第57話 フォレスト・キャットの噂
今回の現場は、王国の北部に位置する森林地帯だった。
この地方には、大昔より『フォレスト・キャット』と呼ばれる大型のネコ科魔獣の伝説がある。その魔獣は人の家よりも大きな身体をもち、とても賢い生き物だが警戒心が非常に強いため、人前にはめったに出てくることはないという。
また、このフォレスト・キャットは、この地域で古くから信仰されている女神信仰ともかたく結びついた存在らしい。女神が乗る車を二匹の大きなフォレスト・キャットが牽く絵柄は、絵画や宗教的モチーフに好んで使われ人々に親しまれている。
「って、魔獣図鑑には書いてあった」
特に急ぎの仕事でもないので、ウルは木々の間を
その背に揺られながら、タケトは前に座るシャンテに声をかけた。
シャンテは銀色の髪を揺らして、後ろのタケトを振り返る。いつも降ろしている髪は、今は風でなびいて邪魔にならないようにだろう、後ろで一つにまとめられていた。
「私が読んだ本にも、同じようなことしか書いてなかったの」
「やっぱ、情報少ないんだな」
目撃例もあまりないらしいから、情報が少ないのも頷ける。図鑑には挿絵もあったが、絵の正確さはあまり信用しない方がいいだろう。
この辺りは丘が多くて起伏が激しい。ウルが進む左手は緩やかな坂道になっていて、その向こうに大きな湖が広がっている。穏やかな日差しを映して、湖面が山から吹き付ける風に煽られるたびに、キラキラと輝いて見えた。
湖から目を離してさらにその向こうに目をやれば、高い山が連なり、頂上は白くなっている。そして、その麓は濃い色の木々が多い茂る深い森が広がっていた。目的の村はあの森のどこかにある開拓民の村だ。そこへいくには、この広い湖をぐるっと回っていくしかないらしい。
ここに来る途中に立ち寄ったティッタルトの街で、目的の村への行き方は教えてもらった。この辺は人が住み始めてからまだ十年ほどしか経っていない、未開拓の場所の多い地域なんだそうだ。
この深い森のどこかで、これまで人に知られることなくフォレスト・キャットたちは暮らしてきたんだろうか。
(開拓が進むと、いままで人間と関わりのなかった魔獣と接触する機会も増えるよな)
この世界の文明水準は元の世界でいうと中世から近世あたりくらいだとタケトは感じている。ただ、魔石や精霊などあちらの世界にない技術が進歩していて、一概には比べられない。一部には元の世界よりも進んでいるなと感じる技術もある。とはいえ、全体的な文明水準でみると、技術がどんどん進歩して人口は加速度的に増え、人類の行動域が格段に広がりつつある時代に思えた。それはこの王国だけでなく、他の国でも同様らしい。
しかし人は前に進もうとしているときは往々にして周りのことなど見えなくなるもの。あちらの世界でも近代以降、人類の生息域拡大とともに絶滅してしまった
この世界もやがてそういう未来を進むのかもしれないけれど、この時代に『魔獣の保護』の視点をもって魔獣密猟取締官事務所を作ったジーニア王の姿勢は、かなり先見的だとタケトは思っている。なぜこの時代でその視点を持つに至ったのかはちょっと興味があるが、先日の式典で官長から王のことを聞いてからというもの、怖そうだからなるべく自分からは接点もたない方針でいこうと決めた。
ティッタルトの街を出て湖をぐるっと迂回し、山の麓まできたころには夕方近くになっていた。森のところどころに建てられた道標を頼りに、まるで獣道かと思うような下草の茂る小道をずっと入っていくと、しばらくして小さな集落に出る。民家が二十件ほどあるだけの小さな村。そこが目的の開拓民の村だった。
村の入り口でウルから降りると、シャンテはウルに人目につかないよう森の中で休んでいてと指示を出す。その言葉を聞いて、ウルはすぐに木々の間へと姿を消した。あれだけ大きな身体であっても、フェンリルは元々森に住む種族。昼間でも薄暗い木々の間に、あの黒い毛色は溶け込んでしまう。
ウルと別れて、タケトとシャンテの二人は村へと入っていった。
