第58話 痕跡


 タケトはちょいちょいと手招きをすると、ケニスの両親を家の外へと連れ出して、ケニスに聞こえないように二人に話を聞くことにした。


「ケニス君が、ああ言う理由、なんか心当たりありますか?」


 ケニスの両親はお互いに目をあわせると、母親の方が口を開く。


 彼女の話によると、ケニスがフォレスト・キャットを見たと話しはじめた当初は、神の使いともいわれる伝説の魔獣が近くにいるかもしれないといって村人たちも好意的だったのだという。


しかし、その噂が村の外まで広がり、何人もの人が遠方からやってきてその話を聞きたがり、中には捕まえようと森の中に勝手に罠をはる輩まで出て来た。その罠によって村人が所有している家畜が怪我をする事態になると、村人の中にはケニスのことを疎ましく思い、厄介を持ち込まれたと罵声をあびせたり、嘘つきなどと悪い噂を言いふらすものも現れた。


 その頃から、ケニスはいままで以上に部屋に閉じこもりがちになり、次第にフォレスト・キャットのことも「見なかった」「全部、自分の作り話だ」と言うようになっていったのだという。


 そのことが小さな少年の心をどれだけ傷つけただろうと思うと、タケトはやるせない気持ちになってくる。こんな小さな村だ。彼に逃げ場など、この家の中以外になかっただろう。幸い、彼の両親は彼を心配して優しく見守っているようだったので、それだけが救いだった。


(この調査、無理なんじゃないかなぁ……)


 薄々そう感じ初めてはいたが、せっかく現地まできたのに何の報告もあげられないのは困る。せめてケニスの両親からフォレスト・キャットのことを聞こうと思い、何でもいいから話して欲しいと、頼むと今度は父親の方が朴訥な話し方でとつとつと話してくれた。


 身体の弱いケニスは元々、家に閉じこもりがちだったこと。しかし最近は、天気のいい温かい日などには木こりの仕事がてらケニスを連れて森にでかけていたこと。おそらく、そのときケニスはフォレスト・キャットを見ただろうこと。そしていつしか、一人で森に入っていくようにもなっていたが、どこへ行っていたのかは彼が話さない以上誰も知らないということ。


「じゃあ、そのケニス君を連れて行ったことのある地点を教えてください。ちょっと俺たちも見に行ってみます」


 まさか、その場所に今もフォレスト・キャットがいるとは思わないが、遭遇地点と思われる場所に行けばフォレスト・キャットが好む土壌や食べ物などがある程度予想がつけやすくなる。

 タケトたちは教えてもらった地点を地図に落とし込むと、礼をいってケニスの家をあとにした。






 その日は村長の家に泊めてもらい、翌日、さっそくウルに乗って森に入り、昨日地図に落とした地点を重点的に調べてみることにした。


 とん、とウルから降り立つと、つんと軽く鼻につく香りが風にのって漂ってきた。ウルは、どこかそわそわしている。フェンリルにとっては嫌な香りなのだろう。

 背の高い木々の下に葉の多い中程度の茂みが多くあり、身体の大きなウルでも紛れやすそうではある。


「なんだろうね、この香り」


 シャンテも匂いに気付いたようで、きょろきょろと辺りを見回す。

 タケトはガサゴソと木の葉を掻き分けながら、スンと鼻を鳴らした。


「たぶん、これじゃないかな」


 近くの木に巻き付いている葉の茂ったツタに手で触れる。その指を鼻に近づけると、同じツンとする強い匂いを感じた。マタタビとミントを合わせたような香り。たしかに、これは猫科の生き物が好きそうな香りかもしれない。


 日本では猫はマタタビが好きだとよく言われるが、西洋ではキャットニップ、別名イヌハッカと呼ばれるものが猫の好む香りの定番となっている。これは、その両方を併せたような香りだ。これなら、フォレスト・キャットが引き寄せられてくるのもわかる。好きな香りっていうだけで、食べたりはしないんだろうけど。


