサランたちが飛んで行った青空に向かって、手を挙げて大きく振る。
「ケサラパサラ-! また来てねー!」
もう姿は見えないけれど、あの「みゅー」という声が聞こえたような気がした。
(会えて、良かった……か)
人との出会いがそうであるように、魔獣との出会いもまた、ときに突然だ。
別れもまた
人間相手ならば、お互い生きている限り手紙なり言付けなりで再び連絡を取る手段はある。しかし、魔獣との別れにはそんな便利なものはない。別れれば最後、もう二度と会えないことの方が普通だ。
だからこそ。
(会えた奇跡に感謝したい、よな)
青空に消えていった白いフワフワの面影を思い浮かべながら、タケトはそんなことを考えていた。
「また、遊びに来てくれるよね」
涙声のまま女の子が、タケトとシャンテを見上げてそんなことを聞いてくる。タケトは口元を綻ばせながら、彼女の頭を撫でた。
「ああ。きっと、またね」
と、そこに横入ってくる声があった。
「ご主人。ご主人。パン、買いに行きましょうよ。お腹すいたですよ」
タケトのカバンから、ポスっと顔を出したトン吉だった。
そのトン吉を見て、女の子がパッと顔を輝かせる。
「この子も可愛い!!!」
とキラキラした目で言うので、タケトがトン吉をカバンから出して女の子に渡すと、女の子はトン吉を優しく抱きしめて頬っぺたですりすりした。すっかり彼女の機嫌も良くなったようで、良かった良かった。
当のトン吉は迷惑そうな顔をしてはいたけれど、大人しく抱かれていてくれた。あとでご褒美に、泥浴びできる河原に連れてってあげることにしようかな。
しかし、このときタケトはまだ気づいていなかった。
タンポポの綿毛くらいに小さくなったケサランパサランが一匹、タケトのカバンにくっついたままだったのだ。しかし、そのことに気づくのは、まだずっと先の話。
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