第八章 ケサランパサラン
第90話 ひっつき虫?かと思ったら
うららかな春の朝。
タケトはシャンテとともに、ウルの散歩に来ていた。
ぽかぽかと気持ちの良い陽気だったが、森の中に一歩踏み入るとまだひんやりとした空気が肌に冷たい。ウルの上に乗っているとウルが走るたびに前から風が吹き付けてくるので、なおさらだ。
『王宮の森』は広く、ウルは気の向くままに小一時間走り続けていた。立ち止まるたびに、舌を出してハァハァと荒い息をしている。運動して暑いのだろう。
「ウル。ちょっと休憩しようか?」
シャンテが声をかけると、ウルは駆けていた足を緩めてタッタッと早歩きになる。
「このあたりって、水場あったっけ?」
タケトの言葉に、シャンテがウルの進行方向を指さした。
「うんとね。あっちの方にもう少し行けば、小さな川があったと思うの」
シャンテの言うとおり、五分ほど行ったところに二メートルくらいの幅の浅い川が現れた。ゴロゴロとした岩が水面に顔を出していて、澄んだ水が流れている。
ウルが小川で水を飲んでいる間、タケトとシャンテもウルから降りて休憩することにした。
タケトはウルの背からスルッと滑り降りると、両手を上にあげて伸びをする。
ウルの背中に乗ることにはだいぶ慣れてはきたけれど、
凝った足を伸ばすようにストレッチ。次は腰を伸ばそうかなと顔をあげたとき、ふとウルの尻尾に何か白いものがくっついているのが目についた。
「ん?」
ウルの毛色は黒だが、目の周りや足先など一部、白っぽいところもある。
しかし、タケトの記憶では尻尾の先は全部黒だったはずなのだ。
なのに今、川の水を飲みながらタケトの目の前で下げ気味にゆらんゆらん揺れているウルの尻尾は、先端が明らかに白くなっていた。
(
と一瞬思ったが、そんなはずはないとすぐにその考えを否定する。
犬やネコなどの哺乳動物も、歳を重ねればヒゲや毛に白いモノは混じる。人と同じように毛の色が抜けるのだ。
しかし、ウルはフェンリルとしてはまだ若い個体のはず。白毛が混じるわけがない。
それに、今朝いつものようにウルの上で目覚めたときも、裏庭でウルに乗ったときも、尻尾の先が白くなっていることにはまったく気付かなかった。ということは、森の中で白くなったのだろうか。
「なんか、くっつけてきたか?」
走っている間に、植物の種子や実でもくっつけてきたのかな。俗に言う、ひっつき虫というやつだ。
タケトはウルの後方に回ると、尻尾を覗き込む。見やすいようにしてくれたのか、たまたまなのか、ゆらんゆらんしていたウルの尻尾が目の前で止まった。
その白いものに指で触れると、ウルの毛よりもさらに柔らかく、ふんわりした感触だ。しかもよく見ると、白いものは大小様々な丸い形をしている。それらが尻尾の先にぽこぽこと密集してくっついていたから、尻尾の先全体が白くなったように見えたのだ。
綿ボコリのようにも、ウサギの尻尾のようにも見える。丸っこくてフワフワした白いモノ。
大きさは、一番小さいモノでピンポン玉くらい。大きなモノで、一抱えほどの大きさがあった。
「なんだこれ。綿毛みたいなやつか?」
タンポポの綿毛みたいなものを想像して、タケトはその一つを摘まみ取ろうと引っ張った。すると、白いモノたちが一斉にくるっと向きを変える。
向きを変えて現れたのは、二つずつの大きな目。揃った動きでパチパチと
「うぎゃっ、何これ!?」
思いがけない動物的な動きに、思わず変な声が出てしまった。その声に驚いて、シャンテも側にくる。
「タケト、どうしたの?」
「シャ、シャンテ……! これ……!」
あわあわしながら、ウルの尻尾にくっついた白いモノを指さすタケト。
しかしシャンテの反応は予想に反して、その白いモノを見た途端、きゃーと嬉しそうな声をあげた。
「ケサランパサランね! うわぁ、いつの間にくっついたんだろう!」
「え? ケサラン、パサラン……?」
あれ? それなら聞いたことあるぞ。たしか昔から日本にいる妖怪の一種じゃなかったっけ? と、タケトも目をぱちくりさせる。
子どものころタケトが持っていた本に載っていた。たしか、日本の妖怪の方は小さな綿毛みたいなやつで、おしろいを餌にするんじゃなかったっけ。なぜ、それがこの世界にいるのだろう。
それに、目の前のモノは日本のケサランパサランに似てはいるが、もっとこう、ぎゅっと身が詰まった感じだ。日本の昔話に出てくるケサランパサランとは少し違う。なんとも不思議な生き物だ。
タケトが思わずじーっと眺めて観察していたら、その横でシャンテがケサランパサランの一つを指でつっつく。するとその白いモノは、しがみついていたウルの尻尾から一斉にパッと離れた。
