第93話 みんな好きだよね。モフモフしたものって。


「さて、これからどうする? まだ、しばらく焼き上がりそうにないけど」


 パン屋のご夫婦がこれから掃除をして窯に火を入れるとなると、奥さんが言っていたように早くても焼きあがるのは夕方ごろだろう。

 それまで市場で他の買い物を済ませてもいいし、一旦家に帰って雑事をこなした後、夕方にまたタケトが買いに来てもいいだろう。今日は勤務日ではないので、のんびりしていられる。


「うーん。野菜と干し肉も買いたいんだ。ちょっと、露店見てみてもいいかな」


 シャンテは大きくなったままのケサランパサランを、クッションでも抱くように抱きかかえたまま小首を傾げた。


「いいよ。ついでに、トン吉の餌入れにちょうどいいうつわがないかどうか、探してみようかな」


 元の世界だったら、ペットショップにでも行けばその手の手頃な皿はいくらでもあるし、なんなら百円ショップだって充分良いやつをみつけられる。だけど、この世界では、手頃な深さと大きさで、かつトン吉がガツガツ食べてもこぼしにくい安定した形の皿ってなかなかみつからない。


「吾輩の皿ですか? それなら、いっぱい入る大っきいのがいいであります。大っきいの」


 カバンの中で話を聞いていたのだろう。トン吉がタケトのカバンの蓋をポンと跳ね上げて顔を出すと、身を乗り出して「こーんな! こーんな! 大きいの!」と両前脚をあげた。


「そんだけデカイ皿だと、お前が料理みたいに見えるだろ。間違えてカロンに喰われるぞ。それに、そんなにデカイのは邪魔なので却下だ」


 そう言ってカバンの蓋を閉め、トン吉を中に押し込もうとしていたら、人通りの中から可愛らしい子どもの声が飛んできた。


「あ、 ママ!  あれ、ケサラパサラ? ねぇねぇ、ママ!」


 見ると、母親に手を引かれた四、五歳の女の子がこちらを指差して、舌ったらずな声で叫んでいた。


「あら、ほんとね。ママも久し振りに見たわ。子どもの頃以来かしら。大人になると、あまり見つけられなくなっちゃうのよね」


 母親は立ち止まると、穏やかに微笑む。思ってた以上に、ケサランパサランの知名度は高いようだ。それに、何か気になることも言っていた。大人になると見つけられなくなる!? 団体さん見つけちゃったし、なんなら懐かれてすらいる感もあるのだが、もしかしたらケサランパサランには大人と認識されていないのかもしれないと思ってタケトは少し切なくなる。


「わたし、ケサラパサラ初めて見た!」


 女の子は何度もケサラパサラと繰り返す。まだ上手く言えいのが、なんともあどけない。


「見つけようと思っても、見つかるものでもないものね」


 と親子でこちらを見ながら話しているので、シャンテは大きなケサランパサランを抱っこしたままその親子に近づいて、女の子の前で身を屈める。


「大人しいよ。抱っこしてみる?」


 ケサランパサランを差し出すと、女の子の顔がパッと輝いた。


「いいの? お姉ちゃん!」

「うん。いいよ。ケサランパサランも嫌がってないみたいだし」

「まぁ、良かったわね」


 女の子の母親もニコニコしている。


「うんっ」


 女の子は大きく頷くと、差し出されたケサランパサランに手を伸ばす。女の子の顔まで隠れてしまうほどの大きさだったが、ケサランパサラン自身はあまり体重がないので、ふんわりと女の子の腕の中に収まった。


「うわー!  軽くて、ふわっふわー!」


 女の子は歓声をあげながら、抱きしめる。抱っこされたケサランパサランは、一度瞬きしただけで、大人しく女の子の腕の中でじっとしていた。


「あんまり強くぎゅってしたらダメだよ?」


 タケトの言葉に女の子は素直に頷く。


「うん。わかってるもん」


 小さな女の子と、白いふわふわのケサランパサラン。なにこの、癒し空間。最強だろ、とか思っていたら、やはり周りの目を引いたらしく次々と周りに人が集まってきた。


「やあ、でっかいケサランパサランだなぁ」

「お嬢ちゃんのかい?  きっと、良いことあるね」

「私も少し触ってみてもいいかな」


 なんて、野次馬たちは口々に話しかけてくる。こういうときは、いつもは難しい顔をしている人だって、つい顔の緊張を緩めてしまうものだ。

 女の子も彼女の母親もシャンテも、みな嬉しそうににこにこしている。街角の人混みの中、そこだけほんわかとした空気が漂っているようだ。

 タケトはその光景を微笑ましく眺めていた。


 ただ、ここは流れから外れているとはいえ、多くの人で賑わう市場の通り。思いのほか多くの人がここに集まってしまったせいで、人の流れの邪魔になりつつあるのも確かだ。

 歩いている人が、タケトの背中にドンとぶつかってきた。


「こりゃ失礼」


 ぶつかった男が早口にそう言うと、肩を丸めて人混みの中を去って行く。


「あ、いえ、こっちこそすみません」


 人通りの邪魔になっていたのはこちらの方なので、タケトもそう返す。

 ちょっと場所を移るか、そろそろお開きにしてもらうか考えていたら、タケトの頭の上に乗っていた拳大ほどの大きさのケサランパサランが、急に「みゅっ!」と鳴きだした。


 それに合わせるように、他のケサランパサランたちも一斉に「みゅっみゅっ」と騒ぎ出す。女の子に抱っこされている大きなケサランパサランも「みゅー」と小さく唸っている。


「どうしたんだろう。ケサランパサランたち」


 彼らの変化に、シャンテも戸惑う。タケトも訳が分からず首を傾げていたら、タケトの下げていたカバンからポスッとトン吉が顔を出した。


「一匹、さらわれたから呼んでるんでありますよ。ご主人、気付きませんでしたか?」

「え?」


 驚くタケトに、トン吉はカバンから身を乗り出してクンクンと空気の匂いを嗅いだ。


「やっぱり、一匹の匂いがどんどん遠ざかるであります」


 慌ててタケトの肩や頭に乗っていたケサランパサランの数を数えると、確かに一匹足りない気がする。

 浚われたとすると、思い当たるのはさっきの通行人にぶつかられたとき。あのときなら、ぶつかられた衝撃で、肩などに乗っていたケサランパサランをひょいっと持って行かれていたとしても気付かなかったかもしれない。


「やられた……。トン吉、匂い、たどってくれよ」


 頼むタケトに、トン吉は嫌そうな顔をする。


「えー……吾輩、そいつら好きじゃないであります」


 顔についていた小麦粉のせいでたかられたことを、いまだに根に持っているようだ。


「頼むよ。お礼に、なんか美味うまいもの食べさせてあげるからさ」


 その言葉に、それまで不機嫌そうに垂れていたトン吉の耳が、ぴょこんとあがる。


「それ、本当でありますか!?」

「本当本当。露天で好きな食い物買ってやるよ」

「じゃあ、協力するでありますっ」


 食べ物につられて、トン吉は張り切って空気の匂いをクンクンしだした。


「離れていったケサランパサランの匂いは、通りを下町の方へ進んでいるであります」


 それだけ聞くと、タケトは残りのケサランパサランたちをシャンテの肩に移した。


「俺、ちょっと探しに行ってくる」

「うん。気をつけてね」


 シャンテの言葉に笑みを返すと、タケトはトン吉が教えてくれる方向に向けて走り出した。



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