第67話 攻撃
フォレスト・キャットの腹の底に響くような低いうなり声が、辺りを支配する。
女神教会の連中はおろおろと怯えきった視線で声の主を探すが、村の広場には人間以外の姿は見えない。あの巨大なフォレスト・キャットの姿はどこにもなかった。姿を消しているのだ。足音すら、猫特有の歩き方でほとんどさせてはいない。
バシュッ。
また、ローブが一人吹き飛んだ。
「うわああああああ」
緊張と恐怖に耐え切れず、タケトたちを取り囲んでいた連中の一人が腰を抜かしてしゃがみ込むと叫びだした。他の者も、みな恐怖に表情が引きつっている。足元に水溜りのようなものができている者もいた。失禁しているんだろうか。
「お前らは、俺がフォレスト・キャットを従えているって言ってたけど、それは誤解だ。俺がフォレスト・キャットに乗せてもらえたのは、アイツの意思だったから。アイツらはアイツらの理屈で動く。人間とは違う。俺ら人間はアイツらに比べると圧倒的に弱い存在にすぎなくて、アイツら魔獣が気まぐれでこちらに気持ちを寄せてくれたときだけ、一緒にいることを許されるんだ」
そして、タケトは銃口を向けたまま皮鎧に言う。司祭と呼ばれたハゲ男が吹き飛んでしまった今、一番話がわかりそうなのは剣の切っ先をこちらに向けたままジッと注意深く周りを観察しているこの男だと判断したからだ。
「フォレスト・キャットが望んでいることは、おそらくだけど、ケニスの治療だ。お前らが俺がケニスに薬を渡そうとするのを阻止しているから怒っているんだろう。ただ……いまはまだフォレスト・キャットは、相当手加減していることは間違いない」
あれだけの巨体だ。ヒグマの比じゃない攻撃力だろう。本来の力で殴られれば、人間の身体など原型を留めていられないに違いない。
しかし、一番最初に攻撃された司祭が吹っ飛んでいった茂み。あそこで、ちらちら動く人影が見える。おそらく、司祭は死んではいない。それどころか、受けたのは落下の衝撃くらいで、ほとんど負傷すらしていないようにも見える。
「猫は肉食動物。アイツが本気で攻撃しようと思えば、お前らを食い散らかすことだって造作ないはずなんだ。……今ならまだ、ケニスに薬を渡そうとする俺の邪魔をやめれば、アイツは許してくれるかもしれない。でも、これ以上ここで足止めしてたら。ましてお前らのせいでケニスがもし死んだりしたら。俺もお前らも命の保障はできない。どうする……?」
そういって、皮鎧に判断を促す。
皮鎧は黙ってタケトの話を聞いていた。少し逡巡するそぶりを見せたが、タケトに向けていた剣を鞘にしまう。
「……わかった。司祭様も、よろしいですね」
皮鎧は茂みから出てこない司祭に向かって声を張り上げるが、ハゲ男からの返答は返ってこない。応える気力すらなくなったのかもしれない。
舌打ちすると、皮鎧は他の女神教会の連中に倒れた者を確保して撤収する旨を告げる。それに異を唱える者は一人もいなかった。
「フォレスト・キャットも、いいよな?」
タケトの声に応えるモノはいなかったが、先ほどまで腹の底に響くようだったフーという唸り声がいつしか消えている。
女神教会の連中は動ける者が倒れたものを回収して馬に乗せると、バラバラと村から去って行った。最後に皮鎧がこちらに一礼すると、ハゲ男を肩に担いで馬車に乗り込み彼らも村から出て行く。
それを見届けると、タケトはカバンからナイフを取り出してシャンテの腕を縛る縄を切ってやった。猿ぐつわも外してやると、すぐにケニスの家に走って向かう。
ケニスの家のドア口には、両親と村長が心配げな表情を浮べて立っていた。
「すみません。手間取りました」
そう言うと、ティッタルトの街で受け取った薬をカバンから取り出して村長の手に渡す。
村長は薬の瓶を手にして小さく頷いた。
「間違いない、この薬だ。それより、大丈夫……なのか? あいつらは」
きっと彼らも、女神教会の連中が起こした騒ぎを遠目に見ていたのだろう。
「すみません。俺たち、何もできなくて」
申し訳なさそうにケニスの父親が言うが、タケトは首を横に振った。
「気にしないでください。ああいうのを排除するのも、俺らの仕事なんで。ただ、今は外に出ないでください。フォレスト・キャットが、まだ近くにいる。あなたたちに危害を加えたりはしない、とは思いますが……念のため」
村長はタケトから受け取った薬を持って早速、ケニスの部屋へと向かった。
ケニスは眠っているようだったがひどく呼吸が荒い。額には沢山の汗が浮かんでいた。
村長は注射器を取り出すと、ケニスの腕にあの薬を注射する。
「……我々にできることはここまでだ。あとは、森と大地の神々に託すしかない」
そう祈るように呟くと、ケニスの腕を毛布の中へそっと戻した。
「さあ。あなたも相当お疲れでしょう。家で妻が温かい朝ごはんを用意して待っています。ゆっくり休むといい。本当に、遠いところをどうもありがとうございました」