村長に挨拶をして、この村に来た目的と身分を説明する。村長はタケトがフォレスト・キャットの言葉を口にした途端、わずかに眉をひそめたように見えた。しかし、特に拒む様子もなく、フォレスト・キャットを目撃したという少年の家へと案内してくれた。
そこは村の一番はじにある、簡素なログハウスのような平屋だった。村長がドアをノックすると、すぐに中から中年の男女が出てくる。彼らはこの村で一番最後に入植してきた家族で、男は木こりとして生計を立てているという。
男はタケトたちを見ると困惑した表情を浮べた。そして、
「たぶん……何もお話できないかと思いますが……」
と渋っていたが、タケトたちがわざわざ王都から来たのだと知ると少しだけならと家の中へ通してくれた。
部屋の中に入ると、すぐのところにあるテーブルの横に一人の少年が座っていた。彼はタケトたちを見ると、不安になったのか傍にたつ母のワンピースの袖をぎゅっと掴んで、おろおろと視線を彷徨わせる。
「この子が、一人息子のケニスです」
フォレスト・キャットを見たことがあるのは、この少年ただ一人。あとは、森の中を駆ける大きなケモノらしき姿を見かけたとか、長い毛らしきものを見たという人がいるだけだった。
それが猫だと分かるほどに濃い接触を持ったことがあるのは、このケニスという少年をおいて他にはいないようだ。それは、官長から渡されたレポートにも書いてあったとおり。
シャンテが彼の前で膝をまげて視線を合わせると、少しでも警戒を解こうとにこりと微笑む。
「はじめまして。私たちは王都から来ました。魔獣密猟取締官事務所の者です。あなたが見たっていうフォレスト・キャットの調査にきたの。あなたが知っていることを、何でもいいから教えてもらえないかな」
しかし、ケニスはぎゅっと唇を噛んだまま。
しばらく待っていると、ようやく彼はぽつりと呟いた。
「知らない……僕、何も見てない。ほんとに、なにも知らない」
母の袖を掴んだまま俯く小さな身体。彼が示しているのは、完全な拒否だ。
ただ知らないってだけにしては、あまりに態度が頑なすぎる。何かを隠しているように思えた。しかし、このとりつくしまもないほどの頑なさでは、協力を仰ぐのは難しそうだ。
とはいえ、この子の目撃証言くらいしかはっきりした情報がないので、彼の協力を得られなければ調査は初っぱなから頓挫してしまう。せめて、森のどのあたりで見たのかだけでも教えてくれればいいのだが、それすら今のところはっきりとしたことはわかっていなかった。
ただ、彼のそんな様子を見ているとタケトは少し申し訳ない気持ちになってくる。なんでか理由ははっきりとはわからないけれど、彼の態度は追い詰められた小動物のように見えたから。
「俺ら、別にフォレスト・キャットを捕まえようとか、害を加えようとかそういうつもりは全くないんだ。ただ、いままであまり実態がよくわかっていない魔獣だから、調べて報告を王都にあげたいだけでさ。知らないんなら、別に構わないんだよ。邪魔して、ごめんな」
そう言うと、とりあえずここを一旦離れようとシャンテの腕を引く。シャンテは、え? もう? という顔をしていたが、タケトが小さく頷くとわかってくれたようだった。タケトは最後にひと言。
「俺たちの本業は、密猟者から魔獣を守ることだ。もし、なんかあったら俺たちに知らせてな」
そう伝えて、家をあとにしようとドアへ向かったとき。
勢いよく椅子を引く音が聞こえた。振り向くと、さっきまで俯いて顔を強ばらせていたケニスが、頬を赤らめた泣きそうな顔で立っていた。
「だったら! 守ってよ! ボク、何も知らないけど……伝説の魔獣なんでしょ!? 守ってよ!!!」
それだけ叫ぶと、ケニスは部屋の奥へと走って隣の部屋へと消えてしまった。母親があとを追うが、しばらくしてその部屋から出て来た彼女の話によると、ケニスは自分のベッドの上で毛布をかぶってくるまって出てこないのだそうだ。
(守ってよ……か)
彼の態度から、彼がフォレスト・キャットのことを知っていることははっきりした。そして、フォレスト・キャットが危ない状況にあることも。
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