第65話 本性
「……豚?」
タケトは突然あらわれた、そのモフモフしたやつに目を丸くする。ソイツは、銃を構えたタケトの腕の上にペタンとお尻をつけてお座りし、つぶらな黒い瞳でこちらを見ていた。子豚のようなウリ坊のような、そんなやつ。ちなみにウリ坊とはいのししの子どものことだ。
ただ、頭から背中にかけてのタテガミ、腰のあたりに生えた小さな羽、そして何より人語で話しかけてくるあたりで普通の動物でないことはすぐにわかった。明らかに、何らかの魔獣の類いだろう。
「お前……どっから出て来たんだ?」
「
子豚風なソイツは、口を開けてニタッと笑った。
「でも、吾輩……出て来たのは本当に、久しぶりで……なんだか、とっても、疲れたで……あり……ます」
そう言うと、途端にウリ坊はつぶらな目をトロトロさせだして、クタッと仰向けに倒れた。かと思うと、その姿が一瞬にしてかき消える。
「え? あれ? どこ行った? ……わ、わわ」
キョロキョロと子豚を探していると、フォレスト・キャットがやおら立ちあがって走り出した。身体を拘束していた網が焼き飛んで、自由になったのだ。タケトも振り落とされないようにしがみつく。女神教会の連中もいま起こった現象に呆気にとられていたようだったから逃げるなら今のうちだ。
(なんだったんだ、さっきの子豚……ずっといたって、どこに……? それに……)
先程の攻撃はなんだったのだろう。子豚は精霊を混ぜたといっていた。そんなことできるものなのだろうか。精霊に関することは王立図書館で本を借りて読んだりもしてみたが、そんな話ひと言だって書いてはいなかった。
(なんなんだよ、ほんとに……)
何はともあれ、ピンチは脱出することができた。
タケトはフォレスト・キャットに掴まりながら、後ろを振り返る。木々に覆われて視界は悪いが、背後にチラチラと動く影が木々の合間から見え隠れしている。
(くそっ、もう追いついてきやがった)
この先に罠とかないといいなと思うが、ないとも言い切れない。
「フォレスト・キャット。とにかくあいつらをまこう。村が見えたらそこまででいいから、俺を降ろしてくれ。お前はすぐに隠れろ」
声が届いたかどうかはわからなかったが、フォレスト・キャットは横倒しになっていた古い大木をぴょんと軽々飛び越えると、走る軌道を変えた。そして、そのまま山際へと向かっていく。木々の合間から、切り立った岸壁が見えてきた。
この辺りの景色には見覚えがある。村は確かあの岸壁の上にあるはず。村へと続く村道は崖を迂回してなだらかな斜面に沿って作られていたはずだ。
しかし、フォレスト・キャットは村道には戻らず、崖の直前でぐっとスピードをあげた。
(げ……まさか……)
フォレスト・キャットの行動を予測して、タケトは両手でギュッと背中にしがみついた。その次の瞬間、たんっとフォレスト・キャットが強く地面を蹴った。その巨体が大きく飛び上がる。急激に上昇する感覚にタケトは怖くて目を閉じた。
途中何度か衝撃があって、ふいに上昇する感覚が消える。ヒュウと冷たい風が頬を撫でていった。目を開くと。
「うわぁ……」
タケトたちは、崖の上にいた。延々と遠くまで広大な森が足下に広がっているのが見えた。
フォレスト・キャットが崖を駆け上ったのだ。こういう芸当は狼や犬に近いフェンリルのウルにはできない。猫ならではの所作だった。
落ちないようにフォレスト・キャットに掴まりながらおそるおそる下を覗くと、崖の下に数頭の馬とそれに乗る人間たちが見えた。しばらくぐるぐると同じ場所を回っていたが、崖を登ることはできないと諦めたのだろう。一斉に崖を迂回して走り去っていく。
これだけ距離が離れれば、もう追ってはこれないだろう。タケトは、ほっと胸をなで下ろした。
「行こう。ケニスの村はもうすぐだ」
フォレスト・キャットは村に向かって真っ直ぐ走りはじめる。
しかし、すぐにタケトはフォレスト・キャットの走り方に違和感を覚えた。
どこかぎこちない。
フォレスト・キャットの身体を見回す。
(ああ、やっぱり……)
それを見つけて、タケトは顔をしかめた。フォレストキャットの後ろ脚に矢が一本突き刺さっていた。タケトは振り落とされないように気をつけながら、その矢に手を伸ばす。
(あと、ちょっと……)
手を伸ばすがギリギリのところで届かない。
足でフォレスト・キャットの背を挟んで両手を離すことで、どうにか矢に手が届いた。触れたと同時に、ぐっと掴んでその矢を抜く。
それとほぼ同じくして、タケトの視界が開けた。村に着いたのだ。
タケトは掴んでいた矢を投げ捨てる。フォレスト・キャットが速度を落とした、そのタイミングでタケトは滑り降りるようにフォレスト・キャットの背中から降りた。
タケトが地面に着地すると、すぐにフォレスト・キャットが大きくジャンプする。しかしその前脚が着地する前に、フォレスト・キャットの巨体はかき消えていた。姿を消したのだ。
「ありがとう!」
フォレスト・キャットとはここでお別れだ。
タケトは感謝の言葉を叫ぶと、村の中へと駆け出した。
ケニスの家は村の一番奥だ。すぐにそちらへ向かうが、村の中ほどまで来たときタケトはゆるゆると足を緩めた。
村の中央。ちょっとした広場になっているところに、寄り添うように立つ人影が二つあった。
それが誰なのか認識できる所まで近づいたとき、タケトは息を飲む。
そこにいたのは。
(シャンテ……!!!)
ケニスの看病をしていたはずのシャンテが、手を後ろにして立っていた。その口には
ハゲ男はシャンテの首にナイフを突き付けていた。
「それ以上、近づくな。この女がどうなってもいいのか?」
タケトは足を緩めて、立ち止まる。シャンテたちとの距離は三メートルほど。
ハゲ男に精霊銃の銃口を向けようと腕をあげたが、照準を合わせる前にその行動は疎外された。
どこから現れたのか。それまで身を隠していたのか。
背後に人の気配を感じ、振り向くより早くタケトの首元にも幅広の剣を突き付けられた。
タケトよりも背の高い、その男。横目で確認すると、顔までは見えなかったが皮鎧が見えた。あのハゲ男の護衛をしていた奴だろう。
ハゲ男が声をあげた。
「その銃をおろせ! 捨てろ! 王都のイヌめ!」
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