村長のその言葉にあわせて、ケニスの両親もタケトに深く頭を下げた。
「いえ……そんな……」
こういうとき何て言葉を返していいのかわからなくて、ついおろおろしてしまう。スマートに「どういたしまして」なんて返せればいいんだろうけど、どこか気恥ずかしい。
とはいえ、気が張っているためか眠気は全然なかったが、疲れていることは確かだった。ついでにお腹も空いている。
村長の言葉に甘えて、少し休ませてもらおう。そう思って、タケトとシャンテはケニスの家をあとにした。
しかし、村長の家への道すがら、ふとタケトはあることを思いついて足を止めた。
「そうだ。先に村長さんの家で休んでて」
「どうしたの?」
「ちょっと、気になることがあって。すぐ済むから」
シャンテは不思議そうな表情をしていたが、少し迷ったあと頷いた。
「うん。わかった。……そうだ。私も少し気になることがあったの。あのね……」
「ん?」
どこか言いにくそうにしながらも、シャンテは言葉を続ける。
「あのね……さっきの人たち。皮鎧を着た身体の大きな人、いたでしょ?」
「ああ……」
タケトに剣をつきつけてきた男を思い出す。皮鎧をつけていたのは、あの男だけだった。
「あの人ね。ちょっと発音というか、イントネーションが他の人と違ってたの、気付いてた?」
「え? あ、そうなんだ? いや……そこまでは」
カロンに飲まされた魔石のおかげで言葉に不自由はないが、イントネーションの違いがわかるほどタケトはまだここの言葉に慣れているわけでもなかった。
「あの発音……たぶん、だけど。私が生まれた地方の発音に似ている気がしたの」
「それって……」
シャンテはコクンと頷く。
「たぶん。あの人、帝国領から来た人だと思う」
バージナム帝国。現在は国境の一部が、このジーニア王国と接している隣国だ。
以前、ヴァルヴァラ官長がシャンテは国境付近で倒れていたのを保護されたと言っていた。その当時、シャンテは帝国訛りの喋りをしていた、とも。
「そっか……帝国、か……」
そうだとしたら、これは何を意味するのだろう。王国の領土内で女神教会のヤツらと一緒に、何をしていた……? なぜ、フォレスト・キャットをあそこまで必死になって手に入れようとしていた?
(……なんか、やばい感じだな)
正体はわからないが、ジリジリと胸を焼くようなそんな不吉な予感が重くのしかかってくるようだった。
「そのことも含めて、王宮に報告しておこう。あとで一報を入れておくよ」
カロンから連絡用にと預かっていた伝令コウモリに
ちなみに伝令コウモリは昼行性なので、今頃、村長から借りた部屋にかけてあるシャンテのポシェットの中で寝ているはず。日ものぼったので、そろそろ起きているかもしれない。
シャンテの後ろ姿が村長の家の方へ消えてから、タケトはキョロキョロと周囲をうかがいながら声をあげる。
「フォレスト・キャット!」
もしかしたら、まだこの辺りにいるかもしれないと思ったのだ。
「ケニスは生きてる。薬は間に合った。お前のおかげだ。ありがとう」
返事は帰ってこない。どこかで聞いていたらいいな、そう思いながらタケトも村長の家へ向かおうとした、そのとき。
ニャーーーーーーウ
タケトの背後。上の方から、猫の声が聞こえてきて、タケトはハッと振り返った。
朝焼けの空に、ソイツはいた。
ケニスの家の屋根の上に、家そのものよりも大きなフォレスト・キャットの巨体が乗っていた。
ニャーーーーーーウ
もう一度、フォレスト・キャットが鳴く。
もしかしたら、ケニスのことが心配でずっと姿を消したままそこにいたのかもしれない。
美しく。気品を湛えた。大きな大きな猫。
「フォレスト・キャット……」
タケトはその雄姿を見上げて、ツンと鼻の奥が痛くなった。泣きそうだったのかもしれない。
女神教会の連中に言った言葉を思い出す。
魔獣は彼らの意思でこちらに気持ちを寄せてくれたときだけ、一緒にいることを許される存在だ、と。
それは、タケトがウルを含め多くの魔獣たちと接する中で感じてきたことだった。
彼らは気まぐれで、人間の理屈が通用しない相手。
だからこそ。こうやって、意思が通じたように感じる瞬間は、何ものにも代えがたく貴重で……嬉しい。
「そうだ。怪我……!」
フォレスト・キャットが矢傷を負った後ろ脚に目をやるが、もう血は止まったようだったのでホッとする。
フォレスト・キャットはついっとタケトから視線を外すと、ケニスの家の屋根を足場にしてゆっくりと虚空へ前脚を伸ばした。そのままジャンプすると、地面に着地する前にあの大きな姿がかき消えた。あとには、朝焼けの空だけが残っていた。
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