白いモノたちは目をパチパチ瞬きさせながら、ふわんふわんと空中を漂う。海にいるクラゲみたいな動きだ。そしてしばらくすると、またなんとなくウルの尻尾の先に集まってきて密集してくっついた。その場所が気に入っているんだろうか。
「ケサランパサランは魔獣の一種なんだけどね、雲みたいに気ままに流れて移っていく性質があるんだ。だから、捕まえようとしても、捕まえられないの。いつの間にか、逃げられちゃう」
ウルも特に嫌がる素振りも見せず、ちらっと尻尾の先を眺めはするものの、興味なさそうに尻尾をゆらんゆらんさせながら再び水を飲み始めた。ケサランパサランも尻尾と一緒にゆらんゆらん揺れている。
「へぇ……面白いな、こいつら」
恐る恐る指で触れると、今度は大人しく撫でられてくれた。白い毛はふわっふわで、触っているだけでも気持ちがいい。このケサランパサランを敷き詰めて寝たら幸せだろうな。なんてことを考えながら無心で撫でていたら、シャンテがクスッと笑ってこんなことを教えてくれた。
「ケサランパサランはね。そばにいる人に幸運をもたらす、とも言われてるんだよ。何か良いこと、あるかもね」
「良いこと、かぁ……」
そのとき、タケトが肩からかけていたカバンの中から、ポスっと小さな口先が覗いた。トン吉だ。
「もうお昼ご飯でありますか?」
寝ぼけているのか、そんなことを言って鼻をクンクンさせる。
「水と森の匂いしかしないであります」
「そりゃ、ここはまだ森の中だしな」
「なんだ。お昼ご飯じゃなかったでありますね」
そう残念そうに呟いてトン吉がまたカバンの中に戻ろうとしたとき、ウルの尻尾にくっついていたケサランパサランたちが急にそこから離れて、一斉にトン吉の顔へと殺到しだした。
「ぎゃっあ、なんでありますか、こいつら!?」
じたばた暴れるトン吉。集まってきたケサランパサランにタケトも驚く。どうやら、ケサランパサランたちはトン吉が気になるらしく離れようとしない。それどころか、カバンの中へと引っ込んだトン吉を追って、ケサランパサランたちまでもがカバンの中に無理矢理入ってこようとする。
「どうしたんだよ、お前ら」
手で引き剥がそうとするけれど、ケサランパサランはまるで上質の羽毛布団の中に手を突っ込んでいるような柔らかい感触がした。そのフサフサでフワフワで、とても軽い触り心地につい撫で撫でしていたら、再びカバンの中からトン吉の悲鳴が聞こえてきて我に返った。危ない危ない、気持ちよくて意識が別次元にいっていた。無心でモフモフしている場合じゃない。
一匹一匹、ケサランパサランを手で掴んで、ぽいっと空中に放る。ケサランパサランは地面に落ちることなく、空中で止まるとホワンホワンと泳いで行った。
最後の一匹をカバンから引き剥がしてカバンの中を覗くと、トン吉が目を回したようにクタッとのびていた。
「びっくりしたであります……」
ケサランパサランたちは、もうトン吉にはすっかり興味を失ったように、ほわんほわん空中を漂いながら自然とウルの尻尾の先に集まっていた。すっかり、あそこが定位置になっているようだ。
「なんだったんだろうな」
不思議に思っていると、シャンテが「うーん、たぶんなんだけど」と前置きをしてから教えてくれた。
「ケサランパサランたちは、小麦粉とか白い粉が大好きなんだって聞いたことあるよ。たぶん、朝ご飯に食べたパンの小麦粉がトンちゃんの顔のまわりについてて、それに群がったんじゃないかな」
たしかに、今朝食べたパンは小麦粉がまぶしてあるタイプのパンだったし、トン吉はいつものように顔を突っ込んで顔中を真っ白にしながら食べていたっけ。
「そっか……腹空いてんのかな、ケサランパサランたち」
タケトがそう言うと、ウルの尻尾の先のケサランパサランたちがまた一斉に
「……こいつら、人間の言葉わかってんのかな」
「どうかな? 願いを叶えてくれる、って言われているから、言葉がわかっていたとしてもおかしくないかもね」
と、シャンテ。たしかに、願いを叶えるにはまず相手の言葉がわからないと何を望んでいるかもわからないだろう。
「じゃあ、そろそろ昼飯時だし。パン屋にパン買いに行くついでに、こいつらにも小麦粉買ってわけてやるか」
その言葉に、ケサランパサランたちは喜んで沸き立つようにポヨンポヨンと飛び跳ねた。そして、そのままタケトの頭や肩に飛びのってきて、さらに飛び跳ねる。
「うわっ……!」
真綿の中に頭から突っ込んだみたいで気持ちが良いけど、目の前が真っ白一色で埋まって何も見えない。嬉しいけど、ちょっと困ってしまった。
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