 そのツタをサンプルとして少し切り取ると、布に包んでカバンに入れておいた。

 その周辺をしばらく調べてみたが、爪を研いだあとや、糞、毛などは見つからなかった。


「やっぱクリンストン、連れてくるべきだったかな」


 タケトは頭を掻く。自分も多少は生き物の知識がある方だと思うが、やはり魔獣の生態については魔生物保護園のクリンストンには遠く及ばない。


「んー。いまは、頼んでも無理だったんじゃないかな」


「え? なんで? 別件の仕事?」


 タケトの言葉に、シャンテはコクンと頷く。


「クリンストンの奥さん、もうすぐ赤ちゃん産まれそうなんだって」


「……ええええ!? あいつって、既婚者だったの!?」


 いつも魔生物保護園でツナギを着て作業している、女っ気とか皆無そうなクリンストンのことを思い出して、タケトは心底驚いた。


「……あいつ、魔生物のことしか興味ないのかと思ってた。女性に興味あったんだな」


「タケト。それ、すっごく失礼なこと言ってると思うよ」


 腰に両手をあて、ぷっと膨れた顔をするシャンテ。


「ごめん、ごめん。つい……。うわー、なんか俺ショック。アイツだけは仲間だと思ってたのに」


 勝手にそう思っていただけなんだけど。でも、奥さんが産気づいてるなら、仕事どころじゃないよな。帝王切開すらなさそうなこの世界では、おそらく母子ともに無事に済む可能性は日本とは比べものにならないくらい低いだろう。自分だったら、心配で何も手につかなくなるに違いない。そんな予定、さらさらないけど。そんなことを考えていたら、シャンテがさらに衝撃的なことを口にした。


「クリンストンのとこ、上のお子さんもまだ小さいし、五人くらいいるから。そのお世話で大変なんじゃないかな」


「そんなに子だくさんなの!?」


 コクンとシャンテは頷く。


「奥さんとすごく仲良しさんなんだよ」


 人って、見かけによらないんだなぁ。なんだかクリンストンのことが急に遠い存在に思えてきた。これも、しごく勝手な気持ちなんだけど。


 そんなことを思っていたら、シャンテが「いいなぁ」とどこか夢見心地で呟いた。手を後ろに組んで、えへっと照れくさそうに笑う。


「私も、そんな風に旦那様といつまでも仲いい夫婦になれたらいいなぁ」


 その笑顔に、タケトの心は撃ち抜かれそうになる。ぴょこんと跳ね上がった鼓動は、ドキドキと胸の中で高鳴った。でも、それを感づかれたくなくて、タケトは慌てて視線を逸らすと、


「シャンテなら、きっとなれるよ」


 そう早口で返した。まだ十代後半の若いシャンテには、そんな理想の相手と出会うチャンスはこれからいくらでもあるだろう。それが自分であることを望まないわけではないけれど、それはあまりに望みが高すぎるだろうとも冷静な自分が心の中でささやく。わかってるよ。異性にとって自分がそう魅力あるタイプではないことは、自分でもよくわかってる。だから、


「きっと、いい旦那さん、みつかるって」


 シャンテのことを思ってそう返したのに、シャンテはなんだか不満そうに眉をきゅっと寄せてしまった。さっきまでの楽しげな様子が一転、彼女は急に押し黙ってしまう。


(まずいこと言ったのかな……。俺、なんて言えば良かったんだろう……うう……難しい……)


 なんとなく気まずい空気が流れる。どうすればよかったのか、何が最適解だったのかさっぱりわからない。けれどそのまま突っ立っているのは尚更気まずかったので、タケトはとりあえず調査作業を再開した。


 そのあとは作業に関係した会話以外は交わさないままお互い黙々と仕事に励げみ、いくつかのスポットを回ったり水場を調べたりしていたら、いつしか空が赤くなりはじめていた。


 木々の間を抜けて吹き付けた風の冷たさに、ぶるっとタケトは身体を震わせ腕で抱く。気温もぐっと下がってきたので、そろそろ村に帰ろうと提案するとシャンテも頷いた。明日は今日調べられなかった村の反対側の森を調査してみて、目新しいものが見つからなかったら一旦王都に帰ろうか。






 日が暮れ始めた村に着くと、村の入り口に見慣れない馬車が止まっていた。そのまわりでは数頭の馬が草を食んでいる。それが少し気になりつつも村長の家へと向かっていると、ある家の前で数人が言い合いしているのが見えた。あれは、ケニスの家だ。

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