第88話 真昼の月光


「タケト! 『妖精の石フェアリーストーン』が!」


 後方から、ブリジッタの緊迫した声がタケトの耳に届く。声のした方に目をむけて、タケトは驚いた。

 いつのまにかタケトたちの周りに広がっていた思いがけない光景に、タケトは言葉をなくす。


「……え???」


 ここは赤茶けた色の荒涼とした大地が広がる一帯だったはずだ。

 しかし、ほんの少しの間、自分がゴーレムに意識を向けていた間に景色が一変していた。


 赤茶けた荒地は、まるで背高く草が茂る草叢くさむらのど真ん中に迷い込んだかのように様変わり。辺り一面に緑の絨毯が広がっていた。


「え、なんだ、これ」


 茎は枝分かれし、葉を茂らせ、それぞれがぐんぐんと天へ向かう。そして、人の背丈ほどに伸びた後、その先端に拳ほどの大きさの蕾をつけた。


 さっと、辺りが明るくなる。空を見上げると、上空の雲が風に流されて青空が広がりつつあった。透き通るようなその青い空には真昼の月も浮かんでいる。


「昼の月光……」


 食堂でブリジッタが口ずさんだ歌。


『幾万の夜の月と、幾万の昼の月。光が妖精の石フェアリーストーンに降り注ぐ。生まれた妖精はもう戻らない』


 遊び歌が脳裏を掠める。

 その歌にあるように、真昼の月の光を浴びて沢山の蕾は桃色や黄色、黄緑色に膨らんだ。


「これって、もしかして、地中の妖精の石フェアリーストーンから出て来たのか!?」


 タケトはハッとしてゴーレムを見た。

 老ゴーレムの右拳からも、一筋の茎がすくっと伸びていた。


 老ゴーレムは握り込んでいた右拳を静かに開く。

 その手の中には、タケトの想像通り妖精の石フェアリーストーンが一粒あった。きっと、あれはチェペットが大事にしていた妖精の石フェアリーストーン


 その石がカリッと半分に割れると、割れ目から茎が伸びる。老ゴーレムの目の前で葉を茂らせ、すくすくと伸び上がり、その先端に一つの蕾をつけた。


 淡い桃色をした蕾。その蕾が、ハラッと花開く。

 花の中には、小さな女の子がうずくまっていた。

 女の子は背中に畳まれていた透明な羽根を開くと、一つ大きく羽ばたいた。


「フェアリー……フェアリーが生まれてる」


 シャンテの呟きが聞こえる。

 タケトもシャンテと目を合わせて頷く。

 その場の誰もが、幻想的な光景に心を奪われていた。


 地面から生えてきた無数の茎。その上にある蕾が次々と花開くと、中から小さな女の子や男の子が姿を現した。みなタケトの親指ほどの大きさで、透明な羽根をもっている。


 ゴーレムの手の平の上のフェアリーが、パタパタと透明な羽根を羽ばたかせた。フェアリーの身体は重力なんてないかのように、ふわりと浮かびあがる。


 他のフェアリーたちも一斉に飛び立ち、くるくると楽しそうに宙を舞いだした。彼らが飛んだ軌跡には、キラキラとした金色の鱗粉が後を引く。


 きゃっきゃと楽しそうにはしゃぎながら、フェアリーたちは花びらを手に取っては器用に身体に巻き付けてドレスのように纏った。


 ウルの周りもフェアリーたちが何人も遊びにきた。ウルは耳を触られて、うるさそうに耳をピコピコとさせる。

 トン吉はフェアリーに鼻を撫でられ、クシュンと盛大にくしゃみをしてウルの背の上を転がった。


 シャンテの周りにも、彼女の美しい銀髪を羨ましがるようにフェアリーたちが触りに来る。シャンテはくすぐったそうに笑った。


 タケトが手を伸ばすと、その指先から一人のフェアリーがくるくるとタケトの腕の周りを回って飛んできた。そして顔の前までくると、あどけなく笑ってタケトの鼻に鼻をくっつける。


