第69話 アンタ、誰よ?


「という感じです」


 王都に戻ったタケトはさっそく魔獣密猟取締官事務所に赴き、ヴァルヴァラ官長に報告書を提出した。


「うむ。ご苦労だった。随分、大変だったみたいじゃないか」


 デスクで官長はタケトが渡した報告書をパラパラめくりながら、そうねぎらいの言葉をかけてくれた。予定の日数よりも大幅にオーバーして村に滞在することになってしまったため、その事情説明もかねて簡単な報告は事前に伝令こうもりに運んでもらってあった。


「はい。カロンとブリジッタにも同行してもらえばよかったって、思いました」


「それで、ウルの怪我はどうなんだ?」


 足の傷がある程度癒えるまで長距離の移動はできそうになかったので、それもあってケニスの村に予定より長く滞在することになったのだった。王都への帰路もウルには乗らず、タケトたちもウルの調子に合わせながら徒歩でゆっくり帰ってきたので、行きの数倍の時間がかかってしまった。


「クリンストンに調合してもらった薬でシャンテが看病しています。幸い、もうかなり傷は治ってきているので後遺症も残らずに済みそうです」


「そうか。落ち着いたらシャンテにも、こっちに顔出すように言ってくれ。急がなくていいから、と。それで……」


「なんだ。戻ってたんだね」


 官長がまだ何か言おうとしていたところで、突然、タケトの背後から声をかけてきた者があった。


 聞き覚えのない、ハリのある高い声。

 振り返ると、事務所の入り口からこちらに歩いてくる一人の女性がいた。


 長く緩やかにくねった金色の髪を雑に束ね、馬の尻尾の様になったソレを揺らしながら歩いてくる。

 男性もののような洗いざらしのシャツに、作業用のようなポケットの多いズボンを履いた、ラフな格好のメガネの二十代後半とおぼしき女性。女性にしては背が高く、タケトと同じくらいある。


 彼女は勝手知ったる様子でスタスタと歩いてくると、官長のデスクに無断で腰をかけると腕を組んだ。


「随分、大変だったみたいだね。ご苦労さま」


 デスクに座られても官長が何も言わないところをみると知り合いらしいが、タケトは初めて見る顔だった。


「どちらさんですか? この人」


 露骨に指さしながら聞くタケトに、官長はやれやれといった様子で教えてくれた。


「……お前も、少なくとも一度は会ってるはずだ」


「えええ!? 会ってないですって。こんな、個性と癖の強い人、いくら俺でも一度見たら忘れないですよ」


 本人を目の前につい失礼なことを口走っていたら、当の彼女はケラケラと笑い出した。


「僕は君のこと何度もこの王宮で見かけてるんだけどなぁ。君、よく面白いことしてるよね」


「え?」


「この前も、廊下でじっと壁見てたでしょ」


「……え? あ、ああ……」


 壁を見ていたつもりなんてなかったが、思い返してみると、もしかしたら壁を這うトカゲを見ていたのかもしれない。ここの王宮の壁にときどきクリスタルブルーのとても綺麗なトカゲが這っていることがあって、見かける度にじっと観察してしまうのだ。そういうときは時間を忘れてしまっていることがある。


「あと、こないだはそこの裏庭の片隅でもしゃがんでなんか見てたよね」


「えっと……」


 それはおそらく、地面にいたアリを見てたんじゃないかなと思う。アリっぽい形をしているのに、足が八本ある不思議な虫がいたのだ。あれはアリなのか蜘蛛なのかどっちなんだろう。いまだによくわからない。


 そんな二人のやりとりを聞いていた官長は、クツクツと楽しそうな声をあげて笑った。


「なんだ。結構出くわしてるじゃないか。タケト。この人はお前の雇い主だ。覚えておけ」


「え……? 雇い主?」


 きょとんと聞き返すタケト。


「お前の雇い主は、誰だ? 一応お前も、この王宮の役人の一人なんだから、雇っているのはこの王国だろ?」


「はい。それは、間違いありません」


 つまり公務員みたいなものだ。


「この人は、その長。つまり、うちの王だよ」


「………………はい?」


 官長の言葉が飲み込めないまま首を傾げるタケトに、その女性はメガネの奥で目を細めると右手をこちらに差し出してきた。


「ジェングレイ・フォンジーニアだ。よろしくね」


「対外的にはジェングレイ三世と呼ばれることが多いがな」


 と、これは官長。

 しかし、タケトはまだ頭の中が混乱してぐちゃぐちゃだった。


(え? 王って……こないだ式典で見た? え、えええ!?)


