第68話 別れ


 あれからケニスはみるみる回復した。あの薬が効いているのは明らかだ。


 ウルはその翌日の昼過ぎに無事に歩いて村まで戻ってきた。血はだいぶ止まっていたが、まだ体重をかけると酷く痛むようだった。そのため、王都へ戻るにはウルの回復を待つ必要があった。ウルの怪我には、村長が人間用の薬草を使って治療にあたってくれる。その間、タケトは村長の家に滞在して報告書をまとめたり、ケニスをお見舞いするなどして過ごしていた。


 森へも毎日のように出て周囲を探索してみたが、あれ以降フォレスト・キャットを見かけることは一度もなかった。


 そして一週間ほどして。ケニスもすっかり回復し、ウルの傷もだいぶ良くなってきたのでそろそろ王都へ帰る準備をはじめる。


「ケニスたちにも挨拶しとくか」


「うんっ」


 シャンテと二人でケニスの家にいくと、両親があたたかく出迎えてくれた。

 ケニスの部屋へと通される。彼はベッドに座ったまま窓を開けて外を眺めていた。


「よぉ。ケニス。もう大丈夫そうだな」


「あ、タケトさん。シャンテさん」


「俺たち、明日、王都へ帰ることにしたよ。もうウルもだいぶ良くなったし」


「そう……なんですか」


 ケニスは顔を俯かせ、どこか言葉を濁す。

 そしてしばらく俯いたまま何か考えていたが、

「あの……もし……できれば……なん、ですが……」

と言葉を詰まらせながら言いにくそうに話し始めた。


「僕を……森へ、連れて行っていただけないでしょうか」


「森へ? え、いま?」


 こくんと頷くケニス。


「どうしても。フォレスト・キャットに礼を言いたいんです。でも、今の身体で一人では行けないし。父さんと一緒じゃフォレスト・キャットは出て来てくれないかもしれない。だからっ! お願いします!」


 そう言って頭を下げるケニス。


「いま行かなくても。もっと元気になって森に一人で行けるようになってからでもいいんじゃないのか?」


 タケトの言葉に、ケニスはぶんぶんと首を横に振った。


「いま行きたいんです。もう、遅いかもしれない。なんだか、……彼らはどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかと。そんな気がするんです」


 それはあり得るかもな、とタケトも内心思う。


 今回の騒ぎで人間たちに存在が目立ってしまった。となると、いつまでもこの村の近くにいるとは思えない。身の安全のためにもっと森の奥へ行ってしまう可能性は高い。


「……お前の両親が許可してくれるなら、俺は構わないけど」


「ありがとうございます」


 そんなわけで、タケトはケニスを連れて、彼がよくフォレスト・キャットと会っていたという場所まで行くことになった。とはいえケニスはまだ病み上がり。一人で歩かせるわけにはいかないので、ケニスの父親から背負子しょいこを借りてタケトが背負っていくことになった。


 両親も一緒について行きたがったが、あまり人間が多いとフォレスト・キャットは出てこないかもしれない。そのため、ケニスとタケト。それにシャンテの三人だけで行くことになった。


「あ、そこに降ろしてください。このあたりなんです。僕がよく彼らに会ってたの」


 言われた場所にケニスを降ろしながら、タケトは聞き返す。


「彼……ら? 一頭じゃなかったのか?」


 こくんと頷くケニス。


「親子のようでした。親と、それより小さな二頭がいつも一緒に居て」


 そして、ケニスはフォレスト・キャットを呼ぶ。口に手をあてて、声をあげた。といっても、病み上がりのせいもあってか健常な人間にとっては普通の声音くらいの声だった。


「僕、君が運んでくれた薬のおかげで、元気になったよ! だから、君たちにひと言、お礼が言いたかったんだ!」


 しかし、森は静かにそこにあるだけで、何も変わった気配はない。


 しばらく待ってみたが、フォレスト・キャットが出てくる様子はなかった。

 春先とはいえ森の中はヒンヤリとして冷たい。また容態が悪くなりはしないかと、内心タケトはヒヤヒヤしていた。十分、二十分と時間は過ぎていく。


 どれくらい、そうしていただろうか。


「……そろそろ、行こうか」


 かなり待ってから、タケトがそう声をかけた。

 これだけ待っても姿を現さないのだから、フォレスト・キャットはもうどこか違う土地に行ってしまったのか。それとも、もうケニスの前にすら姿を現すことはなくなってしまったのか。