 しばらくフェアリーたちは気ままに飛び回り遊んだあと、まるであらかじめ示し合わせていたように一斉に上空を目指して高く飛び上がりはじめた。


 高く高く、雲の切れ間から降りそそぐ陽の光の中を昇っていく。

 そして、空の頂きまで達すると、フェアリーたちは一つに集まった。それは金色の鱗粉の丸い塊のようにも見える。そして次の瞬間、フェアリーたちは放射状に散らばると、四方八方へと高速で飛び去っていった。


 その場にいた人間たちは、その生命力溢れる一連の営みをただただ呆気にとられて眺めているしかできなかった。

 おそらく、この世界の誰もいままで見たことがない光景。


「そっか……こうやって、フェアリーたちは一つのところで生まれて、世界のあちこちに散らばっていくんだ」


 タケトはフェアリーたちが飛び去った空を見上げていた。フェアリーたちが飛んでいった軌跡が、陽の光を受けていつまでもキラキラと金色に輝いていた。


 急に近くで、ドサドサと何かが落ちるような音がした。


「きゃっ! ゴーレムが!?」


 シャンテも驚いて声を上げる。

 いままで大地に仁王立ちしていたあの老ゴーレムが、足元から崩壊しはじめていたのだ。足が崩れ、次いで胴体も下から順に崩れていく。まだ片目は爛と赤く輝いていたが、それも鈍く明滅しはじめた。


 ついに寿命が尽きたのだ、とタケトは理解した。

 いや、とっくに寿命など迎えていたのだ。だから、チェペットが死んだあとしばらく、ずっと動かなくなっていた。本来ならそこで命を終えていた個体だったのだろう。


 その老ゴーレムをここまで動かし、こうやってこの地を守らせてきたもの。それは、きっと執念。


 『命令』を守るためのものか、『願い』を叶えるためのものか。それはわからない。けれど、このゴーレムは執念で生きながらえて、こうやってチェペットの願いを叶えたのだ。

 タケトたちには、崩れていく老ゴーレムをただ見守るしかできなかった。


 老ゴーレムは辛うじて形を保っていた右手をタケトに差し出してくる。その上にはまだ、妖精の石フェアリーストーンと、フェアリーが生まれた花が乗っている。


「ウル!」


 タケトはウルに頼んで老ゴーレムのすぐ間近まで寄ると、ゴーレムの右手から妖精の石フェアリーストーンの花を受け取った。


「チェペットさんの墓に報告するよ。フェアリーはちゃんと巣立った。お前は、チェペットさんの願いを聞き入れて、フェアリーたちを守った、って」


 ゴーレムの目の光が、一度強く光ると、しぼむように急速に光が消えていった。それと合わせて、ゴーレムの腕も肩も頭も、すべて砂となって崩れ落ちる。

 あとには、砂の山が残るだけだった。






 タケトは運河の片隅に作られたチェペットの墓の隣に穴を掘って、ゴーレムだった砂を埋めた。それはまるで、ゴーレムの墓のように見えた。

 そして、ゴーレムから受け取ったあの妖精の石フェアリーストーンをチェペットとゴーレムの墓の間に植える。


 妖精の石フェアリーストーンから生まれた花たちは、翌朝には全て枯れてしまったが、なぜかあの老ゴーレムから受け取った花だけは、それからしばらく枯れなかった。






 その後、王宮にも協力を仰いであの土地を念入りに調査したが、孵化した後の妖精の石フェアリーストーンしか見つからず、孵化前のもので完全な形のものは一つも発見できなかった。


おそらく、あの日、あの地にあった妖精の石フェアリーストーンはすべてが孵化してしまったのだろうと考えられた。


 それでも念のためにあの地を避けて、運河は作られることになった。

 もしかしたら、数百年後か数千年後。またあの地で妖精の石フェアリーストーンが生まれるかもしれないからだ。


 今も、運河のほとりでは、二つの墓が仲良く並んで運河を見守っている。これからも、ずっと。




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