 あの王の間で王笏おうしゃくを持っていた女神のような姿と、いま目の前にいる粗雑な印象の彼女とが、どうやっても繋がってこない。


 どうしていいのかわからず戸惑っていたら、王は勝手にタケトの手をとってブンブンと降った。


「ジェンって呼んでくれていいよ」


 そう言って、王……ジェンは笑う。

 彼女の瞳は、曇ったモスグリーンの色をしていた。霧の漂う深い森を映しこんだような瞳だった。


「あ……えと……よろしくお願いします」


 戸惑いながらも頭を下げる。そういえば前に官長から王の話を聞いたときに、面倒そうな人っぽいから自分からは関わらないで置こうと決めていたのに、まさかあちらからやってくるとは思ってもみなかった。


「ああ、そうだ。タケト。君が送ってくれた一報な。あれのおかげで色々わかったよ。あの辺りの女神教会を洗ってみたんだが……、どうやらここのところ信徒が減って財政的に苦慮していたらしい。それで信徒獲得のために、女神と縁の深いフォレスト・キャットを捕まえて客寄せに使うつもりだったようだ」


「……え。もうそこまで調べられたんですか?」


 驚いた表情をするタケトに、ジェンは薄く笑う。


「首謀者は、君の報告でわかったからね。吐かせる方法はいくらでもある」


 その笑みの意味するところを想像して、タケトはゾッと背筋が泡立つような心地になる。


 政治的圧力をかけたのか、弱みを握って揺さぶりかけたのか、それとも拷問でもしたのか。どれかはわからないが、真っ当な方法で調査したわけではなさそうだということはタケトにも察せられた。


「女神教会と首謀者たちについてはそれ相応の処分を受けてもらうことになる。見せしめも兼ねてね。これでもう、フォレスト・キャットたちの平穏な生活を揺るがすものもいなくなるだろうよ」


「ありがとう……ございます。……あ、そうだ。あと一つ。報告書には書かなかったんですが……」


「ん?」


 タケトは女神教会の連中と一緒に居た皮鎧の男に帝国訛りがあった、とシャンテが言っていたことを二人に伝えた。

 それを聞いて、ジェンはフムと唸る。


「……シャンテ嬢が言うのなら、間違いないんだろうな。また、帝国絡みか……」


「また……っていうのは?」


 タケトの疑問に、今度は官長が口を開く。


「以前、砂クジラが暴走した事件があっただろう。あれも、その後の調査で例の装置を取り付けたのは帝国からの不法入国者だった可能性が高いことがわかっている。帝国とは一応国交がある。だから人や物の行き来は制限されているとはいえ無ではない。しかし、我が国で問題行動を起こすとなると別だ」


「国境の警備は念のため増強しておいた。帝国がきな臭いのは昔っからだけど、なぜこのところ我が国の大型魔獣の近辺でうろちょろしているのか。それが、なんとも気がかりだな」


 と、これはジェン。


 気がかりなことといえば、タケトにはもう一つあった。

 森で女神教会の連中に捕まったときに出て来た、子豚みたいな形をした奇妙なやつ。


(あいつは俺のこと、ご主人様って呼んでたんだよな……)


 契約だなんだと訳のわからないことも言っていた気がするが、正直いって、切羽詰まった状況だったのであまり詳しく覚えていない。


(あれはピンチの時に出てくる特別アイテムみたいな存在なのか……?)


 だとすると、普段は気にする必要はないのかもしれない。

 このときは、まだ、そう思っていた。

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