第47話 マンドラゴラの願い


 タケト一人が書斎に入ると、すぐに扉は閉める。これ以上の犠牲は出したくなかった。


 ヒギギキキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア


 すぐに、『死の叫び声』が襲ってくる。鼓膜を破って、そのうえ耳栓までしているのに、それでもなお『声』は耳の奥へと浸透してくる。


 タケトはその『声』を振り払うかのように、頭を振った。遠のきそうになっていた意識が、少し戻ってきた。内臓が内側からよじれそうな痛みと息苦しさを覚えるが、ギリギリ耐えられないほどではない。


(よし、短時間なら、なんとか行ける)


 タケトは精霊銃の銃口をマンドラゴラに向けた。マンドラゴラは、先ほどと同じ場所で相変わらず上を見上げるようにして、ひたすら死の声を発し続けている。


(ごめんな。お前も、来たくてこんな場所に来たんじゃないだろうけど。このまま王都のど真ん中においておくわけにはいかないんだ)


 目の高さに掲げた銃。その照準具サイトを通して、タケトの視線が先にあるマンドラゴラを捉えた。


 引き金を引こうとした、そのとき。タケトはふとマンドラゴラがその根っこのような皺だらけの手に、何か白いものを持っていることに気付いた。考えてみたら、さっきは逃げることに精一杯で、しっかりマンドラゴラを見たのはこのときが初めてだったかもしれない。


(……あいつ。何を持ってんだ?)


 どうしてもそれが気になって、タケトは『死の叫び声』の中にいることも一瞬忘れて銃から視線を外すと、マンドラゴラをよく観察してみた。

 マンドラゴラが持っているのは、紙のようだ。そういえば、周りにも数枚のよれた紙が散らばっている。


(いや……あれ、本か……)


 密猟者たちと乱闘になったときに、床に置かれていた本が踏まれてバラバラになったようだった。


(そういえば。この部屋に俺が初めてきたときも、あいつは……)


 思い返してみると、あのときはまだマンドラゴラは死の声をあげてはいなかった。静かに、書斎の中で座っていたのは間違いない。叫びだしたのは、いつだったか。


(そうだ。皮袋を割ってマンドラゴラが出て来て、そして……バラバラになったあの本を見て……叫びだしたんじゃなかったか? だとすると……)


 タケトの脳裏に、一つの考えが浮かんだ。

 試してみる価値は、あると思う。


 タケトは、マンドラゴラを刺激しないようにカニ歩きで壁伝いに進み、本棚のところへと移動した。そして、棚から分厚そうな本を一冊引き出すと、適当にページを開く。それをそっと床に置き、マンドラゴラの方に向かって手で滑らせた。


 大理石のような床はひっかかりもなく、本はすーっとマンドラゴラに吸い寄せられるように向かっていく。そして、こつんとその短い足にぶつかった。


 まだ鳴き続けていたマンドラゴラだったが、ワンテンポ遅れて足にあたったものに気づいたらしく、顔をそちらに巡らせる。

 しばらくジッとそれを見ていたが、急にバッと飛びかかるようにして本に取り付いた。


 マンドラゴラが口を閉じたことで、『死の叫び声』も唐突にやむ。そして、お気に入りの絵本を読む子どものように、楽しそうにその本を眺めはじめた。


 数分、タケトは注意深く様子を伺っていたが、マンドラゴラはずっと本を読みふけっている。もう、『死の叫び声』をあげる素振りもない。それを確認して、タケトはようやく肩の力を抜き、はぁと嘆息した。


(やっぱ、そうだったんだな。お前は、単に本を読みたかっただけなんだ)


 考えてみれば、ここは書斎だ。こんなところにわざわざ一人でやってくるくらいだから、相当、本が好きなんだろう。


 タケトは、マンドラゴラを刺激しないように静かに近づいた。けれど、マンドラゴラはタケトが目の前に来ても、顔を上げもしない。なにやらモゴモゴと口を動かしながら熱心に本を読みふけっていて、こちらに気づいていないかのようだ。


 タケトは様子を見ながらゆっくりとした動作で、散らばっていた本のページを一枚拾い上げた。

 その紙がたてるカサッという音に反応したのか、マンドラゴラが急に顔を上げてこちらを見たので、心底びっくりしてタケトは固まる。


 また『死の叫び声』を上げられるんじゃないかと身構えたが、マンドラゴラはモゴモゴと髭に覆われた口を動かすだけですぐに本に目を戻す。


 ほっとして再び落ちていたページを拾いあげる。今度はもうマンドラゴラの視線はこちらに向けられることはなかった。

 綴じ紐がほどけてページがばらけてしまった本を拾い上げると、外れたページと一緒にマンドラゴラの傍まで持っていって突き出す。


「あ、あのさ……」


 恐怖と緊張で口が酷く渇いている。それでもくっついた唇を何とか動かして、喉から掠れた声を絞り出す。


「これ……さっき、読んでたやつ……だよな。その……ごめんな。俺たちが争ったせいで、こんなになっちゃって」


 マンドラゴラが、ゆっくりと顔をあげた。そして、目の前に突き出された壊れた本とタケトを交互に見比べてくる。


「この本。俺が責任もって、修理に出すから。そしたら、きっとまた元通りになるよ。直ったら、アンタんとこに届けるって約束する。……でも」


 真っ正面から見据えたマンドラゴラの目は、もさもさと長い髪や髭に隠れてみえにくい。それでも、その間から覗く黒くつぶらな瞳は、知性と無垢さを共生させているような確かな意思を感じさせるものだった。


「こんな王都の真ん中に、アンタを置いておくことはできないんだ」


 書斎の中には、いまだ密猟者の男たちが倒れている。ある者は目を見開いて虚空を睨み、ある者は口から泡を出して。皆、死んでいた。この屋敷の中には他にも、沢山の死体がある。こんな危険な生物を町中に放置することなんてできない。


「だから……」


 タケトは手に持っていた本を胸に抱いて、マンドラゴラの前にしゃがみ込んだ。

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