 どちらにしろ、これ以上待ってもフォレスト・キャットに会える期待は薄そうだった。それは、ケニスもわかっていたのだろう。

 彼はタケトの顔を悲しそうな表情で見上げると、こくんと小さく頷く。


 そのときだった。


 タケトの背中が突然ドンと強い力で押される。何か巨大なものが背後からのし掛ってきた。


「うわっ!? え!? え!?」


 何が起こったのかわからないまま、タケトはぺしゃんと前に倒れた。


「きゃっ、タケト!!」


「大丈夫ですか!?」


 慌てた様子の、シャンテとケニスの声。


「いててて」


 起き上がろうとするものの、何か大きなものに背中を押しつけられて起き上がれない。

 な、何なんだ!? と混乱する頭で首を巡らせて振り返ると、毛むくじゃらの巨大な脚のようなものが見えた。でかい肉球もついている。

 ついで。




 ミャーーーー




 甘く可愛い声が脚の向こうから聞こえてきた。


 うんしょと背中にあるものを押しのけてなんとか這い出ると、ようやくタケトにも自分を地面に押しつけたものの正体が確認できた。


 長く、黄金色と黒の混じった豊かな毛並みの大きな獣。ちょこんとお座りして金色の瞳でタケトを見下ろしていたのは、人間の背丈ほどもある巨大な猫だった。


 といっても、タケトが先日乗せてもらったあのフォレスト・キャットとは違う。あれはウルほどもある巨体だったが、これはあれに比べるとずっと小柄だ。

 でも、毛並みは同じ。


「お前、フォレスト・キャットの子猫か!」




 ミャー




 返事をするように巨大な子猫は、一声鳴いた。


「わ、わっ……大きいねぇ!」


 シャンテのところにももう一匹の子猫が、尻尾をたてて身体にすりついている。シャンテがふわふわの毛を掻き分けて耳の後ろあたりを撫でてやると、ミャーと気持ちよさそうに鳴いた。さらにシャンテにすり寄ってきて細身のシャンテは倒れそうだ。


「フォレスト・キャット……来てくれたんだね!」


 ケニスの声に応えるように、彼の前にふわっと大きな毛玉が降り立った。あの巨大なフォレスト・キャットだ。その大きな口には、なにやらシカのようなものを咥えていた。

 フォレスト・キャットはケニスの前に咥えたものを置く。それは、仕留められたばかりのヘラジカだった。


「え……?」


 きょとんと目を丸くしているケニスに、タケトは笑いをかみ殺しながら助け船を出す。


「それ……きっと、お前への贈り物だよ。たぶん、それ喰って精をつけろとか、そういうことなんじゃないか?」


 そうだというように、フォレスト・キャットは「二ャー」と鳴いた。


 ケニスは真ん丸の目でヘラジカとフォレスト・キャットを交互に見ていたけれど、そのうち肩を小刻みに震わせはじめる。泣いているようだった。


「……うん。ありがとう。ありがとう……。僕……いっぱい、食べて。いっぱい……」


 ケニスは腕で涙を拭うと、フォレスト・キャットを見上げて笑った。


「僕。頑張って、元気になる! もっともっと丈夫になる。そしてまた、君たちに会いに行くから! 君たちがどこにいっても、会いに行くから!」


 フォレスト・キャットは、ゆらゆらと尻尾を揺らすだけで何も答えはしなかった。でも、そのケニスに注ぐ瞳はとても優しいもののようにタケトには思えた。


 大きな大きな猫たちはひとしきりケニスやタケトたちとじゃれ合ったあと、親猫の「ニャー」という声と共に、来たときと同じように突然その姿を消した。

 あとには、あの贈り物のヘラジカだけが残っていた。






 ヘラジカは大きすぎて、とてもじゃないがタケトたちだけでは持って帰れない。そのため、一旦ケニスを村へ連れ帰ったあと、村の男たちに手伝ってもらって村へと運んだ。


 一家族で食べきれる量ではなかったので、ヘラジカの肉は村人たちにも振る舞われた。ケニスの家のその日の夕飯はヘラジカの肉を使ったシチューだった。ケニスはそのシチューを美味しそうに頬張る。タケトにとっては初めて口にしたヘラジカの肉だったけれど、シチューでよく煮込まれたその肉は思いのほかあっさりとした味で食べやすい。シチューともよくあって、とても美味しかった。


 ヘラジカの毛皮はケニスの外套がいとうと帽子に、角は滋養強壮の薬にするんだそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る